8月の日記-わたしはあなたの光の反射光
8.8
通勤途中の喫茶店でパートナーとモーニングを食べる。ホットケーキを注文してちゃんと美味しかったのだけれど「喫茶店で何か食べ物を頼むならホットケーキ」ということにしすぎてしまっている節が最近あって、安牌をとった感じが否めなかった。実際は普通にトーストが食べたかったのかもしれなかった、なんか自分が何を食べたいのかを察する能力が低いのよな。それってもしかしたら幸せなことかもしれないけど、結構自分の本質に関わる弱さだと思う。
8.9
なんかゲームがやりたくなって「ドラゴンクエストⅩⅠ 過ぎ去りし時を求めて」をやってみる。ゲームをでも年々楽しむのが下手になっていて、それはもしかしたらわたしの人生にとって自然なものかもしれないのだけれど、それとは別にある種のわがままとしてゲームを目一杯楽しみたい、から、ずっと喋りながらゲームをすることにした。山に囲まれている村の立地や緑に統一された屋根などをみて「この村はもしかして、大国から見つからないようにしているのか?なるほど...…だから勇者もこの年まで見つからず成長することができたのか?」とか色々勝手にぺちゃくちゃ喋る。今のところ楽しい。
8.10
ラジオ収録を相方とする。話すテーマをがっちり決めた時が大抵個人的おもしろ回になるのだけれど、そうするともう準備してきたものを相方が受け取るだけになるから、それはなんか二人でやっているのにもったいなくもあって、そういう意味で、今回は「なんかよくわかんないんだけどモヤモヤしていること」をぶつけたことによって相方の方から「それって〇〇なんじゃない?」とか、「こう言う考え方ができてないんじゃないか」みたいな、ちゃんと自分を変容させていきながら、自分の生理的な嫌悪感を確かにしていくような意見がバンバン出てきたのが嬉しかった。ふたりでやってる意味みたいなものをしみじみ感じる。
8.11
脱毛4回目いく。初回から地獄みたいに痛いのは足で、なんか2段階くらいなんていうの、通常の痛覚が麻痺するところまで意識をバグらせる必要があってもう脱毛行きたくない、ってなってたんだけど、前回でいきなりめちゃくちゃ足の毛がなくなって、だから今回は足があんまり痛くなくって、助かった、で、調子乗って、「夏ですね」とか施術してくれているお姉さんと話をふって、「夏といえば怪談ですよね」「え、まじですか、怪談ですか」「稲川淳二なまで見たかったなあ」「マジっすか」「見たくない?生淳二」「あ〜んま見たくないかもしれないっす」みたいな会話をして、結局怪談のおすすめyoutubeを教えてもらった。今それを思い出した。みていないや、わたしそもそも怪談あんまり得意じゃなかった。
8.12
こどもの国に行った。BBQをした。めっちゃくちゃ暑かって、ほんでめちゃくちゃ夏だった。大人になってから職場でもないところで知り合った三人なのに、そのあと5時間くらいサイゼリヤでドリンクバー滞在した。学校が持っている一番の力を、わたしは一貫して「人とのつながり」だと思っていて、だから勉強することよりもずっと、面白いと思う人と出会うために、過ごすために学校に通っていたように思う。そういった意味で確かに学校はかけがえがなかったし、確かに、大人になるにつれて、そういった「つながりの場所」はなくなっていった(それに対する切実な危機感としてわたしは「放課後」と言う場所を作ったのかもしれないし、今日まで活動してきたと言う面があるのかもしれない)。その一つの反抗の証として、あの5時間のサイゼリヤがあったと思った。
間違い探しが5個しか見つけられなくって裏返した。終電で甲府に帰った。疲れていてずっと寝ていた。
8.13
17日に大きな放課後の撮影があってそれが楽しみだったり不安だったり。色々と考えをめぐらせてはいるものの、うまいこといくかなあ、なんて。そういうふうに思っている自分に安心したり、それで安心している自分に不安になったり。そういうの全部やめて少しずつ淡々と過ごせるようになったらいいけれども。
8.14
飲み会。同い年くらいの人たちとだったから楽しかったけれど、大人数で飲むってやっぱり疲れるが勝つ。あと一人になった時の虚しさみたいなものがやっぱりちゃんとある。二人か三人で会うのが好きだなあ、ずっと。
8.15
台風が迫っていて明日の特急が動かないかもしれないので、夜に東京に帰ることにした。17日の撮影や18日のライブでカメラや三脚、ギターをしこたま持って行かなくちゃならず、そのくせ同期の送別会があって、荷物の多さと共に「ギターやってたん?」とひとしきりいじられてナチュラルに恥ずかしかった。
8.16
台風が接近していて、でもなんだかいけそうで、吉祥寺で人と会った。教育実習の時に高校一年生だった二人。21歳になっていた。二人の方がお酒を飲んでいて、ジャズバーを教わったりして、なんか、ありがたかった。
みんな大好きだったよ、あなたのこと、仲良くなりたがってた。と言われて、全然自分の教育実習の思い出と違くってお世辞としてしか受け取れなかった。百年で自分の本を買って二人にあげたら、百年の樽本さんに「お、自分の本買うんですね」と言われ、いや、あの、なんか友達と来てて、あげようと思って、となんかめちゃおどおどしてしまった。
雨の降る吉祥寺の人混みはまばらでずっとこれくらいがいい、と思いながら先をいく二人を眺める。二人とも、何にも間違ってないから、君たちはすごいんだから、がんばれ、と思う。言葉にはしないけれど、強く思う。
8.17
伊東で一日撮影。機材が届かなかったり新幹線が動くかわからなかったり不安な要素が多すぎて「もうなるようになれ」精神だったが、結果めちゃくちゃ晴れた。放課後の撮影はなんか、ずっとみんな楽しそうで、その勢いのまま終わる感じがいい現場だなあ、と思う。放課後の現場、の共通点は何かといえば、それはわたしが現場を仕切っていることで、だから、多分「ずっとみんな楽しそう」な空間を作っている一因にわたしがあるのだろう、あるのだろうけれど、わたしは別になんにもやってなくって、やっぱり、関わってくれる人たちが素晴らしいということに限る気がする(その何にもやってないってことが大事なのかもしれないね)。
夜、帰りの車でミレーの枕子さんと1st album「新芽」を聴く。「今はもうこんな歌詞は書けないや」とミレーさんが言う。「そっか、確かに、違うね」「うん、全然違う」しばらくの沈黙の後、海の向こうに燦然としたネオンが見える。「熱海だ〜、すっげ〜」と車内が沸く。
8.18
放課後の弾き語りライブ。わたしがトップバッターをやったのだけれど、終わったあと2番目の出演であるセリザワさんに「前回より良かった」と言われて、「っしゃ」と小さく叫ぶ。
ライブ、とても良かったといってくれる人がたくさんいて、「そうなのよ。」と思う。放課後の所属アーティストはみんなとても良いんですよ。あと自分のことで言うと歌の歌い方ようやくわかった気がする、わかった、っていうか、わかんないことが大事っていうか、わたしの意思みたいなものを引いていく作業だと思った。なんか、哲学になっちゃうけど。
帰り道、作り続けること、と思う。「いいものを」とか「評価」とか、そういう話を今よりもっと無くしていきたい。究極、あなたと出会えて、好意のようなものを持ち合って、一緒にモーニングを食べたり、ラジオを収録したりBBQをしたり、ジャズバーで語り合ったりドライブができたらそれでいい。あなたと一緒にいる時にだけ、わたしはあなたの光の反射光を受けて、輪郭を確かめられる。浮かび上がった輪郭に、わたしは小さく笑って、「あなたはきっと生きていて良かったんだと思う」とあなたに告げる。何かを作ることを通して、それだけができたらいい。
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