2022年は資格取得に追われた年②(過去の自分前編)

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さて、ここでなぜ資格取得の勉強に「独学」ではなく、「資格学校」を選んだのか…少し話をしておきたいと思う。

話はウン十年前の高校時代まで遡る。

実は、高校大学時代、自分は「大原簿記学校・社会人課程」に通学をしていた。
高校が商業科だったものの、周りの同級生が簿記の授業についてこれず、先に進みたかった自分は親にお願いをして&親の希望もあり「簿記2級」講座を大原の社会人課程で受講することになる。

行ってみて、違和感。明らかな場違い。
高校生は自分しかいない中、勉強していた。
が、実際はなかなか理解が進まず苦労した。(これが後でわかる実務をこなしているかいないかの差)

簿記は大学受験もあって結局授業を受けた2年後の浪人中の秋に合格することになる。
ただ、最後は大原のおかげでもあった。当時のテキストをやり直し、さらに模擬試験と対策授業も受け、受験していい成績をとっての合格だった。

ここで初めて得たのは、初めて得た「やり切った感」と「充実感」だった。

簿記2級に合格して半年後、大学入学。しかし自分は劣等感に悩まされてる。
実は本来ならストレートで大学に進んでいるはずだった。総合大学の付属高校に在学していたからだ。ただ、途中から勉強についていけなくなり、結果勉強しなかったこともたたり内部進学試験に失敗、そのくせ当時の自分は「自分の中で失敗を許せず」プライドだけが人一倍高かった。
さらに当時は受験戦争末期。
「人よりも少しでもいい大学に入るのがステータス。」
という教え。親も予備校もそんな教えのもとに勉強を進めていた。
とにかく大学の名前だけでもと、1部だけでなく2部も受験していた。
同級生を見返してやろうと思っていた。
しかし全て不合格となり、浪人生活となった。

浪人して合格したのに、合格したのは自分が高校時代通っていた付属の総合大学よりも偏差値が落ちる総合大学の法学部。
俗にいうすべり止め。他全滅。
行くのだって最後まで悩んだが、親にこれ以上お金はかけられないと仕方なく進学した。

大学に入ると、プライドの高さは相変わらず…。
サークルで遊んでばかり、飲み会ばかりの同期や先輩を見て、「なんで自分はこんな所へ来てしまったんだろう」という気持ちばかりが残る生活をしていた。当然やる気もほとんどなく惰性で大学に行っていた。

そんな生活を打破するために、せっかく法学部に行っているのだから…と思い、大学2年時から簿記の時にお世話になった、大原の「行政書士」講座に通うことになる。
ただ、今から考えれば行政書士講座を受けていて「一生懸命さ」は確実に足りなかった。
問題演習量が確実に不足。
確かに今のように「あてる」とか「予想試験・模擬試験付き問題」みたいなものの存在すらも知らず、ただ、与えられた問題集だけをやり、当時の試験では必須だった800字の「小論文」ばかり練習はしていた。

結果2年連続で不合格。原因は2年とも行政法などの法律絡みだった。
何をどうひねくっても、苦手意識は消えず、理解度が増えなかった。
法学部に行って、授業も受けていたのにどうにも乗り越えられない壁だった。

続く