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透き通る光を受けとめて
意識に何十も膜がはられていて、価値のあるムーヴメントにはほど遠い木曜日。目標を立てて遂行する、毎日は自己啓発本みたいに言えばそれだけのことに集約されるのかもしれないけれど、そもそもの目標すら、かみごたえのないこんにゃくみたいに掴めなくって、結局少しだけはやくタイムカードをきった。まるで会社から抜け出すみたいに。
仕事のために借りなくちゃいけない映画があって(記憶に知識を焼きつけるには映画が一番いいとおもう)、だからついでに私的なものをもう一本、次の火曜に祝日もあることだし借りようかな、とか思いながら駅前のTSUTAYAにはいったけれど、結局もう一本は見つからずじまいで、まあ観たくなったらNetflixだな、とぼんやりしたまま考えていた。
エスカレーターから覗く星をかき消すほど明るい電光掲示板や、絶え間なくきらめく高層ビルのあかりが、聴いている曲のグルーヴと混ざったり滲んだりして、ふと、なんだかみんなして、とっても大切なことを根こそぎ間違えているんじゃないか、というような気持ちになる。
「瞼閉じて思い出にしがみつくことより
大好きな季節を呼び 透き通る光を 受け止めて贈ろう」
都会に勤めるようになって、流行りのものに言いようのない苦手意識があるわたしの、その理由が単なる格好つけのためだけじゃないことがはっきりとわかった。
けれど、わたしだってずっとずっと、
とても大きな勘違いをしているのかもしれない。
そりゃもちろん、だからこんなふうに真夜中に言葉を書くのだけれども。