もう いいよ!
何も良くないし 思考を停止する輩は嫌いなので
嫌いな言葉である
勿論 状況によるので単に単語だけを抜き出して「好き」「嫌い」を言うのは間違いである
熟考し 行動し 努力した結果 もういいよ
と言うのは断然ありだと思うし
登り切れない階段を途中で諦めるのは必要であろう
只 最近続けざまに 何も考えないで言うのを聞いたので かなり苛ついている
ある商業施設が閉鎖され 習い事の教室が閉鎖になり その関係で新しい同好会の様なモノを作ろうとしているのだが お年寄りと頭の悪いお子様が同じ事を言うのだ
何も考えずに即答する
「 もう いいよ 」 「 いいすっよ 」 「 もう いいんじゃない 」
はぁ? うっせわぁ! ← これは言いたいだけw
過去にスポーツの団体を立ち上げた時も スポーツ保険に入る事を勧めた20代男子が 他の保険に入ってるので
「入らなくて いいっすか?」とか言い出したので
結局 任意ではなく 団体に所属したいなら強制的に保険加入という事にした
別段 年間に1800円程だし その若者の経済状態を見ながら言っているので決して厳しい金額では無いのだが 保険料を安心料を援助をケチるのだ
保険料とは 相互扶助だと思っている 自分だけの為に入るのでは無いと考えているのだが 彼にとっては 勿体ない1800円なのだろう
目先の小さな損得だけを考えて言う事が 賢い事だと考えているのだ
逆に お年寄りは 何か新し事を始めたり考えたりするのが面倒なだけで思考を停止させた結果
「 もう いいんじゃない 」
と宣う 言い方は流石に若者の様には言わないのだが
× いいんじゃない?
〇 いいんじゃない!
なのである 断定的で言い切りの形を取っているくせに 断定的なのかと確認すると 曖昧な回答をして誤魔化す
伊達に歳を取っている訳では無い方が大半なのだが 中に考える事をしないで反射的に言う方も居る
そのくせ理詰めで突き詰めると 曖昧な答えを繰り返し
最終的に 「 みんなに合わせるよ 」 と言う
なら 初めからそう言えば 良いのモノをと考えてしまう
どちらの場合も 思考の 浅慮 放棄 に属する事なのだろうが
ほんの数分考える事をケチる習性に疑問を感じる
別段 自分の親族でも無いので 他人の事など無視すれば良いとは分かっているのだが
自分の身近に 思考を停止させている人間が居ると 無駄に苛つくのだ
適当な事を 感情だけで適当に宣って居れば
誰かが何とかしてくれる
誰かが助けてくれる
そんな考えの人間が多くなると想像するだけで 寒気がする
それ転生もので よく出て来る 奴隷って奴の考えですよねぇ
等と思ってしまうのだ
「 もう いいよ 」
頑張った後に 慰めるには良い言葉だと思う
不要なモノを切り捨てるのには使うべきだと思う
必要な人もいるだろう 言葉だと思う
けれど
私の中では 呪いの言霊に聞こえるのだ
過去に自分が
目を背け 逃げ 諦め 心を殺してしまったから
光は きっと有る 有ると信じるだけでも 救われる
皆の 今日が 明日が 良い日で有ります様に