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2月の日記-感情はホテルで見つめればいい

日々が常にわたしのわたしさを明かし続けている。そのことに、わたし以外の誰も気がつくはずはなく、そっと耳打ちしてくれることもない。わたしの日々はわたしのもので、それは確かに尊さを含んでいるけれど、日々はわたしのためにあるのではなく、ただ、そこにあるようにあるだけだ。言葉がいつも真ん中に辿りつけず、周縁を点々と跳ねてばかりいる。

2024 日記を書くこと

2.1
明日から石川県へ仕事で行くことになった。何種類もの仕事のマニュアルに混じってメンタルヘルスについての資料がある。被災地に行くこと、その心の持ちようについて、もし気持ちが崩れたらどこに頼ればいいのかについて。防寒具をイオンモールで買い集めて、自分が現地に行って何を感じ、どうなってしまうのかの想定出来なさに身構える。少なくとも気持ちの余裕がなくなると思い、荷物をできるだけシンプルに少なくして小さなスーツケースにつめ、眠る。

2.2
金沢へ向かう途中本当にトンネルを抜けたら一面冬景色で防寒具、少し高いのをケチらずに買っておいてよかったと思った。仕事場への挨拶と引継ぎを受けてから会社がとってくれたホテルに帰ると、水道や道路などのインフラを直しにいくのであろう男たちがフロントに溢れていた。
テレビで70分の震災の特集がやっている。ずっと観た。
明日さっそく夜明けごろから出発して被害の大きな地域にいくことになった。大きく深呼吸をしてから寝る。

2.3
4時に起きて能登半島へ。海沿いの道路を走る。トイレ休憩に降りたサービスエリア、つい最近水が流れるようになったのだという。これから現場に向かい工事をする沢山の男たちが白い息を吐いている。みんなどこか、神経を張っているように、気持ちが体を動かしているように見える。
朝7時ごろから、倒壊した家々が次々に現れた。崩れて腰くらいの高さになった屋根に雪がつもっていて、「そうあるもの」みたいになっていた。昔その家があったときの景色を自分が知らないこと、想像しきれないこと。
海岸線に登る朝日はガラスの鏡面みたいになった日本海に反射して凄まじく美しかった。「ほら、テトラポットの色が違うでしょう、あそこは海だったんだよ」ドライバーさんがいう。一帯が隆起して、地形そのものが変ってしまっていた。
色とりどりのぶいが浮かんでいて、綺麗だと思っていたら、「カキがめっちゃ美味しいんですよ」と同乗者がいって、それがカキ漁のものであることを知る。「全滅だけどな」地元のドライバーが明るめの声でいう。その光景をぼーっと眺める。
帰り、海岸線に透明の糸が引いていて鳥かと思ったら3頭のイルカだった。イルカだ、と思ったけれど、なんだか幻のようで車にのっている誰にも言わなかった。あまりにも美しい場所に、美しいからという理由ではなく、仕事で来ていること。スクリューが海の上にあがって動かなくなった漁船、道路の真ん中までせり出す家々。通れなくなった地面の何十センチも幅のあるひび割れ。

2.4
昼、好きな画家さんが炎上していて、その人に向かって攻撃的な文言を使う人たちにずっと心の中でキレる。全員が全員主観という色眼鏡を持って世界を誤解していること、そのことに無自覚であることの浅ましさ、醜さを思う。これが正しいか分からないけれど、という前提を持つ謙虚さが自分の中に全くない人が、人に自分の主観でしかない正しさを押し付けること、それで多数派を作ることの愚かさに心底腹が立つ。
夜、ホテルのフロントに男たちに混ざって腰の曲がったおばあちゃんがいて、灰色のパーカーを着た40歳くらいの女性が付き添っていた。
「また温泉いこうな」とおばあちゃんはエレベーターの中でも元気そうな声を出していた。二次避難だろう。彼女もまた、あの美しい海と一緒に生活を送っていたのだろう。2人が降りた2階から自分の部屋がある11階までの間に、ふと気が緩んで泣いてしまう。おばあちゃんが何をしたっていうのよ。テレビでよく見るような言葉がどうしても頭に浮かぶ。

2.5
強い雪が降っていた。昼、スタバで豪遊する。仕事を終え、石川にいる仲良しの同期とご飯を食べる。「せやねん、せやねん工藤」「いやせやかて工藤な。同意したらダメじゃん、東と西の対決にならなすぎるだろ」とかくだらないことを言いあいながら、2時ごろまで喋る。

2.6
夜、コインランドリーを待っている間に入ったカフェで、若いカップルが震災が来た日の話をしていた。かなり壮絶だった。そこには日常があり、生活があるという、当たり前のことを、わたしはここに来て、初めて身をもって感じていた。なにが想像力だ、と痛いくらい思う。わたしは何にも分かっていない。それは、ある面で間違いなく残酷なことだ。

2.7
能登半島の、特に被害の大きかった地域にいった。一昨日の夜くだらないことをずっと一緒に言い合っていた同期が、そこで待っていた知り合いをみて、強く抱きしめ「よかったす。生きていて、ニュースみて、やばいんじゃないかって、思って、」と嗚咽しながら泣いた。わたしはすぐ友人から離れて仕事の準備を粛々と進めた。亀裂のある道を注意深く飛び越えながら段取りを整えていく。仕事をしっかりとこなすこと、しっかりと自分の出来ること、自分の来た意味を成し遂げること。そのことだけを考えていなければならない時間だと思った。すぐにでもはち切れそうな感情は、1人になってからホテルで見つめればいいと思った。

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