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【雑記】スタァライトのパチスロ化に思うこと

10月29日に判明した、ブシロード発の「二層展開式」メディアミックス作品『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』のパチスロ化が、スタァライトのファン、いわゆる「舞台創造科」の間で賛否を呼んでいる。

「コンテンツのパチスロ化」はスタァライト以前から常に各コンテンツのファン間で賛否両論を呼んできた爆弾のようなトピックであり、スタァライトもその例に漏れず、判明から数日が経った今なおファン間の議論、というかお気持ちバトルの火種になっている。

自分は今回のパチスロ化に肯定的ではあるのだが、否定派・反対派の気持ちもよくわかってしまう。
このnoteでは、僕なりの否定派・反対派の気持ちの推察と、僕がなぜ今回のパチスロ化を肯定しているのかを書いていく。


◆反対派の気持ちを推し量る

SNS上に見られる、スタァライトのパチスロ化に対する否定・反対意見の内容はおもに2つに分かれる。

ひとつは上記のツイートのような「スタァライトがギャンブルの題材になるのが嫌だ」という主張。私見だが、SNS上の主な反対意見はこちらだという印象がある。
だが、この主張はちょっとスタァライトという作品を知っている人なら誰でもわかる矛盾を抱えている。

「スマホゲーム(スタリラ)になった時点でスタァライトは賭博になってます。投資の対象が違うだけで、ガチャとパチスロは同じ賭博です」

この一文で、「スタァライトがギャンブルの題材になるのが嫌だ」という主張は論破できてしまう。
だけども、否定派の言い分もわかる。わかってしまう。

令和の現在、競馬・パチスロなどの賭博をするオタクは珍しくなく、そうした趣味を堂々と公言するオタクも多いが、僕の世代、具体的に言えば『電車男』などを通過してきた世代のオタクには、パチンコ・パチスロ、というか賭博に対する強烈な忌避感があった。
『電車男』世代のオタクが高校生~大学生であった平成末期、パチンコ・パチスロはオタクであるかどうかを問わず「自身を律することのできない社会不適合者・ギャンブル狂の遊び」とみなす人が多かった。それに、『電車男』世代オタクにとってパチンコ・パチスロは、当時オタク迫害の先鋒に立っていたジョックや不良の趣味、という印象が強く「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の精神でオタクからは蔑まれていた。
これに拍車をかけたのが、当時まことしやかに流布されていた「パチンコ・パチスロ企業の元締めは北朝鮮で、それらの売上の一部は北朝鮮に送金されている」という都市伝説だ。今となってはバカバカしいが、折り悪く当時は「嫌韓」ブームの真っ最中。当時のオタクというかネット民はこの都市伝説を信じ、ますますパチンコ・パチスロを軽んじた。
要は当時のオタクはパチンコ・パチスロをオタク趣味よりもレイヤーの低い「俺達を理解しないジョックや不良がやるような低俗な趣味」と見ており、それに興じる者を蔑んでいたのである。

ウチの高校にも授業サボってパチンコ打ってた不良、いました

「スタァライトがギャンブルの題材になるのが嫌だ」という意見を唱えている人々は、上記のような令和以前にあったパチンコ・パチスロに対する軽蔑がうっすらと残っており、「スタァライトが汚い金稼ぎの道具に堕してしまった」と認識しているのではなかろうか(さすがに「パチンコ・パチスロ、北朝鮮の資金源説」なんてトンデモをいまだに信じている人はいないと信じたいが)。
例えるなら、DLsiteやFANZAで腐る程見られる「クラスのアイドルで俺達みたいなオタクにも優しくしてくれる清楚ちゃんが、実は不良のチャラ男くんと付き合ってたなんて…!(脳破壊)」的な心持ちに陥っているのかもしれない。
正直に言うと、僕もスタァライトのパチスロ化を肯定はしているが、そうした悪感情がないとは言えない。激烈なアンチ・ヘイト感情こそないものの、薄ぼんやりとした「ああ、ついにスタァライトもパチスロになっちゃったかあ」という落胆がないと言えば嘘になる。なので、こう主張する人々の気持ちもわかってしまう。

もうひとつの否定・反対論が、一部の舞台創造科の持つ「スタァライトという作品はもう終わってもいい」という思想からくる、後述する「パチスロ化がもたらすコンテンツへの正の影響」を踏まえた上での「パチスロ化によるスタァライトのさらなる飛躍」を拒む否定・反対論。
舞台創造科でない読者にかいつまんで説明すると、スタァライトはアニメ、舞台共に「卒業」をテーマとして描き、「何事にも終わり・卒業は訪れるが、それを恐れず、停滞を良しとせず、前に進み『生まれ変わり続ける』者こそが真の舞台人である」「終わり・卒業は決して悲劇ではない。たとえその時は別れても、同じ『舞台』という目標に進み続ければまた出会える」と、卒業を肯定的に描いていた。
同時に、本作はメインキャラクターである9人の舞台少女(キービジュアルにいる9人)の物語に、アニメは2018年の『劇場版』とその続編である今年夏に発売したノベルゲーム『遥かなるエルドラド』で、舞台は2023年の『#4 Crimax』でピリオドを打っている。
このため、舞台創造科の中にはスタァライトという作品に通底する「終わり、卒業は悲劇ではない」というテーマを踏まえて「9人の『戯曲スタァライト』を巡る物語にはピリオドが打たれた。次の舞台に進んだはずの9人の影響力にすがりついて無理やりコンテンツの寿命を引き伸ばすくらいなら、ここでスタァライトはフィナーレを迎えたほうがいい」という思想を持つ人が一定数存在しており、前者の主張に比べると数は少ないもののこうした主張も一定数見られた。

「良き終末を」的な思想、スタァライト界隈では結構見ます

これも気持ちはわかる。詳しくは後述するが、9人の舞台少女の物語を描ききったあとのスタァライトはゲーム・舞台発のライバルグループ・後継グループを出しつつも彼女らに今後の作品展開の軸をシフトできているとは言い難く、卒業したはずの9人のパワーに頼っている面が目立つ。これを「卒業を前向きに描きながら、卒業したはずの9人に頼り続けている今のスタァライトは醜い」と感じてしまうのも仕方のないことだろう。

◆パチスロ化という追い風

だが、僕はそうした否定・反対論に理解を示しつつも、前述の通りパチスロ化を肯定する。
なぜなら、パチスロ化するとコンテンツに金が入り、時に「死に体だったコンテンツの復活」「コンテンツのさらなる飛躍」という大きな奇跡を起こすからだ。

雨宮慶太氏が監督し、2005年にスタートした特撮ドラマ『牙狼』はパチンコ・パチスロからのマネーが強い追い風になった良い例だ。当時、本作は特撮ファンから支持を得つつも展開は2006年放映のTVスペシャル『白夜の魔獣』でストップしており、一応物語にはピリオドが打たれてはいたものの「牙狼の世界の広がりをもっと見たい」と切望するファンも多かった。
風向きが変わったのが2008年のサンセイアールアンドディからのパチンコ化。これが大ヒットしたことで作品には莫大なマネーが入るとともにファンが増加し、4年越しに展開が再開。劇場作品『RED REQUIEM』と外伝作『呀〈KIBA〉』、そして『RED REQUIEM』から続く正当続編のTVシリーズ『MAKAISENKI』に繋がり、更にそれらを土台にTVアニメ、さらなる映画化、各種ゲームとのコラボレーションが行われ、シリーズは令和の現在まで続くロングセラーとなったのだ。
他にも、パチスロ化が続編アニメ映画の制作につながった『ゼーガペイン』や『蒼穹のファフナーシリーズ』など、パチスロ化が作品にさらなる飛躍をもたらした例は枚挙にいとまがない。
僕がこの話題を知るきっかけになったツイートをした「電光MMM」氏も、推している作品『魔法少女育成計画シリーズ』がパチスロ化で死に体から息を吹き返したことを語っていた。

それに、先程「『パチスロ化がもたらすコンテンツへの正の影響』を踏まえた上で『パチスロ化によるスタァライトのさらなる飛躍』を拒む層が一定数いる」という話をしたが、僕は彼らの主張に異を唱えたい。
確かにメインキャラクターである9人の舞台少女の物語には『劇場版』と『遥かなるエルドラド』でピリオドが打たれた。だがここでスタァライトが終わったら、『スタリラ』初出の3校や、新世代の舞台少女として活動している『シークフェルト中等部』はどうなるのだ。

かつてnoteに書いたが、スタァライトには、メインキャラクターである「聖翔音楽学園」の舞台少女とは別に、『スタリラ』発の「凛明館女学校」「フロンティア芸術学校」「シークフェルト音楽学院」や、舞台発の「青嵐総合芸術院」「シークフェルト中等部」など、9人の舞台少女と鎬を削り研鑽し合うライバルグループが存在するのだが、その扱いには大きな格差がある。

鳴り物入りで『スタリラ』に登場した3校だが、スタリラ内で基本的にスポットライトが当たるのは聖翔の舞台少女ばかり。自身が主役となる舞台があった「シークフェルト音楽学院」以外は多忙なキャストの都合などに阻まれ活躍する機会がなく、不遇な2校を推すファンからは「アニメでも舞台でもなんでもいい。もっと凛明館/フロンティアの活躍を見せてくれ」という嘆きの声が常に聞かれた。
また、(作中で)卒業していった聖翔、凛明館、フロンティア、シークフェルト、青嵐の5校の舞台少女に代わる、新時代の舞台少女として颯爽登場し現在も活躍中の「シークフェルト中等部」も主な活動のフィールドは舞台で、アニメ版から入ったファンにその存在や活躍が周知されているとは言いがたかったし、スタリラに参戦はできたものの、大きな活躍ができないままスタリラはサービス終了してしまった。
パチスロ化は、コンテンツの軸を担っていた聖翔の影に隠れてしまった彼女らが再び輝くチャンスを生むかも知れないのだ。
これまたnoteで語ったとおり、僕が現在スタァライトに望むのは「シークフェルト中等部を軸にした99期生卒業以降の物語の、アニメなどの、多くの人が触れやすい媒体での展開」「舞台に一度出たっきりの小春の妹・さくらや唄島農業高校・舞鳥女子高等学校のメンツ、青嵐の1年生などの活躍」だ。今回のパチスロ化は、僕のようにまだまだスタァライトの飛躍を望むファンや、不遇をかこつ上記のライバルグループのファンにとっては福音とさえ言えるチャンスなのだ。
それを すてるなんて とんでもない!

◆おわりに

前述のように、今回のパチスロ化をめぐる騒動において僕は肯定の立場を取る。確かに「99期生の威光に頼って無様に生き続けるよりは、ここでピリオドを打って、美しくフィナーレを迎えよう」という気持ちはわかるし、その方がいいんじゃないかと思う自分もいる。
だが、シークフェルト中等部が描こうとしている次代の舞台少女の物語に惹かれている自分がいることも事実だ。
だって見たいじゃん。「99期生の演じた『スタァライト』に目を焼かれて、聖翔に入学した次代の聖翔舞台少女」とか「道に迷った後輩のメンターとなる元99期生の面々」とか「学校の枠を超えた対決(レヴュー)」とかさ。3rdライブで99期生とスタリラ勢が対決したの、メッチャ楽しかったじゃん。ああいうのもっと見たいわけ。それこそシークフェルト中等部と先日の『青嵐babyblue』で登場した青嵐1年生の対決とか。

パチスロ化とそれに伴うスタァライトの飛躍に期待を抱きつつ、今回は筆を置きたいと思う。

◆おまけ

今回のnoteを書くために調べ物してて思い出したんだけど…『ラブコブラ(仮称)』ってどうなったんすかね、古川監督。

「大好き」は、いつ僕らを殺りに来てくれるんでしょうか

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