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チンタラしたタイパ

「あなたはどうなりたいか?」

その問いに答えは明確にあり、自己を実現すること、それが人々の幸せになる。


それを真剣にみんな信じているのだろうか?いや、信じているからこそ苦しんでいるのだ。

アクションを起こす前の自分では、アクションを起こした後の自分を想像できないからです。成長前、つまりアクションを起こす前の自分がどれだけ考えても、コストを投下して得られるパフォーマンスを正しく理解し計算することができないのです。
猫山課長

子供のころを振り返って見てほしい。あなたは「勉強をちゃんとしないといい大人になれないよ?」そう言われた時にはっきりと《大人になって立派になった自分》を想像できただろうか?

勉強しなければどうなるか?それは子供の想像力の範疇ではない。パパとママが大人のモデルだとしたら、あなたが勉強している姿を見て学ぶことはあっても。

モデルケースとして猫山課長の娘たちはとても聡明そうに見える。それは猫山課長が勉強して新しいことに挑戦している後ろ姿を見ているからこそなのだ。

データえっせい

子供はほぼ親と同じ経路を歩く。もちろん外れ値はある。平均などという言葉には意味などない。「頭を冷蔵庫に突っ込んで足をバーナーで炙っても体は平均体温を示す」のだから。

若者だけではないタイパ思考

最近の若者、だけではなく大人たちもコスパやタイパを気にしている。

エージェンテック

4割くらいの人が倍速視聴をしている。それはみんながタイパの良い生き方を選んでいるという示唆ではないだろうか?

切り抜き動画も人気のコンテンツだ。本の要約チャンネルも人気がある。みんなとにかく早く答えだけを知りたいのだ。

しかし答えを覚えても意味がない。そこには再現性がないからだ。例えば数学のテストで全ての答えを暗記したとしよう。(テストの解答だけを見せてもらったと仮定して)

そこで80点くらいとれるだろうか?しかし、次のテストでは答えることはできない。なぜなら式がわかっていないからだ。当たり前の結果だ。

答えに意味があるのではなくその経路に意味があるのだ。

再現性が高くないと応用問題は解けない。小中では神童みたいに賢かった子が高校大学に上がるとできなくなる。それはなぜなのか?応用問題が増えるからだ。

記憶方法の違いもあるのだが(中〜高の間で記憶の方法が意味記憶に変わる。意味がわからないものを覚えられなくなる。)

つまりは勉強の価値は経路にあるのだ。

脱タイパ思考

そしてタイパ思考は「とにかく早く答えに辿り着きたい」つまり人生を早送りしたい考えなのだ。

ゴールに早く辿り着きたい。ゴールまでショートカットしたい。

しかし、そこで指し示しているゴールとはなんなのか?自己実現がゴールなのだろうか?

例えば旅行に行った時、知らない土地を歩く時、早く目的地に行きたいと願うだろうか?

あとで友達と話す時に目的地で過ごしたことよりも知らない店、知らない人と出会ったことの分量が増えるのではないだろうか?

そう、我々は偶然の出会いを楽しんでいるのだ。

偶然出会った美味しい店、偶然出会った見知らぬ他人、それらに楽しみを見いだすのだ。

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セイロンの3人の王子という話を知っているだろうか?セレンディピティの元となるお話だ。

三王子が旅をしていると、逃げ出したラクダを探している商人に出会う。王子達はそのラクダを直接見ていないにも拘らず、「歯が1本抜けていませんでしたか?」「足が1足不自由ではなかったですか?」など、次々とらくだの特徴を言い当てていく。

商人は彼ら三人がラクダを盗んだと思いこみ、皇帝に告発するが王子達はラクダが葉っぱを食べた跡があり、その食べ跡を見ることで、歯が1本抜けていることや、足跡が1つの足を引きずりながら歩いたような跡であったことから、足が不自由なことなど、「見たこともないラクダ」の特徴を言い当てることができた理由を説明する。

つまりは僅かの痕跡を見て真実に気づける聡明な3人の王子のお話だ。

セレンディピティとは偶然出会った素敵なものや、目的とは異なる事実を偶然発見する事なのだ。

りんごの落下をみて万有引力を発見したニュートンや、お風呂に浸かる時に溢れた水を見て重さの測り方を発見したアルキメデスのように偶然の発見というのは実に多い。

電子レンジもそうだ。元々は軍用レーダーを作っていたが、ポケットに入っていたチョコレートが溶けていたことに気づいた科学者が作ったのである。

これらの例は偶然に出会い、目的とはしていない事実が生じそれに気づけるか否かが聡明さであるということを指し示している。

ちなみにその対局にあるルーティンは認知症を進行させる。前頭前野を使わなくなることの弊害なのだ。

脳は、大きな一つの塊ではなく、異なった機能を持ついくつかの領域に分かれてます。 その中の1つに、額のすぐ後ろ、脳の前の方にある前頭前野(ぜんとうぜんや)と呼ばれる場所があります。 前頭前野は、記憶や感情の制御、行動の抑制など、さまざまな高度な精神活動を司っている、脳の中の脳とも呼ばれている重要な場所です。
脳科学レポート

つまり、ファスト教養のような思考の経路を辿らない考え方はあなたをバカにするのだ。

エピクテトスから学ぶ

そこから格差は生まれる。もし本当にこの世の中が平等だと思っているのならばあなたは初心過ぎる。

スタート地点は人それぞれ違う。その上能力も違うのだから格差は開く一方だ。冒頭のデータのように父が大学進学していなければ子供もそうなる。

そうなればもちろん給与の差は開いていく。確かにあとで格差を詰めることは不可能ではない。しかしながらこのような格差は止まることを知らない。

エピクテトスという哲学者を知っているだろうか?エピクテトスは奴隷の哲学者だ。これは相当に珍しいことだ。

大体の哲学者は金持ち、知識人だ。暇にならなければ深く人間のことなど考えようとしないからだ。

そのエピクテトスはこう言った。

記憶しておきなさい。君はこの世界という演劇の1人の役者であると。君の役割はただ一つ。与えられた役を見事演じることだ。
エピクテトス

あなたはどう受け止めただろうか?端役であろうが悪人の役であろうが、それはあなたに与えられた役なのだ。

大体の人が端役であり主役ではない。私も当然だが主役ではない。猫山課長のようにスポットライトの真ん中に躍り出ることはないだろう。

それでもやっぱり私は生きなければならない。もちろんあなたも。

だからこそタイパなどを求めてはいけない。タイパとは人生を早送りしたいという欲求だ。タイパなんて求めてはいけないのだ。早送りしてしまえば死に近付きすぎてしまうし、それに学びがない。

セレンディピティをもっと意識して生きなければいけない。

セレンディピティの物語であなたがよく知る話がある。それはわらしべ長者だ。お告げにより「1番最初に手にしたものを大事にしなさい」そう言われた男は最初に掴んだ藁を大事にして最後には幸せになるお話しだ。

これはセレンディピティだろう。最初に手にしたものを大事にし、価値の交換を行なって最後には幸せになるのだから。つまりそこにある価値を信じているからこそセレンディピティを得られた男の話なのだ。

さて、あなたの掴んだ"わら"はなんだっただろう?

あなたの掴んだわらを大事にして幸せになる物語はもう始まっている。

最後までセレンディピティを信じてみようではないか。タイパなどを気にして生きるのではなく。

あなたの掴んだわらはなんだったのか?その答えを楽しみにしている。



それでは、また、来週。

あどりでした。

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