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地方移住x起業し古民家カフェオーナーとなったわたしのふりかえり①

こんにちは。
お山でこころ豊かに暮らすフルキアキコです。

今回、いろんなご縁で
いろんな方とFB等でつながり自分のことをお話しする機会が増え
改めて、振り返ったり客観的に見てみました。

せっかくの機会なので、
note にまとめてみました。


興味のあるところだけでも、お読みいただけたら嬉しいです。

意外に色々やってるなーとか
やっぱり変わってるなー(笑)と
客観的に見れました。

皆さんにもこれから会う人を想像しての

自己紹介お勧めしますー

それでは、どうぞ😊

高知のお山へ移住

縁もゆかりもなく、行ったこともなかった高知県に今住んでいます。

移住のきっかけは東日本大震災。

今までの自分の暮らしを変えようと単身で高知県仁淀川町に移住しました。

高知県には来たこともなく、四国にも行ったことがありませんでした。

そんな私が2013年にお山に移住するまでを振り返ってみます。


移住前のわたし

実家は神奈川県。都内まで片道1時間半の満員電車に揺られ、灰色な日々を過ごしていました。

仕事は貿易事務、やりたい雑貨やインテリアの仕事でやりがいもありました。

サラリーマン家庭に生まれ、
『フリーランスや独立する人は専門性のある特別な人』
という思い込みがありました。

そうでない私は、満員電車の苦痛に耐えガマンの対価として収入を得るしかないと思っていました。


でも、30歳を越え『残業が美徳』という社風、女性も22時過ぎまで残業する生活に長くは無理と感じていました。


毎日、12時間近く空調のきいたオフィスでPC作業。本当に苦痛で、お昼休みは休み時間が減ってでも10分離れた公園まで歩いてお弁当を食べていました。

今思えば、不自然だったと思うし自然を欲していたんだなと納得できます。

頑張りすぎると、体調を崩し子供の頃からのアトピーが悪化し入院したことも。

体調不良から食やからだに興味を持つようになります。


マクロビ弁当を食べたことをきっかけに、有機野菜や料理に興味を持つようになり、有機農家さんのお手伝いに行きました。

外の作業がとっても気持ちよく、鳥のさえずり、風の気持ちよさ、とりたてのお野菜の美味しさに感動し、

『自然に寄り添った暮らしがしたい』

と思うようになります。

そこから、葉山の白崎茶会やべにや長谷川商店のお豆料理、つぶつぶ料理、マクロビなどを学ぶようになります。


そんな時に、
2011.3.11東日本大震災。


都内で働いていた私は、電車も止まり帰ることもできず、会社で朝まで過ごしました。

その後も、スーパーが計画停電で開かなかったり、コンビニの棚からどんどん物がなくなっていく状況。

一人暮らしをしていたので、たくさん人がいても頼れる人や繋がりのある人は近所にはゼロでした。


人が多いことはちょっとしたことでパニックになりやすく、道路も渋滞で動かないような状況。

今後同じような事態があったら、脱出することが難しいと都会で住むことにリスクを感じた出来事でした。


また、原発や社会の仕組みも全く知らずに生きていたことに愕然としました。

これからどう生きたいのか、何ができるのか、なんのために生まれてきたのかを考えた大きな出来事でした。


社会や経済、原発の仕組みを変えることは難しいが

「自分の暮らしを変えることはできる」

と移住を考えるようになります。

高知との出会い

東京で野菜づくりのワークショップに参加したのをきっかけに、高知は素晴らしさを聞きました。
四国のイメージは遠く全く行ったことがなかったのですが、気になるようになりました。

地元の方を紹介してもらい最初に来たのが、2012.9月。2泊3日の滞在でした。

その後、11月に2週間、2013年3-6月まで3ヶ月。wwoofのように宿泊施設のお手伝いをしながら、いろんな人と出会いました。

満員電車の違和感から、

毎日がお山の中、美しい紅葉や仁淀ブルーの川へ。

春は芽吹きのエネルギー
雨のあとは、水墨画のような景色


ため息の出るような素晴らしい自然の数々
全くの別次元、別世界でした。


お山でスーツを着たサラリーマンに会うことはほぼありません。

サラリーマンが少なく、名刺の肩書きが複数ある方が多いです。
お年寄りも70代でも現役、

野菜や加工品を道の駅で売ったりとても活き活きと暮らしています。


30代後半だった私は、先細りの人生しか描けなかったのですが
「まだまだこれから」
と書き換わったタイミングでした。


満員電車の灰色の人たちとは違い、皆さん明るく、暖かく接してくださいました。

そして、とても豊かな表情をされています。
知り合いも増え「ここで暮らしたい」と思うように。

そのころ、考えていたことは

暮らしがしごと、しごとが暮らし

Get your hands dirty!

Think globaly,act localy.

木のある暮らし

移住を考える方へ

【移住してよかったこと】


◎サラリーマンがいない

みんなできること得意なことで肩書きが複数ある人が多い。

◎みなさん複数から収入を得ている

プロでなくでも、小屋を作るおじさんや、狩猟や神官さんだったり

なりたい環境に飛び込むことお勧めします。

◎お年寄りが元気

私は30代後半でしたが、自分的には先細りな人生しか描けませんでした。
みなさんいきいきとされいて、いいお顔をされています。
私もまだまだこれから。と思えました。「かわいいおばあちゃんになること」が目標になりました!

◎農は特別なことではない

耕作放棄地が多いので、草になるより使ってくれるならと大体タダで借りられます。
土の触れるのは無になります。草むしりでも、耕すだけでも。
農は難しくないです。

農業でなければ、土と水が育ててくれます。
大地への感謝につながります。
作物も愛おしく感じます。
小さな実でも葉っぱでも食べたくなります。

◎起業のハードルは低い

フリーランスや個人事業主が多い、マルシェや日曜市、道の駅など販売できる場も多い。
家賃や場所も安く借りられる。
ただ、やり方は重要。

◎自己肯定感が上がり、自己表現できる

自分できめて、自分で行動し、その結果をダイレクトに受け取れる。
自己表現、人生の醍醐味

◎価値観が書き換わった

お金や年齢、時間や仕事、暮らし方
あるのも全てが違い、
豊かさの概念が書き換わった


【マイナス面】

◎車の運転は必須

 密になる電車に乗ることは皆無

◎地域との関わり

 お祭りや寄り合いなど、濃さも地域でそれぞれ

 楽しんで関わると昔話など面白い

◎インフラが整っていない

 光回線が数年前に入ったばかり

◎文化的なものが少ない

 コンサートやライブ、美術館などはやはり数が少ない

 自主上映の映画などは面白い方達がいる


高知県仁淀川町のこと 

高知県仁淀川町は高知県と愛媛県の県境。
300年続く神楽があり、平家の落人伝説もある山深い土地です。

高知市内からは1時間半程度、松山市から2時間程度。



不便な場所だからこそ、自分たちでつくる必要があり

お味噌やこんにゃく、おまんじゅうや田舎寿司など

お母さんたちの手作りの美味しいものがたくさん残っています。


90代の方も本当にお元気。

毎朝、太陽を拝んでスタートする。

美しい日本の暮らしが残る町。


私は移住して昔ながらの暮らしが残っていることが一番の魅力でした。

お山暮らしの豊かさをつなぎ、地方でこころ豊かに暮らす

を体現したいと思っています。


長くなりそうなので、

こんにゃくとの出会いや今の私のことは

また次回😊

お読みいただきありがとうございました☆


つづきはこちらから

地方移住x起業し古民家カフェオーナーとなったわたしのふりかえり②



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【移住x起業】古民家カフェオーナー フルキアキコ
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