8月6日に黙祷、思い出すこと行動すること
8月6日の朝8時15分に黙祷するのは、子どものころから当たり前になっていた。
わたしは、引っ越した関係で三つの小学校に通ったのだが、8月のこの時期はいつも1980年代後半の3年生から6年生まで在籍していた大阪の小学校のことを思い出す。
平和教育に熱を入れていたその学校は、普段から戦争や原爆のことを教え、学習発表会では演劇を、音楽の時間では戦争をテーマにした曲を扱い、修学旅行では広島で原爆ドームを見て原爆資料館を訪れる。
それ以外にも、戦争の悲惨さを教える数々の行事が企画されていた。
他の小学校がどれほど平和教育に熱心だったのかわからないが、それらがわたしの考え方の根底に何かを形作ったのは間違いない。
その何かが色濃く浮き出してきたのは、11歳のとき。
アラスカの小学校に転校した小学校6年生のわたしは、初めて戦争や原爆に対する認識のあまりの違いを知り、衝撃を受けた。
アメリカ人の同級生、学校で教えられていること。
ことごとく日本の感覚と違う。国内でごく普通の小学生だった自分は、何かとてつもない壁を乗り越えるためにはどうすればいいのか、英語もまだ未熟なまま無力感も覚えていた。
そのアメリカ生活で起きたこと、そしてその後、現在に至るまでに多くのアメリカ人や他の国の人々と触れ合い勉強や仕事をしていくなかで、この「壁」を感じたことは数知らず。
そのたびに、自分はいったい何を伝えればよかったのか。
何をすべきだったのか。
どのような行動で意思を示すべきだったのか。
じゅうぶんに大人になった今でも、まだ心が落ち着かないことがある。
今朝の平和記念式典の中継では、広島で海外に向けて発信をしているひとが紹介されていた。
自分が見聞きしたこと、知っていること、勉強したことを、世界の人々と共有していかなくては、壁はなくならず平和になることも難しいだろう。
イスラエル大使が平和記念式典に招待されていることが、虐殺を容認するメッセージになりかねないと厳しい批判が巻き起こっていた。
だが、予定通りに出席したイスラエル大使がいる前で行われた湯崎広島県知事のスピーチには、強いメッセージが込められていた。
平和記念式典に招待されない国もある中でイスラエルが招待されることは、政治的にはまずいメッセージと捉えられるかもしれない。
その一方で、この知事の強い言葉で、ちょうどイスラエル大使の表情が大きく映る中継で、世界に対してどのようなメッセージを送ることができたのか。
厳しい立場を理解しているであろう大使本人の心中はわからないが、このことが今年はひとつの重要な出来事として世界に認識されてもらえたらいい。
「真の現実主義者であれ」
そのためには、確かに願いや祈りではなく、行動で示していかなくてはならない。
自らの子どものころからの体験を胸に、自分に何ができるのかを考えている。
エッセイ100本プロジェクト(2023年9月start)
【27/100本】