ーバス停にてー(楽ちん堂に泊まったことを書きたかったのに。)

(どうしてバスっていつも目の前で行ってしまうんだろう)


多摩川駅を降りて少し歩くと、大体いつも同じ気持ちになる。
この日もバスは目の前で、僕だけを置き去りにしていった。

この駅のバス停は狭いので、屋根のある部分に入れる人数が限られている。
バスが目の前で行ってしまうということは、必然的に僕は列の先頭になるということだ。中途半端な長さのベンチ。その端ギリギリにカバンをぎゅっと抱えて座る。(皆さんなるべく座ってくださいね)のサインだ。

僕の後で、子どもを連れたお母さんが一人、歳の頃3.4才に見える幼子を膝に乗せて座る。暑いだろうに、膝の上で大人しくしていて偉いなと思う。
その時、(どうしておとなしくしていると偉いんだろう?)って思った。
なんなんだろう。偉いって。
そんな無意味な思考の間も、彼はおとなしくしていておとなしい。

その後しばらくして、とても横柄な人がベンチに座ってしまった。
横柄な人は横柄なので、横柄じゃなければ二人座れるベンチの幅を一人で占領する。偉くない。

しばらくすると、日傘を差したご高齢の方がバス停へ向かってくるのが見えた。横柄な人は横柄なので、その横柄さを微塵も改めようとしないはずだから、このままでは日傘の方は立つしかない。

しかしそんなことは許されるべきではない。ベンチの崖っぷちギリギリで、
僕は思考を巡らす。横柄さんに「やたらと横柄ですね。足を閉じてどうぞ」なんて言うことはできない。(言うにしてもこうは言わない)かといって僕は一番前なので、〝列ルール”に準じた場合「こちらへどうぞ」と譲っていいのかもわからない。

その瞬間、僕は閃いた。そうだ。僕が立ち上がって、列の一番後ろに行けばいい。それぞれが配慮というコマンドを選択すれば本来は四人座れる席だが、それは難しい現状だ。僕が列から外れることにより、お母さん。横柄さん。日傘さんの三人が、席に座ることができる。

僕はおもむろに立ち上がり、多摩川駅へと向かう。
「偶然席が一つ空いたことを演出するため」である。
横柄さんがどれだけ横柄と言っても、
「少しずれたらもう一人座れる状況。更にご高齢の方が来た」
とあっては、その堅牢な古城の扉も開かざるをえないだろう。
うだるような夏の惑星に僕という名の推進力は細やかな風を生み出す。
横柄さんの前を通る時、一度だけ視線をやる。


わかるよ。横柄さん。


君だって最初から横柄だったわけじゃないはずだ。
散っていく花の儚さに心打たれたり、街をゆく野良猫の孤独を憂いたり、
あの夏のその海を誰かと見たかったり…そんな「今の君になる前」の
数えきれない日々があったはずだ。

その人生を積み重ねる道のりの中で、君には何があったのだろう。
ひとりぼっちな気持ちを抱えてあけていく朝があったのだろうか。
自分のちっぽけさに打ちひしがれた夜があったのだろうか。

そうして身体中についた、
沢山の傷を隠すために君は横柄という鎧を纏ったのかもしれない。
それでも自分を守りきれなくて、いつしかその鎧は城となり、
その中で君はまたあの日の夜ように孤独なのかもしれないね。

前方から〝その人”が来て、すれ違う。
この夏の暑さに負けじと歩を進める日傘の中、
靴と地面が触れて、離れて、
コツコツと音を立てていた。


ねぇ、横柄さん。




これはね。



ノックの音だよ。



君へのノックの音なんだ。


そして変わる時は今。いつだって今なんだ。
僕が振り向いた時、目に入る輝きは
太陽の見せるプリズムなのか、君が発する光なのか
どちらなんだろうか。

でも、そんなのどっちでもいいよね。新たなる君の誕生に
僕の胸の鼓動は高鳴りを隠すことをやめない。
君がベンチを少しズレた時、それは君の扉が開いた時だ。
そしてその時、僕は君にこう言いたい。


「はじめまして」と


…振り向くと、もう駅にはバスが着いていて、
誰もベンチには座っていなかった。
ほんの少し駅まで戻った僕の無意味を
空っぽのベンチが笑っているように見えたので、
自分なりの横柄な座り方をしてみてから、
すぐバスに乗り込む。
多摩川駅からの始発のバスはいつも空いている。
二人崖の席に腰をかけて、窓の外を眺める。
隣には虚しさが座っていたが、
数分して、人が乗って来たのでどかした。
偉い。

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