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「哀れなるものたち」良いことも悪いことも〈実験データ〉にできる、ベラの科学者マインド。
どうも、安部スナヲです。
予告編を見た時点で相当なインパクトで、想像したのは昔のスクリューボールコメディにボディーホラーやSF要素を足した感じでした。
如何せんハナシが自害した女性の脳を胎児の脳に挿げ替えるという変態っぷりなので、カルトまっしぐらやん!と思っていたところへ何と今年のアカデミーど本命⁉︎
大きな期待と少しの困惑を抱きながら観て来ました。
【あらましのあらすじ】
見るからに高貴な美しい女性(エマ・ストーン)が川に飛び込んだ。入水自殺だ。
次のシチュエーションでは、その同じ女性が、やはり高貴な館でピアノを弾いてるのだが、何か変だ。
表情や仕草に獣じみた獰猛さがあり、ピアノも弾いてるというよりは叩いて遊んでいる様子。
次にフランケンとドラキュラのハイブリッドみたいな醜怪な男があらわれるのだが、この男こそ天才科学者のゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー。
一度、生命が絶たれたその女性は子を宿していた。
ゴッドウィンは、そのお腹の胎児の脳を彼女自身に移植することによって蘇生させたのだった。
彼女は「ベラ」と名付けられ、ゴッドウィンの館で「育成」されている。
ある日、ゴッドウィンは部下のマックス(ラミー・ユセフ)に、ベラの発育過程の観察を記録するよう指示する。
一日中、行動をともにすることになったベラとマックスは、しだいに惹かれ合う。
それを悟ったゴッドウィンは、一生自分の館で2人で暮らすことを条件に、ベラとマックスに結婚をすすめる。
2人に否はなかった。
ここでクセモノが登場する。
2人の婚姻手続きを請け負う弁護士ダンカンだ。
ダンカンはこの特異な婚姻に疑念を抱き、純真無垢なベラをそそのかし、リスボンへの旅行に誘う。
ずっと前から世界を見たいと願っていたベラは、ゴッドウィンとマックスの反対を押し切る格好でダンカンに着いて行く。
こうしてベラの波瀾に満ちた諸国漫遊の旅がはじまる…。
【耽美でグロテスクな世界観】
まず世界観の完璧な仕上がりに驚く。
劇中、時代設定が示されないので、いつの時代なのかは不明だが、諸々の美術の雰囲気は19世紀のそれっぽい。
が、実は未来のハナシかも知れないとも思う。
映画のなかのアール・ヌーヴォー風の建物やヴィクトリア王朝風の服は、「風」ではあるがそのものではない発展型というか、その時代のデザインを今風にアレンジしたような印象が強い。
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また移動手段が馬車で、テレビも電話もない割には、脳に電流を流すオペ装置や、ゴッドウィンが食事の時に使う人工で胃液を作るフラスコみたいな装置など、医療機器だけは最新鋭(というよりはSFっぽい)なところもエキセントリック。
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画作りも、相当独特である。
画面は正方形に近いのに(多分4:3のスタンダードサイズ)ところどころ魚眼レンズを使うので、画像が異様な歪み方をして、それだけで何だか奇天烈に見える。
加えて色彩とダイナミックレンジが醸し出す非現実感。
しかも、はじめのロンドンのパート(ベラが旅に出るまでの)はモノクロで、旅に出てからの「リスボン」→「船」→「アレクサンドリア」→「パリ」→「再びロンドン」の各パートでも、それぞれ微妙に色味やトーンが変わるという凝りよう。
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これら耽美でグロテスクなファンタジー世界は、1シーンだけを切り取ってもアート作品としての価値が高いってほどだ。
【すべての経験は〈実験データ〉】
人の知能に関する〈if〉の物語である点、やはり「アルジャーノンに花束を」を想起させるが、得られる感動は、ああいう感傷的なものではない。
胎児の脳を成人女性に挿げ替えた場合の科学的な興味も、すぐにベラ個人のパーソナリティに捩じ伏せられてまう。
それくらい、ベラの個性や自我は魅力的だ。
はじめは本能と生理的欲求の赴くまま、それこそ赤ちゃんが産まれてからの発育過程に近い様子ではあるが、ベラの強烈な好奇心と向上心は躾とか常識をあっさり突き破る。
型通りな社会性に支配される人生が如何に無意味であるかを、はじめから知っているかのようだ。
成長したベラは、いくつか人生の岐路的な選択をせまられるが、そんな時は迷わず難儀そうな方を選ぶ。
コイツ胡散臭いわ〜と内心わかっていながら、ダンカンに着いて行ってでも世界を見るし、金が必要になったタイミングで娼婦にスカウトされればやってみる。
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そして最終パートで目の前に現れた自分の過去に対しても、今更知らない方が幸せかも知れないのにガッツリ向き合う。
ベラはすべての、経験を実験的に捉えているフシがあり、経験から得たものは、良いことも悪いことも、すべて〈データ〉として客体化する。
「船」のパートで、書物を読み漁り、インテリ老婦人マーサやイケメン黒人青年ハリーとの哲学談義のなかで、知性を育む喜びを知ってからのベラは、話し言葉自体が妙に分別臭く理屈っぽくなる。
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それは、いわゆる中二病的な成熟途上な心の変化のあらわれであるとともに、事実上の父であるゴッドからの影響が顕在化したものでもある。
あらゆる経験について、自分さえも〈実験体〉として客体化できるマインドは、完全にゴッドから受け継いだものである。
【ゴッドの存在感こそがキモ!】
もともと顔が怖いウィレム・デフォーに、あの皮膚をパッチワークみたいにつぎはぎした特殊メイクをするとほとんどカブリ物の怪物みたいになる。
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もはやドン・キホーテで売ってるレベルである。
そんな醜怪な見た目とは裏腹に、ゴッドウィンというキャラクターはこれまでデフォーが演じて来た役のなかで、いちばんといっていいくらい心優しく誠実な人ではないだろうか。
マッドサイエンティストではあるが、医学への向き合い方には筋の通った信念があるし、ベラやマックスへの想いやりも深い。
ベラが旅に出てしまったあと、ベラと同じ施術で作ったフェリシティのことは、どうしても愛せないところも人間らしくていい。
きっと、フェリシティは従順過ぎるというか、リアクションが薄いので、面白くないのだろう。
ベラには手を焼くことも多かったが、いつも剥き出しの好奇心で、全体重をかけてぶつかって来る。
そういうところが、可愛くてしょうがなかったのだろう。
最後のパートで、ベラがゴッドに「医者になる」と伝えたあとに返したセリフに、科学のためなら鬼になる父への想いが詰まっている。
ゴッドはベラに医者としての心得を授けるかのように「切除する時には慈愛を込めて」と言う。
これは父がゴッドに言った言葉だ。
そのあとに続く「クソみたいなヤローだったが、悪くない忠告だ」に、科学者としての尊敬と、我が子である自分を実験体として、今風にいえば〈虐待〉し続けて来たことへの憎しみ、どちらも込められていると思いました。