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社会人しながら養成所みたいなとこに3ヵ月通った話 ~その5~

明けましておめでとうございます。

という言葉もあっという間に流行語ではなくなった2023年の1月が終わろうとしています。僕はまだ昨年の6月までのことも振り返りきれてないのだ。早く年明けを迎えたい。ということで久々にこのタイトルのストーリーを更新します。

すっかり時間も経ってしまったので、手元の作家さんのアドバイスメモとかすかな面影を頼りに思い出していこうと思う。


前回分は以下です。


前回、関西生まれ23歳フリーターとコンビを組み初ネタ見せを行いました。その名もストラットドュービーというコンビである。命名の由来は村上春樹の小説のタイトルから語感が良さそうな単語をくっつけた名前だ。夏の暑さが近づきつつある日暮里駅近くの墓地でネタ合わせをしていた。1本目が「野球」、2本目が「人間問題」というネタだったと思う。

どちらもしゃべくり漫才で相方が思い描く独自の視点に僕が食って掛かるという、ネタの中身としては面白いと思っていたが、形としてはオーソドックスな漫才であった。

そうすると作家さんには地味というか、引っ掛かりがないというようなコメントをいただくことになった。独自の特徴というか、ネタが終わった後に記憶に残るような特徴を持ってないと戦えないんだというようなことをいろんな人に言っていた。

確かに、素の状態から様子のおかしい奴や濃い顔のハーフ、海外から3日前に帰ってきたやつなど玉石混合の特徴がひしめき合う教室の中でほっそりした男性二人の記憶を強く残すのはよっぽど強烈なネタをやるしかないのだと感じた。


そんなわけでマセキゼミナールは週一回のネタ見せをするわけで、ストラットドゥービーは二週にわたってネタをしたが、しっかりとした感触を得られていなかった。


そんな悩みの中、前回の予告通り、雨夜の分岐点が誕生することになった。


駒込駅近くの公園で仕事終わりにネタ合わせをしながら、なんか特徴ないかなーと雑談してた時に、「そういや俺めっちゃ低い声だせるよ」と面白半分で提案した。
大学時代アカペラ部に入って一番低い声のパートをやっていたし、中学のころから加藤鷹さんのものまねで男子達の心を掴んできたという経験があるので半分ふざけていたがまあ嘘ではない特徴だった。


そんなわけで作ってきたネタを僕が低い声でやってみるという形式でゼミナールでネタ見せをすることにした。

ネタ見せの番になり「お願いします~」と僕が低い声であいさつする。みんなの視線があつまる。当然だ。先週まで、というかさっきまで普通の人間の声でしゃべっていたやつが急にえげつない低い声でにやにやしながら喋りだすんだから異質でしかない。

この異質さが人の記憶に残ることなのだろうなと勉強になった瞬間だった。

肝心のネタの方だが、もともと普通の声でやる想定で作っていたネタだったので、低い声でどう感情を載せたらよいか分からずなんともちぐはぐな感じで終わってしまったような気がする。

作家さんのダメ出しが始まるが、開口一番「声どうしたの?(笑)」と聞かれた。
「もともと声低いほうなのでそれをデフォルメというか強調してみました。」「面白いね(笑)」
ということでなんとかひょろひょろ男子二人が特徴を手にすることができた。


てなわけでここからはネタの方向性を大きく変え、この声でしゃべっていても違和感のないスローテンポのネタに舵を切っていくことになる。めちゃくちゃ言い合う漫才をしてたのに一気にセリフ量が減った。

しっとり漫才しているコンビがストラットドゥービーなんて促音と伸ばし棒があるコンビ名違和感あるなと感じ始め、ほなお互いに朝起きて一番最初に思い浮かんだ単語をラインで送りあってコンビ名にしようということになった。

その結果、相方が「雨」、僕が「夜の分岐点」と送り無事に雨夜の分岐点が出来上がった。比重的には半々か。


そこからはネタ作りに試行錯誤していた。セリフ量が減れば当然ボケの数も減るわけで、その分一つのボケの役割を大きくする必要がある。スローテンポのネタをやる人が減っていくのはこういったからくりだろう。なかなかホームランばかり打てるわけがない。


そんな感じで三週くらいネタに悩みながらも毎週新ネタを作っていき、ようやく一つの形として「棚からぼた餅」のネタが生まれた。

もともと相方がボケ、僕がツッコミだったが、僕が低い声になったがゆえになんかツッコミ感がなくなりどっちもやんわりボケみたいなネタになった。

この棚ぼたのネタが作家さんたちにも好感触だった。


ようやくなんとなく形が見えてきたのが6月の1週目。毎月20日に開催されていた両国のオリーブゴールドオーディションに挑む心持ちになった。


初めてのオーディションという経験。有給をとって午後15時に両国の公園に集まり列に並ぶ。これだけの人がお笑いを志しオーディションを受けにきている。きっと僕たちよりたくさん努力してるし、苦労もしてきている人がたくさんいるだろうと震えながらエントリーシートにプロフィールを書いた。まだ僕は26歳だった。



さて初めてのオーディション。手足を震わせながらネタを2分間おこなった。スローテンポで間をとりまくる漫才なので、沈黙の時間が怖すぎて汗でてきちゃってた。間違いなく。


ゼミナールのネタ見せと同様にほとんど笑い声のない空間に言葉が浮かんでは散っていく2分間。こーわ。無観客M-1グランプリすぎた。。


そんな6月の震える日に、電話が震えオーディション通過の連絡を受け取った。やった~~~。



はい。ようやく6月まで振り返ることができました。4~6月の三か月、社会人しながら養成所みたいなところに通ってた話でした。


次回、7~9月編および10月~12月編へ続く、、、


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