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国際政治同時進行世界史&日本史 日高見國 2024.12.9

 崇神天皇の子息の豊樹入彦命が群馬県に入って居ます。
是は、何故なのでしょうか。
福岡県から東には、平野は幾つも有ります。
何故、群馬迄来たのでしょうか。
当然此処には、千葉県市川市を中心に日高見國が存在して居ます。
孝元天皇の長男の位置に大彦が記載されて居ます。
この系統が、武烈天皇迄続いて居ます。夜須の評督と成って居ます。
 埼玉県のサキタマ古墳の稲荷山古墳からは、獲加多支鹵の名が有る、金銘鉄剣が出土して居ます。この名は、熊本県の江田船山古墳からも出て居ます。
 獲加多支鹵大王は、高句麗の好太王との戦いに参加し、帰国して、6年間の無税を行った、倭国正朝と倭国東朝の統合の大王です。俗名速総別尊です。皇后は、邪馬台国の髪長姫です。
 此の時、太宰府を、日は人が作り、夜は神が創りました。

411年後倭国東朝は、仁徳天皇です。
此の系統に顕宗天皇ー満、仁賢天皇ー哲、牛慈(葛子、武烈天皇、即位しては居ません。夜須の評督と成りました。)

倭国正朝は、允恭天皇と成って居ます。
允恭天皇が、倭の五王の讃です。
嘉は、434年薨去の木梨軽皇子です。
珍は、435年即位の安康天皇です。
ゼイは、雄略天皇です。古事記によると崩御は己巳年8月9日です。
何故、古事記に8月9日と書くのでしょうか。
己巳年は、仁賢2年、489年です。此の年の8月9日は、己亥です。
興は、清寧天皇(在位 清寧元年1月15日~同5年1月16日)
武は、494年即位の継体天皇です。三國は依然として未解明です。

 東武伊勢崎線の館林の西に、多々良と云う駅が有ります。
タタラ沼には、白鳥が飛来します。
タタラですので、多々良製鉄をして居た可能性が有ります。
冬の北風は、赤城下ろしで猛烈です。
南インドで行われて居た、風による製鉄が行われて居た可能性が有ります。
南インド同様、鋼ハガネも製造して居た可能性が有ります。
風の強さで云えば、前橋の方が猛烈です。
此処にしっかりと、中東と交易して居たと思われる、古墳が点在して居ます。

 縄文人は、長さ30m級の天=アウトリガー付きカヌー、軽田=双胴船で、世界中を動き廻って来て居ます。軍艦鳥をフリゲートと云居ます。
ハッティの製鉄所も知って居た事でしょう。

縄文時代に、日高見國が、製鉄をやって居り、鋼も創って居たと考えて居ます。

 日本の古代刀の製造方法は、未解明です。
鋼が製造されて、使用されて居たと考えれば、理解が可能です。

 何かが有ったので、群馬県が、有力に成って居るのです。
豊樹入彦命が武力侵攻して居るのです。
猶太も居るのです。太田市天神山古墳から出土。



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