今日の事。
今日は、高校時代の親友のお墓参りに行ってきた。俺は、4年越しの「再会」を果たす事ができた。そして、「あの日」から「止まっていた時間」が、再び動き出した音が聞こえた。もし一人で来ていたら、確実に泣いていた。でも、ちゃんと、手を合わせて「俺に力を貸してくれ!」とお祈りもしてきた。そして、「久しぶりだな。この4年間、この世じゃ、とんでもねぇ事しか起こってねぇけど、こうして会えたのは、今も、平和に暮らせてるという証拠だ。いつも、守ってくれて、ありがとう。」という意味でも手を合わせたりもした。本当に、1460時間と44ヶ月と20日ぶりに、再会を果たす事ができた。そして、RAISE A SUIRENの楽曲「Sacred World」の歌詞は、亡き親友が俺に宛てた「メッセージ」なのかもしれないと思いながら聞いている。「例えどんな嵐が吹こうとなんだろうと、諦めるな!」それをあいつは、俺に伝えたかったんだろうな。あいつだって、16年間必死に生きて戦ってきたんだ。俺が諦めてどうする?一生俺は、あいつに顔向けれなくなっちまう。「あの時」みたいに。あの時の俺に会えるならば、こう言いたい?「何故見捨てた?何故見捨てたか聞いてんだよ!」と。そして、思いっきり殴ってやりたい。「あの時」だってそうだった。助けられなかった。本当にそれだけが、今も俺自身を「苛めている」。ある奴は、俺にこういった。「99%無理だ。出来ないから安心しろ」と。だけど、俺は、そいつにこう言った。「なら、俺は、そのうちの1%の可能性に全てを賭けるよ。」と。すると、そいつは、「それの為に皆が迷惑する。」と。いやいや、「それの為に皆が迷惑する。」ってバカか?本当の?てか、その発言自体、「正真正銘の馬鹿で愚か者」が言う事だ。絶対そいつ世間出ても、ろくな事無い。俺は、あいつの「死」から教わった。「もし、全ての人、周りから、無理だ。諦めろ。その言葉が聞こえたら、自分は、その中に秘めてる、可能性に全てを賭けるよ!そう言え。俺もお前から、それを教わった。お前ならやれる!」と。本当に、今も、ふと気が緩んだら最後、涙が止まらなくなりそうな状態である。今更過去の事悔やんだって、変えられないのは、百も承知だ。けど、この事は、一生忘れてはいけないというのには変わりない。俺は、友達と去り際に、親友に、こう伝えた。「また会いに来るよ。今度は、もっともっと進化した姿でな。」と伝えて、お墓参りを終えた。