見出し画像

白銀の美青年をお迎えした話


* ATTENTION *
リアルなお人形(球体関節人形、bjd)の写真
ドールのアイ、ウィッグなしの写真
ドールの素肌
まぁまぁウェットな表現
以上が含まれますので御理解いただける方のみ
先にお進みくださいませ


“運命は偶然よりも必然である”
——芥川龍之介『侏儒の言葉』より

簡潔ながらも核心を捉えたこの一節は、幼い頃より、私の気に入りである。
ひとくちで言ってしまうとすれば、運命は、我々の意志によって引き寄せ、定めるもの、ということだ。私はそれを度々実感してきた。そして忘れもしないあの日——6月18日である——私は久方ぶりに、そのの言葉を思い出すこととなった。



出会い

私の家にはドールがいる。
2023年の春に里子として迎えた、ブロンドの巻き毛が愛らしい美少年だ。私の脳内に生きる理想の美少年の名を取りIvo(イーヴォと読む)と呼び、ベッドに寝かせて時々顔を眺めていた。
しかし、様々なよくないことが身に降り掛かり、ドールを愛でる気力も体力が枯れてしまっていた。可哀想に、美少年はゲーミングチェアに座らせられる日々が続いた。

元来熱しやすく冷めやすい、しかし火種は持ち続ける性分である。いつかまた彼を可愛がれる日が来るだろう。いつか、何かしらのきっかけがあれば、再び彼の顔を正面から見れる日は来るだろう。そう信じていた。
しかし転機は意外にも、と言うにはあまりに衝撃的に、訪れた。

その日、私はTwitterの準本垢のタイムラインを眺めていた。何の変哲もない休日であった。
フォロワーのツイートを眺め、おすすめに出て来る漫画を読み、暫くしてふと「今DOLKにはどんな子がいるんだろう」と思った。何かしらの理由をこじつけるとすれば、確か四月にドキュメント72時間のドール特集があって、創作のために推しの顔の造作を仔細に観察して、人型のものに若干意識が向いていたのだと思う。
DOLKの公式Twitterアカウントに飛んで、画像欄をスクロールする。へぇ、こんな女の子がいるのか。こっちの男の子も格好良いな。そんな人並みの感想を抱きつつ遡っていくと、指が止まった。

ぎんいろの天使がいる。

彼に最初に抱いた感想は、少なくとも文筆業にありついていた人間とは思えぬほど、稚拙で単純だった。

いちばん最初に撮った思い出のスクリーンショット

なんかどこかで見たような顔だな、と冷静に思う一方、私は茫然自失とも、激しい興奮とも、呆気にとられたとも言い切れぬ、名状し難い感情の渦にいた。人間には心の底から湧き上がった感情を瞬間的に判断する能力は無いらしい。ひとつ、確かに分かるのは、私はこの手の美しい男に目がないということだった。

それからは行動が早かった。
すぐにリンクを踏み、特設ページを熟読し、キャリアの乗り換えで作らされたばかりの新しいクレジットカードの情報を打ち込み、応募ボタンを押した。
およそ三分程度だったか。本気で手が滑ったな、と思った。大きな買い物は月単位で悩む私が、三分のうちに、十数万円を未来の私に支払うことを命じたのである。一目惚れとは、おそろしいものです。
しかし彼は所謂“特別版”。海外のカスタマー様とのコラボドールで、世界に20体しか存在しない。Twitterの宣伝ページも多くRTされていたし、彼が籍を置く会社はどうやら惜しまれながらも閉店し、つい先日復活を遂げたばかりの大人気メーカー。その中でも彼は長年根強いファンのいる(Twitterで真名を調べただけなので“らしい”としか表現できないが)タイプ。

どーーーーせ当たらないだろう。
そう思っていた。こんなにも麗しい、天使と称するに相応しい子が、当たるはずがない。彼が生まれてきてくれたことへの感謝というか、その姿を見せてくれてありがとうというか。観覧料、が正しいのかもしれない。うちに来ないにせよ、貴方に素直に惚れ込んだ証として、お金を預けます。もし、もし来てくれるのであれば、そのときは。といった風に。
手が届くかわからないものに手を伸ばすときは常に諦念を抱き、落下の際の受け身を取ろうとする。私の悪い癖である。


当落

チケットやグッズの当落。
皆さんは経験したことがあるだろう。今日で決まる、と緊張半分期待半分、その日一日、何も手に付かない。そんな経験が、一度くらいあるはずだ。
しかし先述の通り、私はご自慢の悪癖によって、何ら普段と変わらずに過ごして——いるわけではなかった。
どうやら抽選は夕方に行われ、16時以降に来るらしい、という知ったばかりの情報を握ったまま、17時。平常心を取り戻そうとシャワーを浴びていた。

どうしよう。落ちたらどうしよう。

受験の時より余程緊張していたと思う。
あんなに諦めのクッションを敷いていた筈なのに、いざ飛び降りた先に彼がいなかったらと思うと、ひどく悲しく、やるせなくなってしまった。
私は彼がほしかったのだ。彼に選んでほしかったのだ。あの砂糖漬けにした菫色の双眸に、私の姿を認めてほしかったのだ。一目見たときから、惚れ込んでいたのだ。
本来ならばここで神に手を合わせ跪くところだが、自分の感情を理解した途端、野生の勘がはたらいた。

これ、来るやつだ。絶対当たる。間違いない

根拠は無い。無いが、直感がそう告げてくる。
私が彼を迎えなくてどうする。美少年をはじめとしたうつくしいものに囚われ、美の婢女として生きる私が迎えなくて、一体どうするというのだ。
時計を見ると17時20分近く。この天啓が真実なのか、過信なのか。



当選、の二文字に生きてきた中で最も華麗なガッツポーズを決め、速やかに風呂場を出て煙草を吸う。
家にうつくしい存在がやってくる。
惚れた子が手を取ってくれた。
特別なときにしか吸わないソブラニー・カクテルの味は、この日は特に格別だった。私は私の意思で彼に手を差し出し、無事に彼との縁を掴み取ったのである。あのとき眺めるだけで終わっていれば、彼は来なかった。大きい買い物なのだからと窘める理性を無視して、偶々持っていた上限額の大きいクレジットカードを使って。あらゆる偶然を乗りこなし、私は文字通り「必然」の道を選んで彼を射止めたのだった。

(余談だが、ドールオーナーの喫煙者率が低いのはやはりドールの保管などに由来するのだろうか。
私は不良なドールオーナーなので、ドールも煙草も同じくらいに愛している。換気扇の下でしか吸わないし、無香料のファブリーズも欠かさず、ドールに触れるときは煙管を使って少しでも臭いがうつらないようにしているが、果たして。)


邂逅は突然に

彼のお迎え確定と推しのキャラド作りをきっかけに、ドール用のTwitter垢を作った。おともだちもできた。彼の発送は10月ですよ、と説明に書いてあったので、お迎えが決まってから毎日、ドールのお話がたくさん流れるタイムラインを心地よく思いながらゆっくりと彼用の洋服やら小物やらを探していた。
淘宝とREDを駆使し、漸く彼のための完璧な一式を見繕い終わった9月5日。
依頼のメールがメインアドレスに入り、どれどれとアプリを開くと、DOLKの文字が目に飛び込んできた。
何か買ったかしら。否、買っていない。では彼のことかしら。でもまだ9月も始まったばかり。一体何だろうか、とメールを開くと

「商品発送のお知らせ」

彼だった。
この頃、仕事で色々不運が重なりめっきり元気を失くしていて、9月4日時点でTwitterで「次男(彼のことである)ーー😭はやく会いたいよーーー😭😭」とのたうちまわっていた。それを、おまえは、見ていたのか? 私のTwitterアカウントを知っているとしか思えないタイミングで、彼が発送された。そして到着は連勤真ん中のいちばんしんどいであろうときの夜。あまりにも私に徳しかないお迎え予定日。何もかも見透かされていたのかもしれない。只者では無いな、と思った。

急に彼が来ることとなり、嬉しいやら心の準備が出来ていないやらでオタオタしていた。オタオタしていて、私は唐突にある事に気が付いた。

お洋服が無いどころか名前すら決めてないじゃん

そう、彼の名前。決まっていなかったのである。服は友人と「何着せよ〜」「彼だったら裸も綺麗そうだけどね〜」「やっぱり〜?」などと喋っていたので百歩譲として。あと1ヶ月あるから!と余裕をぶっこいていた当時の私の頬を張り倒してやりたい気分だった。翌日の仕事の休憩中に名前の候補を二十ほど考えたが、どれも実感が湧かなかった。どれも合うような、どれもなんとなく違うような。結局、五つに絞って、あとはお顔を見て決めようということで落ち着いた。

楽しみなことがあると1日が早く過ぎるものだ。
9月7日。確実に受け取れるように退勤後に配達時間を調整させていただき、仕事に向かった。体感2時間の労働を終え、地下の電波の通らない監獄のような職場から地上に出たとき、怒涛の通知に紛れて母からのLINEが目に入った。一言、届いてるよ、と。時刻を見れば私がタイムカードを切るとほとんど同時ではないか。彼はどこまで私を喜ばせれば気が済むのか!
慌てて家に帰り玄関を開けると、

デッッッッッカい段ボールがいた


デッッッッッカ……
え?こんなデッカいの……?
それもそのはず、彼は60cmクラスの青年だ。凡そのサイズとしては、成人が両腕を真横に伸ばし、そのまま内側に橈骨を折り畳んで、左肘先から右肘先までよりも少し大きいくらい。とにかく「想像してたより全然余裕で大きい」ということである。

すぐに風呂に入り食事を済ませ、落ち着いたところでいざ開封の儀。このとき既に、何故かピンポイントで体調が悪くなり二回ほど無意味に嘔吐していた。何故かは分からない。恐らく興奮で自律神経が狂ったのだろう。

ドールが届いたときの段ボールは何かと有用なので丁寧にテープを切り畳んでおく。緩衝材の中から出てきたメーカーさんの箱は畳まずにそのままで。可愛いから畳むのが勿体なかった。

本の表紙のようなデザイン。とてもかわいい


恐る恐る箱を開けると真っ白のおふとんの上に、出生証明書。日付を見ると、どうやら彼は23年11月8日生まれらしい。私の誕生日と四日違いである。何たる偶然。何たる奇跡。こうも神の悪戯が多いと何かしら見えない力がはたらいているのではと疑ってしまう。今ならディープステートの存在を信じられるかもしれないとさえ思った。既に興奮で頭がおかしくなり始めている。


バースデーカードと共に。


まだお顔は見えないよ


先住ドールとお迎え風景を撮影するのが密かな夢だったのでギリギリで思い出せてよかった。完全に部屋着のままIvoを連れ出してしまい申し訳なかったが、彼も新入りに興味津々の様子。



フェイスカバー越しだが、既にうつくしいことが分かる。しっとりと薄い唇。石膏を削り出したかと見紛う首筋と鎖骨。
長い爪で傷付けてしまわぬよう、ゆっくり、ゆっくり彼を取り上げる。


肌が露出していて恥ずかしかったので
ギリギリまでおふとんをかけた
非の打ち所がないEライン


ドールのおハゲは親の顔より見てきたが、これ以上に美しいおハゲを私は見た事がなかった。
この状態で十分以上放心していたら、物音がしないのを訝しんだ母が様子を見に来た。大丈夫です。

付属の特製石膏アイと、何故か入っていた謎のアクリルアイとベーコンの塊(スカルピーという粘土。アイパテらしい)をあれこれ弄り、身体を起こしてアイを装着。彼に触れる度に「失礼します」「すみません、触りますね」と無意識に喋っていた。既に二者間での力関係が垣間見える。


淡い桔梗の花弁とコスモスの香りで彩られた目元。
ツイと伸びる純白の睫毛。
雪解ける冬と春の狭間を宿した瞳。
あとなんかきらきらしてる。

やはり人間には心の底から湧き上がった感情を瞬間的に判断する能力は無いらしかった。

初めて触るモヘアのウィッグの柔らかさに悪戦苦闘したがなんとか無事に彼の尊厳を守ることに成功した。
そして記念すべきお写真がこちら。


ファインダー越しにぶつかる視線は存外に鋭く、此方を見ていながら、瞳孔を通して頭蓋までもを見抜かれる錯覚にさえ陥った。肌の滑らかな質感と描く曲線美は角度によっては本当ににんげんのようで。しかし、彼の持つ溢れんばかりのうつくしさの、僅かほんの数滴もあらわせていない気がする。致し方ない。彼は来たばかりで、私とも出会ったばかりなのだから。流石に全裸で居させるのが居た堪れなく、今は柔らかい布で身体を覆ってもらっている。


肝心の名前だが、悩んだ末に「Fedya」と名付けた。
彼に付けられていた名前はロシア語に由来するもので、それであれば、と。正しく神の贈り物である彼に相応しい名前だと思う。口の中で転がしたときの味わいも良い。どことなく可愛らしく、子供っぽい響きがアンバランスで、しかしやはり似合っていて、ひとまず彼の魂の所在を正しく示せていたようだった。

秋の始まりとするには暑い9月。
薄暗い部屋でFedyaを膝に乗せ、すきとおったプラチナブロンドの髪を撫でる。柔らかく北極星の光をたたえるそれは、確かに訪れるであろう冬のひとさじだった。



あとがき
ポージングの際、リトルモニカの関節と和解出来ずに悩んでいたが、集合知によると、関節部を引っ張りながら肘を曲げると二重関節の要領で固定が可能になるらしい。メーカーによって関節の動きが違うのは非常に興味深い。いずれ体内に針金を仕込むという技もやってみようと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?