オムライスの合理的共通幸せ認識

ポムの樹というオムライスのチェーン店がある。
本日そこでオムライスを食べながら、「なんでオムライスって幸せ感あるんだろ。しかもある一定の共通認識としてあるよな」などと考えた。

オムライス幸せステータス① あったかい

幸せ成分を多分に含む要因の1つはやはり温かさだろうな。
オムライスが冷たいなんてあり得ない。薄焼き卵で包んだタイプの冷たさは許容できるけど、多くの人が「幸せオムライス」と聞いて思い浮かべるのは、あの玉子ふわふわタイプのやつだろう。ナイフを入れればとろんとなる、ピカピカした黄色いやつだ。
ふわふわタイプが冷めてしまったら、あのふくふくトロトロ感が失われてしまう。やはり温かさは必須だ。
オムライスは温かいという認識を少なからず皆、持ってるんだと思う。

オムライス幸せステータス② 柔らかい


温かければ当然、柔らかいんだろう。
重大な要因だ。

オムライス幸せステータス③ かわいい

黄色はハイカラだし赤はレトロでかわいい。
分かりやすい配色である。
近年ではそれを映えと呼ぶのかもしれない。
料理でこのステータスを持っているのはかなりのポテンシャルだ。

オムライス幸せステータス④ 子ども時代を想起

多くの大人がオムライスを子どもが好きなもんだと思っているに違いない。そんな大人に育てられたものだから、オムライスは子供時代に遭遇することがやっぱり多い。大人になってからは、わざわざ選ばなければ中々お目にかからない。
そして、オムライスを食べてる子どもってのは悪い気持ちはしてないんじゃないかな。あったかオムライスを頬張る子どもの横には、総じてそれを見守る大人がいるに違いない。
その時の気持ちを思い出すような気がする。きっと無意識でも。

オムライス幸せステータス⑤ クオリティに差が出やすい

母が作った薄焼き卵のやつ。
デパート最上階のレストランで食べたやつ。
ホテル朝食の眼の前で焼いてくれるやつ。
オムライスって、公で共有される「幸せオムライス」のイメージとは別に、各クオリティごとの思い出が紐づいている気がする。作る人や食べる場所によって良くも悪くもクオリティや見た目に差が出やすいからだろう。
万が一嫌な記憶があるとしても、多くの人が持つ「幸せオムライス」のイメージに引きずられ、「オムライス」固有のイメージは損なわない。
多様なだけに、安定感があるのだ。多分。

オムライス幸せステータス⑥ 我々は大人だから


オムライスを食べて幸せ感があるなんて考えてしまうのは大人だからだ。
幸せなステータスをたくさん秘めている食べ物なのだ。もっと無邪気に食べるべきだ。与えられたオムライスで腹を満たすことが幸せだったあの日々を懐かしく思うのは、自分がそこから遠ざかってしまったからなのだ。

オムライスを食べて、こんなことを書き留める大人になんてなりたくなかった。
我が子のためにオムライスを、不器用ながらに作ってやる。そんな未来もあったはずの年齢に私はなった。それが全てでないと分かってはいるけれど、私の中のオムライスはまだ、私が子どもの頃のままだ。
母も父も老いた。

私は今、泣いているのである。




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