駄菓子屋でツケ払いを覚えた話
みなさん、ごきげんよう。
あんどーまいかです。
私は駄菓子が好きなんですが、
その理由に付随する出来事の話です。
またまた長々と書いていきます。
駄菓子って今は身近に売られてはいるけど
駄菓子屋って本当に少ないですよね。
私の地元にはありました。
(今もあります。)
その駄菓子屋は私をかたちづくる
とても大事な思い出の場所です。
駄菓子が好きというより
その駄菓子屋がすきだったんです。
私にとっては、人に優しくされた場所であり、
たくさんの人に会えた場所。
おいしいお菓子と楽しい遊びを覚えた場所。
そんな地元の駄菓子屋の常連でした。
なにをもって常連だと判別するのか
わからないですが、
とにかくよく行ってました。
そして常連という言葉を覚えて
常連であることを誇ってた気がする。
覚えたての言葉って使いたくなるよね。
もちろん公園とかでも遊んでましたが、
確か中学で部活をはじめるまでは
放課後といえば駄菓子屋だった気がします。
そんな駄菓子屋に行く
最初のきっかけは、姉でした。
当時喧嘩ばかりしてましたが
なんだかんだ姉大好きっ子だった私は
姉が教えてくれた隠れスポットとして
行き着いたのが後に常連となる駄菓子屋でした。
なんだかちょっと
大人な気持ちになるんですよね。
隠れスポットって。
なんにも隠れてなかったんですけどね。
普通に道沿いにある駄菓子屋でした。
同級生がその駄菓子屋に居た時は
ちょっとショックを受けたこともある。
(そらおるわ。ってかんじ)
最初のうちは姉と一緒に行ってましたが
そのうちひとりで行くことが多くなりました。
気付けばその場にいる人と仲良くなり、
一緒にトランプなどで遊ぶようになりました。
あそべるものがあったのも大きいですが
人と仲良くなる才能があったと思う。
仲間意識があったのかもしれないな。
年上の人たちに可愛がって
もらいやすい性格だったんですよね。
ほんと、同じ場所に集いしものは
みんな仲間みたいな主人公思考ですね。
そして地元の駄菓子屋には
まつもとのおばちゃんってよばれてる人がいて
そのおばちゃんと仲良くなりました。
(店番の人です。)
おばちゃんにも常連だねっていわれていたし
他の常連さんにも覚えられていた。
(もちろん常連なのは小学生〜高校生)
高校生ともがんがんに仲良くなれた
あの時のコミュニケーション力は
ほんとに我ながらすごかった。
そして幼馴染も時同じく常連でした。
(むしろ駄菓子屋に通ったおかげで仲良くなった)
小学生でありがちな
習い事も全然してなかったので
「駄菓子屋にいつもいる子」と呼ばれ
駄菓子屋の近くに勝手に秘密基地をつくったりもしました。
(秘密基地といいつつ、タイムカプセルみたいな箱をよくわからん建物と建物の間に隠してただけの可愛いかんじ。)
幼なじみ以外の地元の子と
仲良くなれるきっかけにもなっていました。
とにかく駄菓子屋のおばちゃんと仲が良かった。いつでも楽しくて、いろんな話をした。
いい思い出ばかりではないけど
全部大事なことだったと思う。
駄菓子のいろんな食べ方を試してみたりもした。
駄菓子屋にきてるひとならだれとでも仲良くなれた。
ほんとはよくないけどお菓子で遊んだりもした。
そこの駄菓子屋はレジの奥に
数人だけ座れるスペースがあって、
団欒できる場所がありました。
そこに座れるのもいわゆる常連だけだったので
今はもう名前もわからないおもちゃとかで
一緒に遊んでもらいました。
高校生ともなかよくなったし
違うクラスの子ともなかよくなれた。
駄菓子はおいしいし、お絵描きもしたし、
おばちゃんも一緒にトランプをしてくれた。
いろんなトランプ遊びはここで覚えました。
放課後は家にかえってすぐ駄菓子屋にいく。
家にいると寂しくなるので
知らず知らずのうちに、
寂しくならないように活動していたんだと思います。
今でも母は、あの駄菓子屋があってくれて
よかったと言ってくれます。
人と仲良くなるだけじゃなくて
人とぶつかることもあり、
私の人格に大きく影響を与えた場所だと
今も尚、思います。
長くなりましたが、
駄菓子屋の常連になった私は
ある日ツケ払いに出会います。
最初の話に戻ります。
なんだかんだ小学生なので、
少ないお金の中から
好きな駄菓子を食べる日だったり、
いろんな駄菓子をこまごま買う日
とりあえず数時間滞在していたので
何回もレジしてもらうのが申し訳なくて
好きな駄菓子をまとめ買いして
ストックを団らんスペースに置かせてもらったりしてました。なくならないの。
治安いいよね!
ゴミ箱に貼る貼り紙を作ったり、
お手伝いみたいなこともしてました。
なんならそのまま近くの公園に行ったり、
何時にかえってくるからねって
おばちゃんと約束をして荷物を置いて
少し遠くの公園に行ったりもした。
治安いいよね…
ここから常連の特権みたいなものが
ぽろぽろでてきてました。
そんななか幼馴染がある日言いました。
おばちゃん、ツケといて!
ツケってなんだ???と思ったのを覚えてます。
幼馴染は小学生にして大人びていました。
ツケ払いのシステムを理解してたんです。
もちろん常連のなかでも
さらに信頼関係がないとできないツケ払い。
ちょっとかっこいい。
いつしか私もできるようになりました。
いや~よく許してくれてたな、と。
今になって思います。
もちろん信用のない人はできなかったので
それほど通ってた、ってことですね。
おばちゃんは他の人には秘密だよって、
あとでこっそりツケれるようにしておくねって
言ってくれたときのうれしさはすごかった。
闇取引をしたときの気分。
だけど実際私はツケ払いは数回しかせず。
お金を払うのを忘れそうで怖かったのです。
危機管理がよくできてる。
私は多分忘れるタイプだ。
そんな私はツケ払いの逆ともいえる
先払いシステムを導入したのだった。
最初に300円を渡しておいて、メモしてもらい
都度都度このお菓子たべます!って申告して
その分をひいてもらうシステムにしてました。
そして残0になったら教えてもらう。
いちいちレジをしなくてよかったので
おばちゃんの手間も減らせるし
一石二鳥だくらい思ってました。
ツケ払いなんてなんやかんや借金ですからね。
ほぼチャージ払いですね。プリペイドが現金。
今でゆうとこのPayPay支払いみたいなもんです。
先駆けやん。
優しいおばちゃんだから
成立したシステムだったなあと思います。
なんだか大人になった気になれました。
たぶん今はもうしてないだろう。
一定期間だけのシステムだったし
ちょっとした特別感が
とても嬉しかったなあ、と思います。
常連とかツケ払いとかの話から逸れるけど
消費税ぶんをまけてくれたりもしてました。
コンビニで払う端数分がない感じ。
ほんと、私にとっては
コタツみたいな場所でした。
そして大事なことですが
駄菓子屋のおばちゃん。
どんな人に対してもおばちゃんはおばちゃんだった。
私が嫌だなって思う人にも。
一般的なお客さんにも。
ちゃんと態度が変わることもあるし、
言葉遣いが変わるときもあったけど
でもなんだろう誠意というか
だれにでも向き合ってるように見えてました。
当時は友達って何歳とでもなれるんだなって
感じていました。
むしろここで学んだのかもしれません。
だからこそ私自身どんなひとへも
話しかけたりできてたのかもしれない。
今とは比べものにならないくらいの
元気さと明るさで人と関わりたがり、
コミュニケーションというよりは
無鉄砲で無邪気だっただけかもしれない。
だからこそ人生で1番勇敢で、ほぼ勇者。
その時に近い姿でうたいたいな、と初期衣装を考ました。
駄菓子屋のおばちゃんには
将来の夢を話してある。
いつか、紅白歌合戦にでてね。
待ってるよっていってくれました。
門限もなかったので
閉店の6時までいつもいた。
恋バナもしたし、友達と喧嘩もしたし
幼なじみと一緒に秘密基地を閉鎖したり。
おばちゃんはいつもやさしかった。
あの日々は確実に今の私を
つくりあげてくれたと思っています。
中学生になって行く機会は減っていって。
高校生になってがっつり部活動中心で
あんまりいかなくなって。
専門学校にはいってからは
1年に1回、2回ペース。
それでもおばちゃんは覚えてくれていて、
別れ際には紅白歌合戦楽しみにしてるねって
ゆってくれました。
約束やでってゆってくれる。
遠足の前だけやたら混む駄菓子屋。
とてもすきな場所。
特別をくれた場所からだからこそ
そこにあるものも好きなれた。
駄菓子をみると、
だれでも受け入れてくれたあの場所を思い出して
誰かと共有したくなるのです。
だから、駄菓子も
気づいたら好きになってた。
今となっては成人してから
2年に1回くらいしか行けてないです。
値段があがるたび、
ちょっとだけ申し訳なさそうな顔してた。
小学生のときにくらべたら
コンビニもめちゃめちゃ増えました。
毎日いたおばちゃんも
時々しか店先にたっていない。
タイミングがあう時は確実に少なくなった。
mixiが流行っていた時は
その駄菓子屋のコミュニティもあったけど
きっとずっともううごいてない。
常連だったからこそ
思い出としてたくさん残っています。
少しの距離感を
駄菓子が埋めてくれる気がします。
先々月くらいに
地元の友達とそこに行ったとき、
おばちゃんがいました。
うおおおおおと思いながら
おばちゃんと目が合ったけど、
話しかけることもなく。
普通にレジして出ちゃいました。
久しぶり!覚えてる?っていえないし、
忘れられてたら寂しいなあなんて
びびって声かけれなかったです、、
化粧をして、お洒落をしたら
わかんなくなるよな、だんだん。
とは思ってます、
でもまた今度行こうとおもってる。
何年も前だし覚えてなくてもよい。
私が覚えてるあいだは約束は有効だし。
いつかラジオでも、テレビでも、ネットでも
おばちゃんのもとに届くように
うたっていかなきゃな、と
思い出す度に気が引き締まる。
純粋に駄菓子もすきだし、
あの駄菓子屋がとてもとてもすきだった。
今も常連の小学生はいるんだろうか。
おばちゃんは歳をとるにつれて、
私が通っていた時が全盛期だったよ
(お客さんが多かったんだって、)
なんていってたけど、今も続いてるのだから
地元に愛される駄菓子屋なのです。
今もだれかの居場所になってくれてるんじゃないかな、とおもう。
なってたらいいなーとおもう。
あの駄菓子屋がなかったら
きっとずーーーーとひねくれてひねくれて
ひねくれまくってた。
充分ひねくれてはいたけども。
なので駄菓子に無性に愛を感じます。
ひとに優しくできるようになったのも
そこでいろんな人と会えたからだと思う。
世間知らず私にたくさんのことを
教えてくれる人がいたんだもの。
時々また、あの駄菓子屋へいく。
おばちゃんにあえても、あえなくても。
街並みもどんどん変わったけど
変わらずにあることがとても嬉しくなる。
もちろん駄菓子もすき!
滅ばないでほしい。
もし、近くに駄菓子屋があるなら
行って見てほしいな。と思います。
今では自分の店に駄菓子を卸して振る舞っている。
味わっていく。
誰かの思い出が甦るときが
とてもたのしくて愛おしいのです。
たくさんのことを学んだ、教わった場所。
できるだけつづきますように。
そしてツケ払いはすなよ!
おわり。