渚
2024年1月11日正午、齊藤京子ちゃんが、所属しているアイドルグループ日向坂46を卒業すると発表した。
私が発表を知ったのは同日13時20分頃、あと少しで仕事のお昼休憩が終わるな、という時。職場でほとんどスマホを見ないので、私が京子オタクなのを知る先輩がヤフーニュースを見て言った「ももかさん、齊藤京子ちゃん卒業だって」のひと言で卒業を知ることになった。
京子ちゃんからの大切なお知らせに動揺していて、その時の記憶が不鮮明なのだけれど、私は目を手で擦りながら、一切声を出さずに泣いていた(と後からその場にいた人達にちょっと困り笑いしながら言われた)。
悲しくて、驚いてとか、何か先に感情を認識して泣いた訳ではない。
京子ちゃんが日向坂を、アイドルを卒業すると知って、私が彼女のファンになってからのこの5年間での、彼女のお顔や姿、歌声、そして何より好きな彼女が書いたり、彼女のインタビューが書面になったりすることで読むことが出来た「京子ちゃんの言葉たち」が一気に思い出されて、涙が出た。人生で経験したことのない勢いで、まるで自分の顔にそれらの記憶が投げられたかのような速度で思い出した。
あまりにも一瞬で思い出して、すぐ泣いていたので、記憶によって泣いたのかな。その記憶にはどんな時のものにも「京子ちゃんありがとう、こんな素敵な言葉を世に見せてくれてありがとう」がくっついていたのは確か。だとすると、感謝の気持ちが溢れて泣いたんだ。
私は本当に齊藤京子ちゃんに感謝をしている。
5年間たくさん、沢山、ありがとうという気持ちになった、京子ちゃんの言葉を読んでいると、ありがとうという気持ちが空まで私の身体を羽ばたかせてくれる感覚になった。(千と千尋のハクが川の守り神になって、千尋を乗せて飛んでいるシーンを見ると、こんな感じって思ってる笑)
こんなにありがとうが詰まっている大切な記憶をくれた京子ちゃんは、私にとってどんな存在だったと表現できるのか、卒業が発表されてからゆっくり整理していた。
私の中にある京子ちゃんの記憶は、いつも私自身の日々や人生と隣り合わせだ。
・いつも定期的に会っている友達が、私による京子ちゃんの話を幾度も一から聞いてくれ、一緒に聖地巡礼をしてくれたこと。
・京子ちゃんが大好きなチゲ味噌ラーメンを今年も食べたい!という私の希望で、後輩たちと仕事帰りに寄るご飯屋さんが日高屋に決まったこと。
・何より2019年から、大学時代のとしちゃん推しの友達とずっと一緒に日向坂のライブに通い、お互いの近況や、としきょんの話をエンドレスに交わしたこと。
こんな感じで「私自身の想い出のそばに京子ちゃんがいること」は掘っても掘っても尽きない。
対照的に、私が見てきた京子ちゃんの姿は、いつも別世界に存在しているようだった。
歌番組でのグループ歌唱は勿論、特に近年ドラマ、バラエティを始めとした個人仕事を本当に沢山務めていたテレビの中にいる京子ちゃんは、画面越しという物理的な事もあるのか、やっぱりどこか別世界の人に思えた。
かといって毎年ライブ会場で、同じ空間の中にいながら近くに来て偶然ファンサしてくれたり、握手会でお顔を近づけてくれた時でさえ、少し時が経つと、さっきは別世界にいる人だったのでは、という気持ちになっていた。
こんな感じで、イベントの帰り道はいつも「私の目に映る京子ちゃんは、どこか果てしなく遠い存在」に思えていた。
ここで急に一度、京子ちゃんのことから話が逸れてしまうが、私はスピッツの「渚」という曲が小さい頃から大好きだ。
渚の作詞作曲をされたスピッツボーカルの草野マサムネさんが、美術大学生時代に生物学の名物先生から渚を以下のように説明された、という話を本で読んでからは「渚」そのものも好きになった。
「渚は、海でも陸でも空中でもないエリア、だけど海も陸も空気も全部が関係し合っているエリアで、そういう場所での生物の営みっていうのはいろんなことのヒントになる」(スピッツ、1998、株式会社ロッキング・オン、p267より引用)
京子ちゃんの言葉からは、いつも京子ちゃんの人生が感じられる。アイドルのお仕事のことも、学生時代など過去を含めたプライベートのことも、ブログ、Kyonkotalk、書面、webなどにある京子ちゃんの文章から見せてもらえた京子ちゃんの人生。
そこにいる京子ちゃんは、私の想い出の中にいる近い存在でも、自分と別世界にいる存在でもない、そもそも私などは全く関係ない(はずなのにファン思いの京子ちゃんは、いつもファンへのお礼や声かけを本当に頻繁にしてくれて、関係ある存在にしてくれた、最高だよ京子ちゃん)
様々な人達と関わり、様々な偉業を達成し、笑いや癒し、大きな救いをくれる人がいる、それが齊藤京子ちゃんだなぁ、と思った。
いつもの様に「渚」を聴いていたある日、私にとって、自分の近くにも遠くにも感じられる存在でありながら、そのどちらでもない所で素敵な人生を歩んでいる姿を届けてくれる京子ちゃんが、上記のようなどちらでもありどれでもない大切な意味を持つ渚に被せられるな、と思った。
この5年間、私にとって「齊藤京子ちゃんは渚のような人」だったな。神秘的だけど確かにそこにいる存在として、私の近くにも遠くにも居てくれた大好きな推し。
今までも今もこれからも、私が京子ちゃんへ心から思う1番の想いはただ一つです。
「京子ちゃんに、京子ちゃんが思い描く通りの人生を歩んで欲しい」
私の大身勝手なわがまま覚悟の欲を言えば、これからも、その歩んだ人生を言葉で届けてくれたらな、と思います(ってこれじゃ想いがただ2つになってるやんけ笑)
おまけ
ザ・ベストハウス123が好きな番組だったので(今の10代の人達は知らない番組かもしれない(^-^;)
私のお気に入り齊藤京子ちゃんベスト3を貼っておきます。これだぁ!