日本型資本主義(365夢Screen105)

1990年代に入って
日本列島の経済はなぜか空回りしはじめる。

バブルが崩壊したのだという。

それもあることだろう。

「株式会社日本」と呼ばれた日本型資本主義は
国民を富ますための資本主義だった。

護送船団方式とよばれたこの一国資本主義は、
国際競争力がある大企業を対外的に外側に置き
相対的に体力の弱い大部分の中小零細企業を
内側に入れて護りながら航海することで
国民全体の生活を底上げすることを目的にしていた。

この護送船団方式は制度的には
株式持ち合いという相互補強構造をもっていた。

無敵と思われた
この日本型資本主義を破壊するために、
この惑星の国際金融資本は
BIS規制を発案し自社株占有率を塩梅することで
日本型資本主義を崩壊させた。

護送船団方式を指揮した通産省・大蔵省は
国際金融資本の手先の策謀で解体させられ、
代わりに命令系統に従う官僚機構が整えられた。

「株式会社日本」を調査し
BIS規制を提案した貢献者は、
日本資本主義を収奪構造として織り直す過程、
そして続く長い日本経済の衰退過程をつうじて、
改訂版日本資本主義の基幹構造の中に
多くの利権構造を構築していったことだろう。

失われた30年とも言える
この日本経済の長い不振の原因に
そういった過程が織り込まれているのは
もちろんのことだ。

だが、そういったことは
このドラマの比較的小さなエピソードにすぎない。

日本資本主義が
この失われた30年というドラマを通じて、
沈滞し続けたのにはもっと本質的な要因がある。

それは資本主義の最先端である日本が
次の段階の繁栄に向かうための
真の方向性をまだ充分に理解できていないことに
根本的原因がある。

それは日本が世界に先駆けて到達した状況の
真の意味合いがまだ理解されていないことだ。

では日本が世界に先駆けて突入した
状況とはなにか。

バブル崩壊の直前、
日本では「一億総中流」という言葉が
当然の理解であり、国民の実感でもあった。

これは江戸時代お伊勢参りが
多いときには年間400万人以上、
当時の人口の約6分の1が参拝、

という記録には及ばないかもしれない。
だがその意味するところは明らかだろう。

1980年代、
資本主義の最先端である日本が
世界に先駆けて到達した状況とは、
域内の生産力が域内の消費力を凌駕したことだ。

太陽系第三惑星の現代史において
日本が国際金融経済に組み込まれた明治維新以降、
この新事態は日本列島で初めて達成された。

この状況が求めているものに対応することこそ
この失われた30年が求めていることだ。

そしてその対応が確立したとき、
日本からテイクオフが始まる。

それは驚くべき短期間で起こりうる。
ただ起こっている事態を素直に受け容れ、
その事態が求めているものに
ただ素直に対応するだけだからだ。

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