【続編②】外科を辞めるにあたって心境の変化など
続いては外科を辞めるにあたって気持ちの面での変化や考えについてまとめたいと思います。見返すと自分の日記帳みたいな内容なので②としつつも飛ばして③に行ってもらえればと思います。
1.以前は嫌で辞める、だったけれど
以前の記事で外科医を辞めるに至った理由を色々書きましたが一言で言えば「嫌になったから辞める」でした。外科が嫌いになったというわけではなく、自分の時間も家庭も犠牲になるこの生活を続けるのが嫌で、という「嫌で辞める」でした。
けれど今の心境は当時とは大きく変化しました。
環境に馴染んで変わった
まず大きな変化としては外科医として年次が上がり単純に外科医の生活や手術自体、医局の雰囲気に馴染んできたことです。ようやく医局に対して「自分の場所」と思えるようになってきました。以前の記事を書いたときは入局直後で外科がどうこうというよりまず環境の変化に十分慣れておらず、医局の人たちにも馴染めていなかったので余計にしんどかったんだと思います。
今では医局も手術室も以前よりだいぶ居心地良く感じられるようになりました。もちろん今でも時によってはたまにボルテージの上がった上司・教授から古の外科医ムーブを食らうこともありますが、基本的には当医局には若者・現代の若手医師の感性への理解がある先生が多いので今ではそれほどストレスには感じません。
思えば当時は入局したての新米外科医に対する教育として敢えて強めの指導だったのかもしれません。あるいは私が外科医として染まっていった結果それが当たり前という感覚が芽生えストレスに感じなくなったのかもしれません。まあ、おそらく後者ですね。良くも悪くも外科医的思考回路・感性になってきたとは思います。いずれにせよ、当時に比べ外科に対するネガティブ感情は激減しました。
手術に慣れて変わった
地方医局の強みで、手術症例数は都市部の外科の同世代よりも圧倒的に多く経験させていただきました。具体的には後期研修修了の最低ハードルの350例と執刀120例は後期研修2年目の夏にはクリアしていましたし、分野別の症例についても2年目終了時にはすべて満たしていました。一番執刀が多かった年で180例くらいでしたが、執刀の多い病院に配属されて喜んでいた某都市部医局の外科の後輩が、緊急手術をほぼ全て取りに行く勢いでだいたい年間の執刀数は100例ほどだと言っていたので、自分から症例を取りに行かなくてもこうなるというのは外科医としては恵まれた環境だなと思います。その分同世代がおらず全部自分くるという物量的な負担は大きいものの「とにかくオペをたくさんしたい外科志望は地方医局へ行け」と思いますマジで。
そのおかげでまだまだ若輩者ですが「手術の度に教科書とビデオを複数回見て予習し、ようやく何をすれば良いのか分かった気になったものの術野で次に何をすべきかを見失い進めなくなる」ということがさすがに少なくなり、定型的な手術であれば自分である程度完遂できるようになりました。
術前の予習から手術施行、手術記録作成までにかかる時間がかなり短縮されて、術後管理に関しても経験値が上がった分ある程度までは自分の持つ武器で完結できるようになり、やはり手術に関わるストレスは大きく減少しました。
2.今の自分は手術をすべきでないと思う
ここまで読み返すと、どう読んでも「やっぱり外科を辞めることを辞めることにした」という流れやんけ、と自分でも思いますがそうではありません。
そしてこの段落は批判覚悟で書いています。というのもXのフォロワーやリア友から「ちょっと極端すぎる」「大げさに考えすぎ」「そういう考え方自体が外科医が減る原因じゃないの?」等々言われたことがあるからです。いくらでも繰り返しますが他人にこの考え方を強いるつもりもなければこのような気持ちがない先生を批判する気も一切ありません。あくまで私はこう考えているというだけの話です。気に入らなくても「こいつはこんな考えの奴なんだフゥン」でお願いします。誹謗中傷マジノーセンキュー。
手術をしたいと思わなくなったのは変わらない
ストレスが減ったことと手術をしたいと思うことは全く別の話で、誤解を恐れずに言うと現在の心境は「手術はできる※しやれと言われればそこまで嫌なわけではない。でも自分から手術をしたいと思うわけではない。」です。
(※あくまで定型的な術式でコンディションが良ければここ掘れワンワン状態にはならずに手術が進められるようになった、程度のレベルです。決して俺オペできるからwとイキっているわけではないです)
むしろ手術や手技においてはちょっとできることが増えてくる度にその責任の大きさをより強く感じるようになりましたし、やはり手術をするということはその場での患者の生死にもその後の人生にもあまりにも大きく関わることだと改めて思います。
手術をする資格
外科医が減少しつつある今日ですが、それでも外科医だからといって誰もが執刀医になれるわけではありません。特にそもそもの症例数がそれほど多くない分野であったり、若手が多い都市部においては「俗に言う手術症例の奪い合い」は今でも普通に起こっています。実際に異動のタイミングや行き先の関係で全然執刀経験を積めていない同期・後輩もいます。
そういった環境では優秀な先生たちが少しでも執刀を当ててもらえるように日頃から自己研鑽を積んで、時にはやりたくない仕事も引き受けたりしているわけです。
それに対して私はといえば、まず人生の基本指針が仕事とはあくまで仕事=生きるのに必要なお金を得る手段であるというスタンスです。それは医者、外科医であっても例外ではなく、他のあらゆる職業と同列のお金を稼ぐための手段であるという認識です。必要な研鑽はすれど仕事は仕事として、家に持ち帰ったり休日返上して打ち込むことはしません(物理的にそうせざるを得ないこともありますが)。
そんな人間が「自分よりも遥かに優秀でやる気に満ちた外科医たちが必死に修練を積んでようやく辿り着ける手術という崇高な行為」にありつく資格はあるのだろうか?
もちろん手術をする以上、人並みには勉強も練習もした上で手術に臨んでいますし、自分が手術した患者に何か起こればその時点でプライベートもなにも関係なく患者を優先して駆けつけます。定時が来たらスイッチを切り替えたように外科医の時間終わり、なんてことはありません。ここに関しては人並み以上に責任を持って働いているつもりです。
しかしあくまで精神面では「仕事」として割り切って捉えている意識がある以上は「こなしている手術」に過ぎないんじゃないだろうか。この気持ちがずっと拭えません。例え先輩や上司から褒めてもらえるくらいに上手くできたとしても、自分だけは騙せません。大げさに言うと自分で自分を認められない的な話です。
後輩の症例を奪っているという事実
前述の通り外科医不足とはいえ手術をしたい先生はまだまだたくさん居ます。そして自分自身に具体的に関係するのは自分の医局の後輩や年次の近い先輩。外科医として一番修練を積むべき今の年次の私が手術をするということは後輩の執刀症例を奪っていることになります。
単純に学年順で交代交代で皆が均等に経験できるのならば問題ないのですが、これも前述の通りどうしても施設によって症例の偏りがあったり例えばロボット手術だとかSILSだとか、施設によってそもそもやってるやってない問題が出てきます。近年ではロボット手術(=術者の年次が比較的上の世代に集中しがち)の普及により開腹・開胸手術、腹腔鏡・胸腔鏡手術が減っていることもあり、同じ年数を同じ熱量で修練したとしても、皆が同じ経験値・執刀数を積めるわけではないのです。運も実力のうち、という残酷な言葉がありますが「誰かがたくさん手術を執刀している時、その同世代の外科医は指を咥えて眺めている」のです。
私自身がどうかというと、客観的に見て自分の医局や他医局の同期・後輩と比べて執刀数が多い側です。これが何を意味するかというと外科医を辞めようとしている人間が外科医としてこの先長く活躍するであろう後輩の症例を無駄に奪っていることになります。
以上を総合して、外科に対するポジティブな心境の変化はありつつも外科医を辞める選択は変わりませんでした。私が外科医に憧れて外科医になりたくて仕方がなかったあの頃に抱いていた「手術がしたい」という渇望がない状態で手術をするべきではないだろうと考えました。
繰り返しですが、他人に強いるものでもなければ違う考えの他人を批判する意図も一切ありませんのでご了承を。
3.やりたいことのために辞める
一つ前の記事でも書いたように、仕事を辞める場合には①今の仕事が嫌で辞める②他にやりたい仕事があって辞める、という大きく2つのパターンがあると思います。
私は①が本当の理由であっても②の気持ちに持っていくことが重要だと考えています。②の方が辞めることを伝えやすいのはもちろんのこと、辞めた後の自分の心理的にも重要です。
つまり最初は取ってつけたようであっても「自分はこういう風に生きていくためにこの道を選んだんだ」と言える形にするのが大事だと思います。それは100%本心でなくても良いし、自己暗示であっても構わないと思います。人間にはやる気スイッチなどはなく、行動を始めてからやる気が出てくるように出来ていると言いますが、それと同じように後から段々とその気になれれば良いんじゃないかと思います。
「嫌で逃げた」という自己認識にしないため
私は周りがどう言おうと無視できますが、自分の意識はそう簡単に無視できません。「嫌なことから逃げただけ」という自意識になってしまうと、どうせ自分は逃げたんだ、とかどうせみんなみたいに続けられないんだ、とネガティブになりがちです。これは自分の過去の経験はもちろん、身の回りでキャリアを中断した人々の話を聞いて感じたことです。
誤解を招く前に言っておきますが「逃げ出すのが悪い」という意図ではありません。むしろ心と身体が侵され尽くす前にどんどん辞めましょう。
実際は辛くて辞めるだけだとしても、邪悪な環境から逃げ出すのであっても最終的にはポジティブな理由に言い換えた方が自分の精神衛生上良いだろう、という話です。
「家族との時間を守るために」「自分の趣味の時間を作るために」「意に反する人事に振り回されず終の棲家を構えるため」等々、いくらでも言いようはあります。
以上が、前作を書いてから今に至るまでの心境の変化とそれでも選択が変わらなかった理由です。一応区切り的には外科を辞める云々に関する記事はここで完結になります。次の続編③はおまけ(にしては長文ですが)で、専門医資格について思うところをまとめました。よろしければそちらもお読みいただければ幸いです。