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やっぱ北北東へ!

今日も今日とて起きられない病であった。重力が圧倒的で、もはや一市民なんぞひれ伏すほかないとでも言うような。

昨日は友人のピアニストの録音をした。そういう機会をセッティングするために、わたしは日々働いていると言えるし、就職なんて考えもしないわたしの数少ない、けれど話があう友人たちと違う道を選んだ意味というものがあるというものだろう。朝早い時間、曇り空の残酷なまでの低気圧だったが、録音途中に外に出た時には晴れ間があって、なんだかこれからの道のりも、うまくいきそうな気がした。

今日の午前中は企画の打ち合わせをする。自分がやりたいこと、できること、それを丁寧に見定めようと思ってはじめた企画。年末から延々と囚われている。これほどまでにフラフラと彷徨うこともまあなくって、航海路はかつてないほどのうねりを見せ、こんな頼りない船長ってないよ、西に進んだと思ったら、次の日には「やっぱ北北東へ!」とか言いだすんだもん。間違いなくこれからの人生にとって、もっとも大切な企画なのだけれど、関わってくれている人にはやっぱり申し訳ない。

会議の終わり、自然と、「おかげで今年を楽しく過ごせています」という言葉が口からでた。わたし自身用意してなかった言葉だったから、打ち合わせが終わってからぼんやりと考える。そうだ、その言葉だ。わたしはとにかく、何か「良いもの」を作りたくって、それ以外に小さい頃から、あんまり生きている意味を感じることがなくって、だからそのために自分がどう動いたらいいのか、どのポジションで、どんな頭を使って、どんな風にアプローチして、舵を取ればいいのか、常日頃さがしている。よく、自分で自分の首を絞めるような毎日を過ごしてる、と言われたり、言い方は悪いけれど、突き放すような声色で「すごいね〜」と受け流されることもある(「そっちから聞いたんじゃろがい!」)。もちろん自分自身、自覚はあって、例えば友だちに録音させてと持ちかけるとか、普通逆じゃん。だし、毎日仕事でめちゃくちゃ帰り遅いみたいな話をここに何回も書いているのに、うねりまくっている企画を進めるのは甚だおかしいって、と思ったりもする。

けれど、「おかげで今年を楽しく過ごせています」と口から出たように、やっぱりそれがあってはじめて、わたしは会社になんとか行けている。なんとか毎日を過ごしていける。生活をギリギリのところで肯定したり、否定したりできる。どちらかに偏ってしまったら、その瞬間に何か終わってしまうような気がする。

昨日、夕暮れ、大好きな芸人のラジオを聴いていたら、2時間弱のラジオの最後に付け加えるようにさりげなく、「カネコアヤノで『爛漫』」と言葉があって、聞き馴染みのある曲が流れた。

「身体が火照るような赤、赤、赤い色 ぼくの ぼくの心の様」

悩みに押し潰され続けていた19歳の頃と急激に変わるわけもなく、あいもかわらず いろいろなことに迷って、ずっと何かを探している。でも、いつか書いたと思うけれど、もう起承転結の承にわたしはいて、一歩一歩、歩んでいくほかない。きっと年追うごとに、続けることはもっと難しく、複雑なものになっていくだろう。友人の録音だって、うねりの大きな企画だって、次いつできるのかわからない。けれど、おかげで毎日は色づいている今年の春のことを、忘れちゃならない、って強く思う。

数分前までマスクの下で忍び笑いをしていたラジオから流れてきたカネコアヤノ。突き動かされるような夕暮れ時。忘れないようにしたい、衝動だった。


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