まるで僕らは神話みたいだね
今日は変わるがわる色々なことが訪れて、気がついたら一日がおわっているというような、そんな忙しない1日だった。
今週はずっとそれなりに忙しいみたいで、今も半分ねむりそうになりながら文章を書いている。ヘトヘトとしてはいるけれど、寝るまえにストレッチをしないとどことなく気持ちが悪いように、言葉をこうやってつらつらと書くことで寝る準備を整えているような感じ。
「あいしている」ということを単なる言葉以上に、繊細に、瑞々しく、あるいは儚げに、夢うつつに伝えるために表現というものがあるというのなら、この曲はその一つの形だなあ、とぼうっと思う。「まるで僕らは神話みたいだね」という歌詞は初めて聴いたときからとても好きだったし、久しぶりに聴いてまた虜になってしまった。ずっとずっと昔から、削ぎ落とされたり、構成し直されたり、そんなふうにして何度もかたちを整えられた「物語」の結晶みたいなものが神話だと思う。曲は「君の中のストーリー、僕のためかもしれない」と続く。君の中の結晶化されたストーリーが、もしかしたら僕のためにあったのかもしれない、と思うこと、願うこと、それを伝えること。映画の主人公に「これはわたしかもしれない」と思ったときに立ち現れるちょっとした「なんちゃって、おかしいよね」という気持ちを抱えながら、それでもどこかで、わたしの物語が、君の中で、君とわたしの間できらめいているかもしれないね、ってうたってみる瞬間。
それは「あいしている」の、とうとい形の一つだと思う。