国際政治同時進行世界史&日本史 気比の宮 2024.9.3
暫く、起業についてやって居ました。
9月2日の面白い議論を見ましたので、書いて見ます。
大国主命の国譲りに関する物です。
・・・👉ヒダカミ國(高皇産霊尊)👉大物主尊👉伊奘諾尊👉素戔嗚尊👉(大国主命🛑)👉天照大神👉邇邇芸尊👉🛑宇磨志麻耳尊👉綏靖天皇👉・・・👉(大彦)👉開化天皇👉崇神天皇👉垂仁天皇👉・・・👉継体天皇👉・・・👉光仁天皇👉・・・👉孝明天皇
素戔嗚尊が、英彦山の高皇産霊系統を追払い、福岡県の支配者に成りました。
其の後、大国主命(因幡の白兎)が熊鰐(春日)を騙くらかして、英彦山に入って、支配します。
記紀では、高皇産霊と天照大神が相談して、天ノホヒを地上に征伐に向かわせたと有ります。
此のアメノホヒが、大物主尊の子孫なのです。熊鰐と鈴木と組んだのが、3本脚の八咫烏です。(福岡県春日神社主祭神)
追い出されたのが、邇邇芸系統の建御名方、大国主命系統、長髄彦系統、天照大神系統(北九州市の白庭神社主祭神)です。
饒速日の子の宇磨志麻耳が折れて、製鉄の神様と結婚して生まれたのが、綏靖天皇です。つまり、天照大神の血は、孝元天皇迄繋がって居ました。
女系は勿論、大物主系統です。
此処で、半島の任那から上陸したのが、天日矛(アメノヒボコ)です。子が開化天皇、孫が崇神天皇です。
菊池氏の垂仁天皇が出て、230年中国大陸の孫権軍と交戦しました。
出雲国で、孫権軍から五千人が脱走しました。此処から出たのが、蘇我氏です。
北陸地方に越前、越中、越後が有ります。
今回の話から外れますので、神功皇后迄飛ばします。
神功皇后(289年ー389年)は、360年頃新羅征伐をしたとされて居ます。
半島の歴史書の三国史記に依りますと、311年に敗北して居ます。姫を辰韓(日本人の昔氏)より娶って居ます。娶ったのは、仲哀天皇です。神功皇后と武内宿禰との子の誉田別命は、神功皇后と共に、7歳で、福岡県を離れて居ます。行き先は、不明でしたが、茂木誠氏に依り、福井県の気比宮に居ると判りました。
神有月の蘇我氏の情報網や、猶太人の伝承に依り、崇神天皇系列の豊城入彦系統の誉田尊と交換されて居ます。此の系統は、仁徳天皇で終了して居ます。
再び、大物主系統が頑張りましたが、清寧天皇で終了して居ます。
倭國本朝が、近畿地方を制覇して居ました。是が、倭の五王(讃、珍、ゼイ、興、武。垂仁天皇ー第一代日本武尊系子孫)です。
福井県から、継体天皇が出て来たと、されて居ます。
現在、出身地の三國が何処に有るのか、判明して居ません。
万世一系では有りません。但し、女系では、繋がって居ます。