9月の日記-旅行の空き時間
9.9
日記祭に出店することが決まったので、日記を書くということについて改めて考えていた。
わたしが日々何を感じたかということそれ自体は、前提だれも興味がないと思う。もし興味を持つとしたら、それが読んでいる人の神経を微動させた場合だろう。この微動というのは共感だけではなくて、疑問だったり怒りだったり、あるいは憧憬だったり憐憫だったりするのかもしれない。
でもそんな、あなたを微動させることなんて関係なしに、わたしはわたしの日々のために日記を必要としている。難しいことは考えずに偶然に任せて書いていこう、という、何にも考えていなかったかのような結論にたどり着く。
9.10
会社の別部署のお姉さんと一緒に後輩たちを連れて飲みに行く。楽しかったけれど家に帰って体が上手く動かずにしばらくゲーム実況をみてボーっとしていた。マリオパーティの実況をみてた。友達がゲームキューブでやってるのをみてたなマリパ。負けた人が交代で、わたしは家にゲームキューブがないからいつも負けてて、でもなんか、別にそれが嫌ではなかった。
9.11
髪が伸びてきた。もう少し伸ばそうと思う。鎖骨が隠れる位まで。なんで、っていうのは難しいけれど、そんな気分。いずれ短くなるのかな、わかんないけれど、最近髪に親密さを感じている。わたしを包んでくれるものになってくれている。
9.12
相変わらず暑い。梅雨から夏の終わりまではずっと具合が悪い、ということが今年よくわかったし、その間は結構撮影を入れるのが難しいこともよくわかった。多分これから3月までの間に映像系は沢山撮っていく、そうできたらいい。自分次第なところがおおきい。
9.13
久しぶりにクラシック音楽のコンサートをきく。モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を聴いていたら、どうしていつも過ぎ去ってからそれが大事だったってことに気が付くのだろう。と思って泣いてしまった。いつも過ぎ去って初めて分かる。そういう風にきっと世界は出来ていて、だから音楽にわたしたちは恋のような気持ちを抱き続けるのかもしれない。
9.14
新宿御苑の中の休憩所みたいなところで打合せ。ずっと会いたかった人で、思いもよらず最近考えていたことについてばーっと喋ってしまった。御苑の中を少し散歩。結局具体的な打ち合わせはしなかったけれど、相手への信頼だったり恋みたいなものが育って、会って話すってそういうことがすごく大事だよなあ、と思った。制作をしていく中でそれは大切な部分だから。帰りちょっと散歩した。外国の方ばっかりで、ちょっとした旅行の空き時間に二人で訪れたみたいだった。
そのあと稲荷さんと新宿であって、わたしの次の予定が東中野だったので一緒に散歩をしてもらった。わたしの身勝手で連れまわしてしまったけれど、それ込みで受け入れてくれている感じがあった。ジョナサンでドリンクバーを頼んでブドウソーダとカルピスソーダを二つグラスにいれた。
東中野では映画「石がある」を観る。清原惟さんと監督とのアフタートークも含めて、いい時間だった。離れた席で観ていたパートナーと上映後目があったら悔しそうにしていた(いいものをみるとパートナーは悔しくなる)。偶然に撮れたものを信頼すること、偶然が起きることを信頼する事、それを最後まで残し続けること。それは通底した美学だし、それって規模感が大きすぎると残しきれないものかもしれないとか思った。
9.15
展示を観に長野へ行く。会場まで30分くらい歩いた。川があった。風はすずしかったけれど普通に暑くてクーリッシュ買った。長野と山梨は似ているけれど違かった。長野の方がちょっと山が遠い感じ?もう少し景色な感じがある。山梨って普通に近い。生活に入り込んでくる感じがある。
心が落ち着いて帰りの電車ずっと寝ていた。
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