五月は多分しばらくは
2時間くらい前、布団の上、ぼんやりとした意識の中で自分は何がしたいんだろうかとそればっかり考えていて、なんだか19歳に戻ったみたいだった。
休みの日が一定以上続くと考え込んでしまうから、人と会うのがいいとようやく分かったのがゴールデンウィークも終わりかけの頃で、昨日もわたしは人と会って、上野から秋葉原へ、そして御茶ノ水、神保町へと歩いた。よく晴れた日で、公園で食べたたこ焼きはからしマヨネーズがよく効いていた。一緒に歩いていた二人は、どちらも結構タバコを吸う人で(これは年齢もあるかもしれないけれど、わたしの友人にはタバコを吸う人ばかりがいる。世の中は全員がタバコをきらって禁煙まっしぐらという感じだけれど、一体全体、どれほどの喫煙者たちが息を潜めて暮らしているのだろう)、タバコを吸える場所を欲していた。「たばこすいたい、たばこすいたい」「赤ちゃんじゃん」「けむりくゆらせたひ〜」「いや平安時代のやつ可愛いな」と小気味よいテンポのやりとり。結局たばこを吸える店を求めて放浪しまくり、街角の居酒屋についた頃には中盤くらいまで夕暮れが押し寄せてきていた。
夜、眠れなくてアニメ映画を観る。ながら観だけれど、なんだか仕事や読書もそうであるように、しばらくやっていないと身構えてしまってうまく取り掛かれなくなる、なんてことがままある。その感じに映画が陥っていたので、観れて、それだけで随分とよかった、面白かったし。目覚めた時にはぐっすりと眠っていたみたいで、もう午後にさしかかっている。ご飯を食べて、着替えて、こうやってパソコンの前に向かって書いているとしみじみと思うけれど、自分で何かになろうとする力はすこしでいい。誰かと何かをする、その時だ。想像を超えるほど遠くに行けるとき。こんな人生があったんだね、って思わず笑えてしまうようなとき。自分が何になりたいのか、だけじゃなくて、出会った人とどこへ向かえるか、だから内側を向いた孤独にばかり囚われているんじゃなくって、しっかりと毎日を過ごしながら繋がりと出会いを、前のめりになるのではなくあくまでおしとやかに待ち受けていれたらいい。
「夕べはどこへ行ってたの?
君がどこかへ行ったから
太陽が街も何もかも呑み込んでしまった
夜に昇った虹の向こう
忘れ去られた星々の
沈黙が街も何もかも呑み込んでしまった」
五月は多分しばらくはこのアルバムを何度も何度も聴くのだろうな、と思う。「忙しなさに理由をつけて、色々なものを観なくなったり、聴かなくなったり読まなくなったり、それって思った以上にだめだよ」って、明日以降の自分にいいたい。もちろん分かっていると思うけれど、その執着に似た生真面目さが、わたしがいつか、誰かと何かを作るときに光る、大切な道標なんだから。