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これはひとつのそういう救いみたいな
この記事は、わたしが友人と配信しているポッドキャスト「たるいといつかのとりあえずまあ」内でたるいの好きなものを紹介しているコーナーを書き起こし、要約したものです。
今回の好き
川野芽生『かわいいピンクの竜になる』(左右社)
たるい)川野さんの人生の中でずっと大きな中心にあるのは「美しさ」なんだよね、たぶん。川野さんは自分の美しさにすごく自覚的でさ。私はかわいい。それは知っていると。ただ、その美しさを人に消費されること、例えば高校の昼休みで男子たちが自分の見た目の噂してるとかさ、そういうことに対する嫌悪感、気持ち悪さみたいなものをしっかりと言葉にすることができる人なのよ。人を美しいと思うことのはしたなさについてすごく考えていて、それがわたしの中ではすごく刺さったというかね。美しさが他者の消費のためではなくわたしのためにあるという考え方は、そりゃ言ってしまえば当たり前なんだけれども、すごく川野さんの中ではっきりとしているし、そのことについてずっと考えてきているから、なかなか自分が普段考えていることと近くてさ、自分の中で大切な本になりましたっていう。
いつか)なるほど。
たるい)歌壇賞を受賞した時のスピーチが載っているんだけれど、そこで「何かを、美しいと思うことは、つねに対象への搾取なのだと思います」っていうスピーチをしてるんですよ。
何かを、美しいと思うことは、つねに対象への搾取なのだと思います。
動物に対しても、植物に対しても、風景に対しても、その美しさを愛でることは誰からも許されていないと思うのです。人間はその美しさをめでることで対象に権力を振るい支配してきたからです
たるい)…これはもう貼ったほうがいいなあ。全区役所に貼ったほうがいいなあ。市役所にも貼ったほうがいいかなあ。
いつか)すごい枚数だ。
たるい)ここから始めないと、と思った。「何かを美しいと思うことは常に対象への搾取なのだ」いやそうだよなあと思って。この言葉を聞いて、「いやそうだよね、そんな言うまでもないけど当たり前だよね」って思う人もいると思うけど、「ああ、そっか」って思う人もいるんじゃないかな。僕は正直、「ああ、そっか」って思う部分がちょっとあったなあ。ああ、自分はなんて無神経だったろう、と思い返したりもして。
いつか)これは、「だからどうしましょう」っていう話ではないってこと?
たるい)川野さんのスピーチは、「美しさを愛すること、美しいものを作ること、それをやめなくてはならないと言うつもりはありません。ただ。美を求めることの罪深さを、葛藤を、見つめ続けなくては次に行けないと思うだけです」(45p.)という風に、罪深さを自覚するところから始めよう、ということで終わるんだけども。
いつか)なるほどね。
たるい)このエッセイ、タイトルが全部否定形なんですよね。少女は従わない/人形は頷かない/ミューズはここにいない/魔女は終わらない。全部否定、否定、否定でこのエッセイができていて、そうやって川野さんは孤高の存在になっていく。「かわいいピンクの竜」になっていく。これはひとつのそういう救いみたいなエッセイでもありながら、その孤高になっていくことを川野さんが選ぶことにしたこの現実に加担している側の自分のことを自覚し直すものでもあって。
いつか)うんうん。
たるい)なんかはしたなかったなと。わたしはもうずっとそういう自分の加害性、男性性なのか知らんけど、に対する嫌悪感を持ち続けてるわけだが、まあ同時に、この人みたいな「わたしのための美しさ」を切実に必要としている自分もいるしっていうことで、とても自分にとって必要な本でした。男女問わず、おすすめ。わたし、たぶん何回も読み返すと思う。
今回の好き
「かわいいピンクの竜になる」川野芽生(左右社)
ポットキャスト「たるいといつかのとりあえずまあ」
作家の垂井真とオーケストラ奏者(Vn)の山本佳輝(ラジオネーム:いつかのコシヒカリ)。東京藝術大学で出会った1997年1月31日生まれのふたりが、お互いの活動の近況や面白かったコンテンツの紹介などを通して、今世をとりあえずまあ楽しもうとしてる番組