確かに夏の匂い
異動期なので上司へのプレゼントを探す休日。浅草に行ってみたもののしっくり来るものは見当たらず、銀座駅に向かうために銀座線へ、おっと、パンを買うためにパン屋へ、みたいなことを書いてしまった(少し違う)。
薄オレンジの車両に乗りこんでユリイカの「近藤聡乃」特集を読む。「A子さんの恋人」という近藤聡乃さんの漫画があって、わたしの「これは何回も読むとても大切なもの」のみが入棚を許される本棚に悠然と佇むそれの感想を、わたしは誰かと語り合いたくって仕方なく、けれど誰でも良いってわけじゃなくって、例えばこんな人とかさ、こんな人とか、って思い浮かべていた人たちが軒並み文章を寄せていてそれはもう貪り食うように読んだ(川上弘美、今泉力哉、青葉市子、そして、くどうれいん…)。ふと我に却ってバッと目をあげたらちょうど銀座駅で、突然の読書のおわりはちっとも望んでなく、笑えもしない。
プレゼントの当てを何個か見つけて写真を撮り、携帯を開いた流れで今泉力哉監督の「街の上で」の席を確保した。二回目である。
早く着きすぎたアップリンク吉祥寺の薄暗い長ソファーで引き続き「近藤聡乃」特集を読んでいると、映画の一枚チラシをとぼとぼと歩きながら一枚ずつ抜き取っていくご老人がいて、仮面ライダーからフランス映画まで容赦無しだった。もしかしたらちょうど孫が家に来ていて、一緒に紙飛行機を作るために丈夫な紙を集めているのかもしれない、となんとなく考える。映画のチラシで作る紙飛行機は閃光のように部屋を駆け抜けるだろう(そして結構な確率で障子には穴を生み落とすだろう)、などと考えていると一度いなくなったはずの老人がまたトボトボと戻ってきて、ビリー・アイリッシュの自伝的映画のチラシだけもう一枚取っていった。
「エンドロールに 名前がなかった 名前がなかった
だから僕は 旅を続けなくちゃ 旅を続けなくちゃ」
映画のワンシーンで流れるこの音楽の言葉は張り裂けるほどに美しくて、でも決してそれは本筋に強く絡むシーンではなくて、こんなに強いメッセージもあくまで情景の一部になって、というか、本筋だから意味があるとか、そういうことでは全くないんだ、わたしたちの人生がずっとそうであったように、大切だと言われているものだけが、大切な訳ではないのだ、全く、ああ、ほんと、なんて良い映画なんだろう、とまた、笑いながら、涙ぐみながら、思った。
帰り道、ハーモニカ横丁が結構賑わっていて、もちろんご時世的にそれはどうかということも出来るけれど、ちょうちんの灯りと喧騒が溶けた夜には確かに夏の匂いが漂っていた。