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孤立文明圏の模索(365夢Screen112)

時間泥棒の物語『モモ』を書いた
ドツ人作家ミヒャエル・エンデの思索は、
この地球上の経済の矛盾の考察に集中的に向けられ
シルビオ・ゲゼルの「自由貨幣」の
地上での実現に深い関心をもった。

最晩年、ミヒャエル・エンでは
地球規模の問題を考えるローマ会議をモデルに
根源からお金を考える“東京会議を提案したという。

しかし当時の日本に
このミヒャエル・エンでの提案を受け止める
受け皿は存在しなかった。

根源からお金を考えるという問いかけに
エンではどのような思いを込めたのか?

地上の金融資本があやつる
国債通貨の根本的な詐欺性は
ひとまず措くとしても、
エンデガ何よりもまず問題にしたのは、
地上の実体経済の何十倍もの規模を持つに至った
いわゆるマネー経済で扱われる貨幣と、
庶民がパンを買う金が同一の貨幣によって
処理されているという事実だった。

この地上の現行制度こそが
金融資本に生殺与奪の剣を与えるかのような、
ほしいままの暴力性を許していたからだ。

庶民が生活のために使う通貨と、
金融資本が投機市場でゲームをする通貨は
まったく別の世界で流通する通貨であるべきだ。

エンではこのように考えていたはずだった。

そして資本主義を生みだした西洋諸国とは、
また別の文化を背景に持つ日本に
この貨幣を根本から考えるための国際会議を
主催してほしかったのだ。

だが当時の日本には
そのエンデの思いを正面から受け取るような
社会的熟度に到達していなかった。

それどころが
株式持ち合いによる日本の護送船団方式は
本家の収奪のための資本主義に蹂躙され、
ずたずたに切り刻まれている最中で、
そのような遠大で本質的な問題を
取り上げるだけの識見も度胸もなかった。

しかし、それから二十年を経過して、
現在は当時とは少し様子が違う。

地上の権力は同じように
矢継ぎ早にグレートリセットに向けて
新たな策謀を仕掛けてきていることだろう。

だが受け取る世界の情勢は
30年前の昔と同じではないだろう。

いまや孤立文明はけっして
ありえないことではない。

日本は地味に、孤立して、
自由な特率生活圏を形成できる可能性がある。

そのためにこそ
「自由貨幣(減価通貨)による
「国民生活通過」は新しい時代に向けての
いい渡り廊下を形成できるかもしれない。

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