世界政治同時進行世界史&日本史6 笊筍越2024.1.15
西暦363年神功皇后は、七歳の誉田天皇を笊筍(ソウケ、ショケ、竹で編んだ籠)に乗せて佐谷👉大分八幡神社に峠越えーショケ越えをした。
福岡県・佐谷は、🟡太宰府の近くです。
誉田天皇(応神天皇)は、西暦404年迄何処に住んで居たのでしょうか。
神功皇后は、磐余若桜宮🟣
応神天皇は、軽島豊明宮(古事記のみ記載)👈⁉️
仁徳天皇は、高津宮🟡
履中天皇は、神功皇后の宮と同名🟣
反正天皇は、丹比柴離宮に遷都🟢
允恭天皇は、遷都記録無し🟢
安康天皇は、石上穴穂宮🟠
雄略天皇は、泊瀬朝倉宮🟡
清寧天皇は、磐余甕栗宮🟣
飯豊青天皇は、忍海角刺宮
顕宗天皇は、近津明日香八釣宮🔴
仁賢天皇は、石上広高宮🟠
武烈天皇は、泊瀬列城宮🟡
古事記仁徳記
女鳥王歌ひたまひき
雲雀は 天に翔る 高行くや 速総別 鷦鷯取らさね
此処に速総別歌ひたまひしく
梯立の倉橋山を険しみと岩かきかねて我が手取らすも
と歌たまひき
此の倉橋山は、何処でしょう。やはり、田川でしょう。
404−408年の菟道稚郎子と髪長姫の🔴茅葺屋根の宮は、近津明日香の行橋市の高速道路の下です。高津の宮は、田川市側の遠津明日香の遠賀湾沿岸近辺と云われて居ます。
仁徳天皇は、孝元天皇系列の武内宿禰と葛城国造荒田彦娘・葛比売の子の葛城襲津彦の娘・磐之媛命との間に、履中天皇、反正天皇、允恭天皇を得ます。
履中天皇(倭の五王の讃)の子が、磐坂市辺押磐皇子(讃の子の嘉)、飯豊青皇女(天皇)です。孫が、弟の顕宗天皇(哲)、兄の仁賢天皇(磐井の乱の満)です。仁賢天皇の子が武烈天皇(牛慈、葛子)です。
葛子は、難を避ける為に、蔵を明け渡し、夜須野評督(福岡県御井郡、磐城城近辺)に落とされたとあります。つまり此の前は、🟡都督府だったのです。
都督府とは太宰府です。と云う事は、🟡太宰府に住んで居た事になります。
武烈天皇の泊瀬列城宮は、太宰府と云う事でしょうか。
筑紫平野を筑紫川が今は流れて居ますが、当時は、湾でした。従って、泊瀬
と書いても間違いでは有りません。
と云う事は、仁徳天皇が住んで居たのは、🟡太宰府となります。
磐乃媛に関する記載に、留守の間に、仁徳天皇が妹の八田姫とまぐわった為、船で素通りして、仁徳天皇の元に、帰らなかったと云う変な記述が、有ります。
異母兄弟や、異父兄弟、父の妃を皇后にした、近親相姦、等良く見かけます。此れは如何云う事でしょうか?
八田姫を、髪長姫に換えれば、納得が行きます。高句麗と戦った聖帝なのです。そして、又、磐乃媛の祖父武内宿禰は、新羅征伐をして居ます。
高津宮には、幾ら何でも、入れません。当然です。
以降、磐乃媛は、一度も仁徳天皇に遭わず、五年後の西暦412年に薨去して居ます。此の年に倭は、中国に朝貢して居ます。出したのは、讃の父親の籐大臣ー仁徳天皇です。
此処迄判明してしまうのです。
納得、でしょう。
応神天皇とは云っても、崇神天皇子孫の毛野氏系統の誉田天皇です。
此の男系は、武烈天皇で途絶え、900年台の一条天皇に女系で入って居ます。
神功皇后と武内宿禰の子の誉田別尊(桜桃沈輪)では在りません。
もう、倭の五王は、崇神系列の履中天皇~雄略天皇で確定です。
だから、万葉集の巻一の第一番歌に雄略天皇の歌が有るのです。
400年台の半島の記事に、100年程前に倭から嫁を貰ったので、今回は止めて置くと、有ります。
此れでしょう。神功皇后です。
近畿地方の京都には、桓武天皇が遷都しました。
其の前の奈良時代は、福岡県桂川町です。此処に、菅原道真の親戚が居たのです。火山灰で業務が止まったと記録されて居ます。
小生は、歴史学科等覗いた事も無い、単独工学系修了のエンジニアです。
下手の横好き、好きこそ物の上手なれ、で此処迄出来てしまいました。
仁徳天皇継承男系が途絶えた後の現在でも、京都に、沢山の白い短冊を付けたぼんぼりを、散々引き回した挙句、短冊をむしり取るお祭りが、有ります。住民は、相当怒って居ます。
1月7日の福岡県・大善寺玉垂宮の日本三大火祭りの鬼夜祭りは、神功皇后を讃えて、態と派手ばてしく、やらかして居るのです。
遠賀川での、外航船団の祭りも、同様に、1670年程継続して居ます。
壱岐島ー宗像間の船団の祭りも盛大に行われて居ます。
此処は、高句麗との戦後、民が疲弊した為に、3年間余無税にし行橋市の茅葺屋根の宮に住んだ、聖帝菟道稚郎子天皇と髪長姫の為に、作り上げた、🟡高津宮です。
大物主、伊奘諾、天照大神、邇邇芸尊、神譲り、欠史八代、天火槍と都怒我阿羅斯等、箸墓古墳、孫権軍襲来、海礒姫、土折猪折、八坂入姫、倭は国のまほろば、倭姫、神功皇后、神功皇后記中の卑弥呼の行動記録、仲哀天皇、武内宿禰、磐井の乱、聖徳太子、乙巳の変、斉明天皇、大皇弟、等
古事記日本書紀は、兎に角、事実を隠すのが、上手なのです。
ウッカリして居ると、引っ掛かります。
(Special thanks)
本記事は、福永晋三先生のYouTubeから、相当量の情報を得、更に情報を継ぎ足して、小生の独断と偏見により、判断して、記載致しました。御礼申し上げます。
(追記)
卑弥呼を、子供の意見に従って、明媛に同定致します。