『病室で念仏を唱えないでください』(第4話)-この手は人を救う手なんだ-
深夜にこんばんは、TaAです。
寝てました、洗濯物の乾燥を待ちながら、座ったまま(笑)
さて、今夜は書こうと思いながら書けてなかった第4話について書こうと思います。
けれど、やはり、どう噛み砕くか悩んでしまって、今回は自分の覚書として書くことを選びました。
第4話、これは本当に起きている現実に切り込んだ問題定義だったと思います。
同じ屋根の下で暮らす家族からの性的虐待。
虐待されている子に出る反応として、自分が悪いから怒られているんだという思い込み?
これは悲しいことですが、よくあるパターンのようです。
彼女も言ってました、「私が、、、私が」と。
私の考えですが、これは虐待されている子が何で自分がこういう行為をされているか悩んで悩んで出した答えからくるものだと思っています。
勿論そこには親の理不尽極まりない身勝手な理由が殆どで、子どもに殆どといっていいほど責任はありません。
そして「お父さんは悪くないの」繰り返し言った、彼女の言葉。
これをどう解釈したらいいのか悩みました。
あの最低な義父に対しての言葉。
私が出した答えは、母への思いだったのだと。
きっと同じ屋根の下、家族として生活していくなか、そこには虐待されている時間もあったのだろうけど、シングルマザーとして頑張って自分達を育ててくれていた母の養父との幸せそうな時間があったからこそ出た言葉だったのではないでしょうか。
お母さんが幸せになって良かった、そう思える時間があったからこそ。
そう、彼女の子どもとしての優しさ、思い。
小学生の高学年ともなれば、考えれることだと思います。
先生の「大丈夫、安心して」この言葉に対して安心したように微かに笑みを浮かべた。
その微かな笑みがあったからこそ、この考えが生まれた。
しかしながら、まだ女性として成長段階での子宮外妊娠。
子宮外妊娠からくる不正出血による死亡。
それが養父による性的虐待によるものだと。
このテーマに関して原作ありきではありますが、よくぞ映像として流してくれたと思います。
ニュースに流れていないだけで、児相ではある話しなのではと思うからです。
実際は子宮外妊娠からくる不正出血による死亡、ここまではないのかもしれない。
けれど、家族からの性的虐待による妊娠はある、私はそう思っています。
この問題を公に出来ない難しいところも判ります。
秩序維持、模倣犯が出る可能性、ありとあらゆる問題があるでしょう。
だから、今回のこのテーマには賛否が起こる。
でも、あくまでドラマ、作り物の作品として原作から削らず映像として流し問題定義したフジテレビさんはすごいと思った。
いろんな意味でもう怖いものなんてないさ状態だったからこそ出来たのか(苦笑)
まだまだかみ砕かなきゃいけない表情や言葉があるんだけれど、如何せん時間がない。
それにもう今日、続きがあるしな。
ひとつ書き加えたいのは私としては子宮外妊娠が判った瞬間の中谷美紀さんの表情が更に泪を流すきっかけとなりました。
中谷美紀さん、ムロさん、このドラマの柱を支えてるなぁ。