私のダルシム遣い

ダルシムを使うやつはトリッキー。

ヨガファイヤーとヨガフレイムの打ち分けを出来るようになるまでの楽しみね。

全く関係ないスタートになりましたけどなんか公式のタグキャンペーンをやってるらしいので#私のムダ遣いで書こうと思ったらダルシム懐かしいとなってしまい申し訳ありません。

つまりムダ遣いとはこの文章書いてる時間だよ。間違いない。

ムダは大切なんだよ、ムダな事が出来る時間が贅沢なんだろうなと思う。

まったくムダのない人生を考えると、常に何かの役に立っている、貢献している人生?疲れてしまうわ。

何の役にも立たない、何の意味も無い時間が大切なんですわ。

多分本来の主旨とは違うんだろうけど、このままムダな文章を書いておきますよ。毎日毎日この文章を書ける時間を確保できている事が幸福度のラインになるんですよ、この時間が無くなったり、減ったりしてきたら注意しないと。

自分の中でわかりやすい基準は持っておいた方が良いのかも、趣味の時間とかね。

この文章も途中から実は小説だった的な計画もあったんですけどね、ラフの段階では。こうやって日常の事を書いていくじゃないですか、これをうざい位までとりあえず続けて、徐々に話の中に非現実的なエピソードを入れ込んでいって、最終的に異世界に転送されるみたいなね(突然)

要はアイアムアヒーローの序盤みたいなね、日常の中に非日常を徐々に混ぜていって、最後完全に逆転するタイプ。

実際は今のところ終始日常の中に非日常の影を入れ込むスタイルになっています。

だからダルシム遣いとは嘘よ、私リュウ遣いだから。

実は初期のスト2しか知らない。

なんの話だっけ?そう#ダルシム遣いの話。

よくみたらムダとダルシムって全然違うね。

この文章を読んでる人は時間を無駄遣いしているよ。でも楽しくない?私は楽しい。

私の好きな人は

歌う人

踊る人

描く人

書く人

語る人

笑う人

好きな事をしている人

ここからはめずらしく引用

私の好きな小説家カート・ヴォネガットの言葉

アートをやれ。
本気にやれ。
アートは生活の足しにはならないが人生を耐えうるものにする、とても人間らしい方法だ。
上手かろうが、下手だろうが、何かひとつ芸術活動をすることは魂を成長させる術となる。
シャワーの中で歌え。
ラジオの流れる音楽で踊れ。
物語を語れ。
友に詩を書け!
たとえ、ひどい詩でも。
できるだけのことをしろ。
計り知れないくらい得るものがある。
あなたは、何かを創造したのだ。

ムダかどうかなんて考えている暇なんてない。

ムダだから何もしないなら生きることだってそうじゃん。

ムダ死にが嫌ならムダ生きしたらいい。

生きていればまた明日。

また次回。


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中村 大樹
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