家族への投資(365夢Screen121)
失われた30年を経過した現在の日本社会は、
次代を背負う若者たちを
奨学金という借金を負わせて社会に送り出す。
大人が借金をする場合は
返済能力を超えた融資を受けることはありえない。
しかし学生が奨学金を受けるとき、
その借金の返済能力を問われることはない。
自国の次代を背負う若者たちに
利子つきの金を貸して
社会人として送り出す段階で
マイナスのスタートを強いること、
こういうことをその金の貸し手たちは、
自分の子供にもするのだろうか?
もし、自分の子供にそれをしないために、
よその子どもたちにそれをするのだとすれば。
こんなことまでしなければならないのは、
国際金融通貨が銀行家に対する
借用証書であることから起こる必然だ。
この失われた30年間で
日本はさぞやエンゲル係数の高い国になった
ことだろう。
そうなる必要はなかったが、
そうしようとはっきり意図を持った人たちは
間違いなくいたに違いない。
自由貨幣」による「国民生通貨」は
それとはまったく別の原理に経つ通貨だ。
それは家族の成員の生活を家族全体で
護るのとまったく同じ原理で成り立っている。
子供の生長は家族全体の喜びでもあり、
その家族の未来そのものであるのと同じだ。
同時代を生きる者たちが互いを尊敬し、
それぞれの個性と表現を尊重しあって、
互いの生活を支え合う。
それだけのことだ。
自分の子供からお金を取ろうとは思わない。
総生産力が総需要を超えた世界で、
経済を最も上手に効率的に回すには
どうしたらいいのか。
それは余裕のある賢い家族が
家庭内でどのようにお金を使うのかと
まったく同じようなことだ。
子供が絵を描きたいと言っているのに、
いや銀行家になりなさいとは言わない。
「国民生活通貨」もそれと同じように運営される。
総生産力が総需要を超えた、
余裕のある豊かで賢い国では、
最も賢い投資先は、直接国民各人に
そのお金の使い方を任せることだ。
あなたが一番使いたいことに
このお金を使いなさいと。
この「国民生活通貨」は、
どんな企業家も言い当てることができない、
一番確実な売れる商品を苦もなく言い当てるだろう。