イギリスの王族・貴族の名乗り style
ずいぶん前に公開した以下の記事ですがマニアックな内容であるにもかかわらずコンスタントにアクセスがあり、意外に需要があるのだなあと感じています。
それに勇気づけられて、少しだけ触れていた名乗り style について記事を書いてみたいと思います。上の記事が前提となっていますので、未読の方はそちらを先にお読みください。もう読んだという方は大丈夫ですが「早期相続」の段落を最近追加したことだけお知らせしておきます。この段落は以下の文を読むのには特段必要ないので後回しにしていただいてもかまいません。
例をふんだんに盛り込んだら異常に長くなり、2万字を超える大作になりました。分量のわりに内容は軽いのでお気軽にお読みください。
名乗り style と form of address
貴族制度では伝統と形式を重んじます。特に人間関係の上下は重要ですから、誰か特定の人物に(直接あるいは間接に)呼びかける際には相手の身分によって適切な呼称を選ばなくてはいけません。それを form of address、あるいは style と呼びます。ここには称号 title を含むのが普通ですが、それを style で装飾して適切な form of address を用いなければなりません。例えば日本で皇太子にむかって「皇太子」と呼びかけるのは不適切で「皇太子殿下」と呼ぶべきとされています。ごく乱暴な説明ですが「皇太子」が title、「殿下」が style、「皇太子殿下」が form of address にあたると大まかに考えておけばいいのではないでしょうか。ただし慣習なのではっきりした定義はありません。「皇太子殿下」にあたる表現を style としていることもよくあります。
少し調べてみたのですが、実際のところ「名乗り style とは」という明確な説明はみあたりませんでした。そもそも「名乗り」という用語はまったく便宜的にひねり出したもので適訳かどうかまるっきり自信がありません。上の段落での理解も実際の使われ方を見てなんとなく自分でこうじゃないかなと感じた程度のもので根拠は薄弱です。「名乗り」という用語は自分でもしっくりこないので以後もっぱら「style」を用いることとします。
国王・王妃・王太后
国王の敬称は日本(や中国)では「陛下」ですが英語ではこれを「Your Majesty」と表す(あるいはその逆)例になっています。通常、style とされるのは「Majesty」だけで「Your」あるいは「His/Her」は含みません。ただし実際に使用する場合は必ず「Your/His/Her/Their」などを冠することになっています。対面で直接呼びかける場合はまず「Your Majesty」を用います。ただし初回のみで二度目以降は「Sire」で呼びかけることになっています。
書面などで第三者として言及する場合は「His Majesty」を用います。たとえば英国政府の正式名称は「His Majesty's Government 国王陛下の政府」です。より正式には「His Majesty The King」と称します。定冠詞である「The」に注意してください。英国内で「The King」といえばひとりしかいません。「His Majesty」はしばしば「HM」と略されます。
同じような理由で王妃は「Her Majesty The Queen」あるいは「HM The Queen」となります。対面では初回「Your Majesty」、二回目以降は「Ma'am」を用います。「国王夫妻」を表すには「Their Majesty」あるいは「Their Majesty The King and Queen」などと表します。
ややこしいのは、女王と王妃に区別がないことです。故エリザベス女王も生前の style は「Her Majesty The Queen」で、現在のカミラ王妃のものとまったく同一です。男性国王の配偶者である王妃を Queen consort として区別することがありますが style としては用いられません。なお、男性国王 King の配偶者である Queen は Majesty の style を持ちますが、女王 Queen の配偶者は King とも呼ばれず、Majesty とも呼ばれません。ここに男女の非対称性が残っています。
国王や女王・王妃のほかに Majesty の style を持つのが王太后です。たとえばジョージ6世の王妃エリザベスは1952年に夫を亡くしてから半世紀を生きました(2002年崩御)。王妃であったときの style は「Her Majesty The Queen」でしたが、ジョージ6世が崩御して娘のエリザベスが女王に即位した後は「Her Majesty Queen Elizabeth」を名乗ります。「The Queen」は現任の女王もしくは王妃にかぎられるので「The」は除かれ、個人名 Elizabeth を加えることで区別しました(王太后は同時に複数存在する可能性があります)。ただ女王も王太后も Elizabeth で(母親にちなんで娘を命名したのですが)まぎらわしいため、女王の布告で「The Queen Mother」を加えることとしました。「Her Majesty Queen Elizabeth The Queen Mother」と少し長いものになりましたが「The」が復活したのが目を引きます。なお Dowager 「寡婦」を加えて「HM Dowager Queen」あるいは「HM Queen Dowager」としていることがありますが正式なものではないようです。
近年、日本や欧州の君主国で生前退位が相次いでいますが、イギリスにかぎって言えばノルマン征服以降「自らの意思で」退位した君主は1936年のウィンザー公(エドワード8世)だけです。退位後のウィンザー公は Majesty の style は放棄し爵位をもつ王子としての style を使用しました。
生前退位した他国の君主に対しては王太后の例を準用して「HM King John Charles of Spain」(スペインの前国王フアン・カルロスの例)などとしているようです。これは英国で英語式にそう表現しているというのに過ぎず、スペイン本国で正式にどのように呼称しているかという点とは別であることは留意してください。
参考までに国王よりも格上の称号である皇帝については Imperial Majesty などの style を用います。インド皇帝としての英国王の style は「His Imperial Majesty The Emperor of India」などとなります。現在、この style を用いるのは日本の天皇だけです(His Imperial Majesty = HIM The Emperor of Japan)。
(以下の記述では書面上での表記に説明をかぎり、対面での呼びかけについては割愛します。興味がある方はお手数ですがおのおの wikipedia などを参照してください)
王族・王子・王女・王子妃
王族の範囲は時代によって変わりますが、国王または女王(前任者も含む)を基準として
・君主の子女(子世代)は王子または王女の称号を持つ
・男子の子女(孫世代)は王子または王女の称号をもつ
・王太子の長男の子女(曽孫世代)は王子または王女の称号をもつ
・王子の配偶者は王族とされる
となります。裏返しとなる注意点を列挙すると
・王子の配偶者は結婚により王族となるが王女になるわけではない
・王女は結婚で王女の称号も王族の地位も失わない
・王女の配偶者は結婚で王族にも王子にもならない
・王女の子女は王子・王女の称号を持たず王族にも含まれない
で、ここにも男女の非対称性が見られます。ただしこれは王族の範囲や王子・王女の地位に関する非対称で、2013年の王位継承法改正以降は王位継承について男女の差はなくなりました。
現在の規定は1917年に基本線が定められましたが、生前のエリザベス女王は孫のウィリアム王子(現王太子)の結婚に際してそれまで王太子の長男の長男にかぎられていた王子の称号を、王太子の長男の子女全員に広げました。これによってウィリアム王子の3人の子女(長男ジョージ、長女シャルロット、次男ルイス。いずれもエリザベス女王の曽孫にあたる)は全員王子または王女を名乗ることを許されました。現在は代替わりでチャールズ国王の孫世代になっておりエリザベス女王による変更にかかわらず王子・王女を名乗れるようになっています。
王族は Royal Highness の style を用います。男子に対しては His Royal Highness、女子に対しては Her Royal Highness でいずれも HRH と略記します。かつては Royal Highness よりも格下の Highness(HH)や、主にドイツで用いられた Serene Highness (HSH) などがありましたが現在の英国内では用いられません。国外で用いられる style としては皇帝の皇子がもちいる Imperial Highness (HIH) や、オーストリア=ハンガリー二重帝国特有の Imperial and Royal Highness (HIRH) などがあります。
王子・王女のうち君主の子女、つまり子世代は「The」を冠して表します(HRH The Prince Charles、HRH The Princess Anne など)。修飾を加えず定冠詞を附すことで君主の直接の王子王女であることを示しています。王子は結婚などで独立すると貴族の称号を与えられる例となっています。貴族の最高位である公爵が通例ですが、王太子にはウェールズ大公 Prince of Wales が与えられる例となっており、これは公爵よりも格上とされています。こうした称号を得たのちはその爵位を名乗りますが style は Royal Highness を維持します。例えばエリザベス女王の次男アンドルー王子は「ヨーク公」の爵位を得てそれまでの style「HRH The Prince Andrew」から「HRH The Duke of York」と変わりました(現在はスキャンダルで HRH の style と王子の待遇を辞退して単に「The Duke of York」を名乗っています)。style は本人の身分、あるいは基準となる国王の移り変わりによって変化します。
国王の孫世代である王子・王女で自ら称号を持たない者は父の称号を加えて名乗ります。例えばヨーク公アンドルーの娘であるベアトリス王女は「HRH Princess Beatrice of York」と名乗ります。この場合「The」がつかないことに留意してください。初代ケント公の次男で現在の第2代ケント公の弟にあたるマイケル王子は「HRH Prince Michael of Kent」となります。マイケル王子の妃は「HRH Princess Michael of Kent」を名乗ります。既婚女性は夫の style の女性形となるのが基本です。
実例をみていくのがわかりやすいでしょう。
故エリザベス女王が1926年に生まれた時の国王は祖父ジョージ5世でした。父アルバート王子はジョージ5世の次男で当時は「ヨーク公 HRH The Duke of York」を名乗っていました。したがって誕生時のエリザベス王女の style は「HRH Princess Elizabeth of York」となります。ジョージ5世が1936年に崩御すると父の兄(伯父)にあたる王太子がいったん即位(エドワード8世)したもののその年のうちに「王位をかけた恋」で退位し、エリザベスの父ヨーク公アルバートがジョージ6世として即位しました。これによりエリザベス王女の style は「HRH The Princess Elizabeth」と変わります。
第二次大戦後の1947年、ギリシャ王家出身のフィリップと結婚しました。結婚に際しフィリップにはエジンバラ公「Duke of Edinburgh」が与えられ、エリザベスはエジンバラ公夫人としての style「HRH The Duchess of Edinburgh」もしくは「HRH The Princess Elizabeth, Duchess of Edinburgh」を称します。翌1948年には長男チャールズが誕生しました。本来の規定では王子とはされないはずなのですが王位継承予定者たるエリザベスの子とあってジョージ6世は特に王子の称号と Royal Highness の style を許しました。チャールズは「HRH Prince Charles of Edinburgh」を称します。
1952年にジョージ6世が崩御しエリザベスが女王に即位すると「HM The Queen」と称することになります。嫡子チャールズは「HRH The Prince Charles」と称するかと思いきや、英国君主の確定相続人には自動的に「コーンウォール公爵」の爵位が授けられることになっています。したがって厳密には「HRH The Duke of Cornwall」とするべきなのですが、一般にはまだ「プリンス・チャールズ」で通っていたようです。1958年に正式に王太子 Prince of Wales に叙任されると「HRH The Prince of Wales」の style を用いるようになります。コーンウォール公爵とは異なりウェールズ大公の称号の授与には国王による明示的な布告が必要なのでタイムラグがあるのです。
さてエリザベス女王の夫君フィリップ殿下ですが、結婚によって「エジンバラ公爵」の爵位を得たもののその代償としてギリシャ王子の地位とギリシャ王位の継承権を放棄していました。このままでは「王族女子との結婚で王族になることはない」という原則にしたがって「ヒラの公爵」になるところだったのですが特に Royal Highness の style を許され王族待遇を受けることになりました(HRH The Duke of Edinburgh)。しかしこの時点ではまだ王子ではなく、王子の称号を得たのは結婚から10年、エリザベス女王の即位から5年を経た1957年のことでした(HRH The Prince Philip, The Duke of Edinburgh)。
1982年、エリザベスにとって最初の男系の孫であるウィリアム王子が生まれました。父チャールズの称号にしたがい style「HRH Prince William of Wales」を名乗ります。2年後には弟ヘンリーが生まれ「HRH Prince Henry of Wales」を名乗りました。ウィリアムは2011年に結婚すると同時にケンブリッジ公爵 Duke of Cambridge を叙爵され「HRH The Duke of Cambridge」と style が変わります。妃キャサリンは「HRH The Duchess of Cambridge」を称します。2013年、ふたりの間に長男ジョージが生まれました。エリザベス女王にとっては曽孫にあたります。先に述べたように王子の称号と Royal Highness の style を持ち「HRH Prince George of Cambridge」を名乗ることになります。一方、ウィリアムの弟ヘンリーは2018年の結婚に際しサセックス公爵を授与され「HRH The Duke of Sussex」を名乗ります。翌2019年には長男アーチーがうまれますが王太子の次男の子である君主の曽孫にあたり、王子の称号も Royal Highness の style も与えられませんでした(具体的な style はのちほど)。この待遇の違いがヘンリー王子の不満につながったのではないかという推測があります。しかし2022年にエリザベス女王が崩御し代替わりするとアーチーはチャールズ国王の男系の孫にあたるので styleは「HRH Prince Archie of Sussex」として王族とみなされるようになります。チャールズ国王も布告で王子の称号を認めていますが、すでにヘンリー一家は王室からの「離脱」を宣言済みで実際の効果はなかったようです。
エリザベス女王崩御にともなう代替わりで style が変わったのはそれだけではありません。これに先立つ1996年、ダイアナ王太子妃「HRH The Princess of Wales」はチャールズ王子と離婚しましたがそのときの条件のひとつが「王太子妃の称号を終生保持すること」でした(Diana, Princess of Wales)。チャールズが再婚したカミラ妃は法的には王太子妃でありながら Princess of Wales の称号を用いず、チャールズの称号のひとつであるコーンウォール公爵の夫人「HRH The Duchess of Cornwall」を称しました。ダイアナが事故死したあとも続けられたのは国民感情を考慮したのでしょう。チャールズの即位によりカミラは晴れて王妃「HM The Queen」を名乗ることになります。ダイアナが「王妃」を名乗ったことはなく遠慮する必要はなかったのでした。さて王太子 Prince of Wales は自動的に継承されませんが、コーンウォール公爵は女王崩御の瞬間自動的に継承されます。たかだか10年ちょっとの歴史しかないケンブリッジ公爵よりもはるかに格上のコーンウォール公爵を、ウィリアムと妃キャサリンは名乗ることになります「HRH The Duke of Cornwall」。これに付随してジョージ王子も「HRH Prince George of Cornwall」と style が変わります。しかし新国王チャールズが即位の翌日にウィリアムを正式に王太子としたことにより、わずか1日でふたたび変更となりそれぞれ「HRH The Prince of Wales」「HRH Prince George of Wales」と名乗ることとなり、現在に至ります。
王女は結婚すると夫の style に従いますが HRH は引き続き使用します。エリザベス女王のすぐ下の妹であるマーガレット王女はスノードン伯爵と結婚したのでスノードン伯爵夫人を加えて「HRH The Princess Margaret, Countess of Snowdon」を用いました。
英国王女固有の称号として Princess Royal があります。この称号は君主の最年長の女子に与えられるとされており男子の Prince of Wales に対応したもののように思われますが、Princess Royal は君主の代替わりがあっても影響されないことが異なります。Princess Royal はいったん授与されれば生涯保持することとされており、別に有資格者があっても現にその称号をもっている者が存命なかぎり新たに授与されることはありません。ジョージ5世の長女メアリ王女は1932年に Princess Royal の称号を授与されました。1936年に代替わりがあってジョージ6世が国王となり、その長女であるエリザベス王女は Princess Royal を授与される資格を持ちましたがメアリ王女が存命なため Princess Royal を名乗ることはできないまま 1952年女王となりました。メアリ王女は1965年に亡くなり Princess Royal は空席となります。エリザベス女王には1女アン(1950年生)があり、1987年 Princess Royal が授与されました。Princess Royal の授与には Prince of Wales と同様に君主による明示的な布告が必要で、有資格者がありながら空位であるということがあります。Princess Royal は通常「HRH The Princess Royal」を称します。Princess Royal は同時にひとりしか存在し得ません。Princess Royal が結婚してもたいていの称号より格上になるのでこの style を使い続けるのが通例です。アン王女は平民と結婚したのですがその後も「HRH The Princess Royal」を使用し続けています。正確に言うとアン王女は Princess Royal を授与される前に結婚しており(1973年)、その間は「HRH The Princess Anne, Mrs Mark Philips」を用いていました。style 変更により既婚から未婚に戻ったような錯覚に陥りそうです(その後実際に離婚、さらに再婚)。
公爵とその家族
ここでは「王族ではない」公爵をとりあげます。
2024年10月現在、イギリスには延べ29の公爵があり(王族を除きます。以下同じ)、24人が公爵を名乗っています。数が合わないのは2つの公爵を持つ者が3人、3つの公爵を持つ者が1人いるからです。前の記事で公爵などの貴族には5種類(イングランド・スコットランド・グレートブリテン・アイルランド・連合王国)あると説明しました。公爵同士の席次はまずこの5種類の順序になり、例えばイングランド公爵はスコットランド公爵よりも高い席次となります。同じカテゴリー(イングランド公爵同士など)の場合は創設された年次が古い順序になります。イングランド公爵でもっとも古いノーフォーク公爵 Duke of Norfolk は1483年の創設、もっとも新しいラトランド公爵 Duke of Rutland は1703年の創設で、これにスコットランド公爵で最古の1643年創設ハミルトン公爵 Duke of Hamilton が続きます。例外は1868年に創設されたアイルランド公爵のアバコーン公爵 Duke of Abercorn で、同時期の連合王国公爵にまじって年次で席次が決められています(1833年創設のサザランド公爵の下、1874年創設のウェストミンスター公爵の上)。この創設年がいつになるかというのはかなり重要で、一度断絶した爵位が再度叙爵されたとすると年次はリセットされてしまい席次が大幅に下がることになります(代数の数え方もリセットして初代から数え直しになります)。例えばサマセット公爵 Duke of Somerset ははじめ 1443年に創設されましたがその後何度か断絶と創設を繰り返し、現在の公爵家は1547年に創設された家系なのでこの年(1547年)が基準になります。ノーフォーク公爵(1483年)に追い越されてしまったわけですが、実はノーフォーク公爵の最初の創設は1397年で1483年は4度目の創設(Fourth Creation of Dukedom)になります。さらに言えばノーフォーク公爵は1485年にヘンリー・チューダー(のちのヘンリー7世)に敵対して敗れ、爵位を剥奪されています。その後復活と剥奪を繰り返し、最終的に復活したのは1660年でした。これがもし「復活」ではなく「再創設」という扱いだったら席次はサマセット公爵よりも低かったはずです。由緒ある爵位では国王の特許により年次をさかのぼった扱いにすることがあります。シェークスピアの戯曲「ヘンリー4世」「リチャード2世」にも登場するホットスパーことヘンリー・パーシー Henry Percy の出身であるパーシー家は古くノーサンバランド伯爵という称号をもっていましたがこれが1537年に剥奪され、その後1557年に再度創設されました。1628年、時の国王チャールズ1世によりこの爵位は「1377年に創設されたものとみなす」とされました。1377年は最初に創設(First Creation)された年ですがこの布告により席次は大幅に上がったのです。ただしこれは「席次にのみ」有効だったようでもとの爵位が復活したわけではありません。このノーサンバランド伯爵は1660年に結局断絶し、1749年に再度創設、1766年に公爵 Duke of Northumberland に昇格して現在に至りますが、1628年の布告はもはや有効ではないようです。
そろそろ話を本筋に戻しましょう。現任の公爵は「His Grace」という style を用います。また「The Most Noble」(もっとも高貴な)という style も用いられることがあり、ともにそれぞれ単独で、あるいは同時に用いられることがあり得るとされており、例えばウェリントン公爵は「His Grace The Duke of Wellington」「The Most Noble The Duke of Wellington」「The Most Noble His Grace The Duke of Wellington」のいずれも正しいということになります。ただし「The Most Noble」は用いられることが少なく、「His Grace」と同時に用いられることは「さらにまれ」ということなので基本的には「His Grace」が用いられると考えておけば良いでしょう。なお「His/Her Grace」は「HG」と略されます。公爵夫人または自らが公爵の爵位を保持する女性の場合は「Her Grace The Duchess of Wellington」となります。公爵夫人と女公爵は style の上では区別がつきません。特に自らの権利で公爵である場合は「in her own right」などの注釈が付けられますが style ではそこまで言及しないようです。wikipedia などでは代数が付加されている場合(2nd Duchess of Marlborough など)は自ら爵位を持っていると判断できるようです。ただしその逆は成り立ちません(一代公爵の場合は自らの権利でも代数を付加していないことがあります)。
公爵の直系卑属(つまり子孫)は、爵位を保有する(していた)公爵本人との続柄により style が決まります。傍系はこの恩恵にあずかることができず、例えば公爵の実の弟であっても何の栄典もありません。ただし先代公爵の次男であれば「公爵の次男」としての style を名乗ることができます。「初代公爵の弟」と「第2代公爵の弟」では扱いがかなり異なります。言い換えれば「平民の次男」と「公爵の次男」の違いということになります。
まず公爵の確定相続人 heir apparent (通常は長男。heir の "h" は発音しない例で、カタカナに移せば「エア」となります)は公爵位に付随する従属称号 subsidiary titles のひとつを儀礼称号 courtesy title として称することは前回の記事でも説明しました。ここではもう少し具体的に見ていきましょう。ウェリントン公爵 Duke of Wellington は現在、8つの従属称号を保有しています。ウェリントン侯爵 Marquess of Wellington、ドウロ侯爵 Marquess Douro、モーニントン伯爵 Earl of Mornington、ウェリントン伯爵 Earl of Wellington、ウェレズリ子爵 Viscount Wellesley、ウェリントン子爵 Viscount Wellington、ドウロ男爵 Baron Douro、モーニントン男爵 Baron Mornington で、侯爵2、伯爵2、子爵2、男爵2とバランス良く保有しています(外国爵位を除く)。儀礼称号は爵位保有者の最高爵位(この場合公爵)よりも低い爵位から選ぶ例で、侯爵から選ぶことになりますが同じ名称は避けることになっており従ってウェリント公爵の嫡男は「ドウロ侯爵 Marquess of Douro」を名乗ります(創設時の London Gazette - イギリスの官報 - には "Marquess Douro" とあるそうですが of を含める使用例が多く、一方で含めない用例もあって本国でも一部で議論になっています。あくまで儀礼上の称号にすぎないということなのか無理に統一するつもりもないようです)。公爵本人には「The」がつきますが儀礼称号には「The」はつきません。また公爵の「His Grace」に相当する「The Most Honourable」も使えず、裸の称号だけ使用できます(The Most Honourable については後述)。
儀礼称号を称することができるのは伯爵以上の確定相続人に限定されていますがこの「伯爵以上」には儀礼称号も含むことになっており「ドウロ侯爵」の確定相続人、つまり公爵から見ると孫(嫡男が早世しなければですが)は伯爵の中から「モーニントン伯爵 Earl of Mornington」を選ぶことになります。実はウェリントン公爵の従属称号の中でもっとも古い由緒ある称号がこれになります(1760年創設)。孫の代でもまだ伯爵なのでその確定相続人も儀礼称号を用いることができ、嫡曽孫は「ウェレズリ子爵 Viscount Wellesley」を名乗りますが実際にここまで使われたことはないようです。ただここまでできるのはウェリントン公爵家がバランス良く従属称号を保有しているためで、そうはいかない公爵家のほうが普通です。なお儀礼称号を使用すべき続柄でありながら使用できる従属称号がない場合は姓を用いて例えば「Lord Wellesley」などと称することになっています。
爵位や従属称号は姓のように使われることが多く、例えば「岸田首相がこう話した」などのように「Wellington commented …」「Mornington's wife was …」などと記述されるのが通例です(本来の姓 surname は Wellesley)。18世紀半ば、イギリス首相をつとめたニューカッスル公の政権は「ニューカッスル内閣」と呼ばれますが、その前の内閣はヘンリー・ペラム Henry Pelham が首相だったので「ペラム内閣」と呼ばれます。実はニューカッスル公の個人名はトマス・ペラム Thomas Pelham といいこの二人は実の兄弟(ヘンリーが弟)なのですが内閣の名前だけ見ていると気づかないでしょう。
ところが style は生涯のうちに何度か変わることがあります。例えばウェリントン公爵の孫として「モーニントン伯爵」を名乗っていたのが公爵が代替わりして自分が確定相続人になると「ドウロ侯爵」と呼び名が変わり、あたかも改姓したような状態になってしまいます。近年では貴族同士のつきあいよりも日常の仕事の都合のほうが優先されるのか以前の style を使い続ける例がしばしば見られ、現在のウェリントン公爵の嫡子アーサー Arthur Wellesley は本来「ドウロ侯爵」を称するべきところ「モーニントン伯爵」を使い続けています。似た例としてデヴォンシャ公爵 Duke of Devonshire の嫡子 William Cavendish は本来の「ハーティントン侯爵 Marquess of Hartington」の代わりに「バーリントン伯爵 Earl of Burlington」を名乗り続けています。彼は "Bill Burlington" の名前で写真家として活動しているそうで、自営業としてはブランドが大事ということなのでしょう。まるで結婚した女性が職場で旧姓を使用しているようなものです。
確定相続人以外の公爵の子女は Lord あるいは Lady の style を用います。称号は使えないのでその後には個人名が続き男子の場合「The Lord John Wellesley」などと、女子の場合は「The Lady Anne Wellesley」などと名乗ります。そしてこの「Lord」の子息はもはや style を持ちません。あえて言うならば「Mr」となり一般庶民と変わりません。第8代マールバラ公爵ジョージ・スペンサーチャーチル George Spencer-Churchill にはランドルフという弟がいました。第7代公爵の三男である彼は「The Lord Randolph Spencer-Churchill」の style を用い、その息子ウィンストンは「Mr Winston S Churchill」と呼ばれます。有名なチャーチル首相そのひとですが、従兄弟にあたる第9代公爵(第8代の嫡子)は母親から「早く跡継ぎを作りなさい、さもないとあのウィンストンが公爵になってしまいますよ」と叱責されたとのことです。もし実際にそのようなことがあったら「Mr」から一挙に「His Grace」に style が激変するわけですが(そういう例は少なくありません)現実にはそうしたことは起こらず、またチャーチル自身は叙爵の申し出を断り続けて平民として生涯を終えました。余談ですがチャーチルの本来の姓はスペンサーチャーチル Spencer-Churchill で、ダイアナ元王太子妃の実家スペンサー家とは遠い親族になります。
こうした「Lord」の配偶者は「Lady」を名乗りますが例えば「The Lord John Wellesley」の配偶者は「The Lady John Wellesley」となり配偶者本人の個人名は跡形もありません。日本人の感覚では「Lady」という単語と「John」などの男性名は結びつきにくいのですが。「Mr」の女性形は「Mrs」ですが厳密には「Mr Winston Churchill」の配偶者は「Mrs Winston Churchill」とするのが本来の形であるというのは知っている人もいるでしょう。
直系卑属がなく爵位が傍系に移った場合、新たに相続した者の親族はその祖先が爵位を継承したという想定で style が許されるという決まりがあります。具体例をみていきましょう。第2代ウェリントン公爵アーサーには男子がなく、甥であるヘンリーが跡を継ぐことになりました。ヘンリーの父チャールズは第2代公爵アーサーの弟ですが初代公爵の子ということで「The Lord Charles Wellesley」という style でしたが、その子であるヘンリーは「Mr Henry Wellesley」でしかありませんでした。1884年に伯父の跡を継ぐと「HG The Duke of Wellington」を称することになります。ヘンリーも男子に恵まれず第4代は弟のアーサー(第2代公爵と同名ですが別人です)が継ぐことになりました。アーサーももともと「Mr Arthur Wellesley」でしたが1884年に兄ヘンリーが公爵を相続した結果、父チャールズが公爵を継承したという想定で「公爵(チャールズ)の次男」という続柄から「The Lord Arthur Wellesley」の style に変わりました。そして 1900年兄ヘンリーの跡をうけて第4代公爵を継承しています。
侯爵・伯爵とその家族
公爵と侯爵以下は格式という点ではだいぶ差があります。公爵は別格ということなのでしょう。数えるのは大変なので具体的な数字はいま出せませんが数もかなり多くなっています。ただしその何割かは従属称号です。
style に関して言えば公爵と侯爵・伯爵では似ている点も異なる点もあります。儀礼称号の使用、夫人や女侯爵・女伯爵の呼称、定冠詞の有無などは共通ですが、「His Grace」にあたる部分は侯爵・伯爵でそれぞれ異なります。以下詳しく見ていきましょう。
侯爵 Marquess (外国の侯爵は Marquis を用いる慣例)を現に保有している者の style は「The Most Honourable The Marquess of Cholmondeley」などを用います。侯爵夫人(あるいは女侯爵)は「The Most Honourable The Marchioness of Cholmondeley」などとなります。「The Most Honourable」は「The Most Hon」と略されることが多いようです。ちなみに「Cholmondeley」はカタカナで表記すると「チャムリ」と発音するそうで、綴りと発音の乖離がひどいことになっています。「Cholmondeley」はこの侯爵家の姓でもあります。チャムリ侯爵の確定相続人の儀礼称号は「ロックサヴェージ伯爵 Earl of Rocksavage」、嫡孫の儀礼称号は「マルパス子爵 Viscount Malpas」になります。儀礼称号として侯爵を名乗る場合は「The Most Hon」も「The」も用いず単に「Marquess of Douro」などとすることになっています。
確定相続人以外の子女は公爵の場合と同様に「Lord」「Lady」を用います。
伯爵 Earl (外国の伯爵は Count を用いる慣例)を現に保有している者の style は「The Right Honourable The Earl of Derby」などを用います。伯爵夫人あるいは女伯爵は「The Right Honourable The Countess of Derby」などとなります。「The Right Honourable」は「The Right Hon」「The Rt Hon」などと略されます。
伯爵の確定相続人は(従属称号があれば)儀礼称号を名乗ります。女子は「Lady」を用いますが、確定相続人以外の男子は「Lord」を名乗れず「The Honourable Frederick Stanley」などと名乗ります(第15代ダービー伯爵の弟でのち第16代伯爵)。「The Honourable」は「The Hon」と略されますが口語では「Mr」で代用されるようです。「Lord」の子の「Mr」も正しくは「The Hon」ではないかと伺わさせる記述もあるのですが明確な説明はみつけられませんでした。
儀礼称号として伯爵を名乗る場合は「The Rt Hon」も「The」も用いず単に「Earl of Arundel」などとします。ケント公爵 Duke of Kent は、ジョージ5世の四男(エリザベス女王の叔父)ジョージ HRH The Prince George, 1st Duke of Kent にはじまり現在は第2代エドワード HRH Prince Edward, 2nd Duke of Kent に代替わりしています。ケント公爵は従属称号としてセントアンドリュー伯爵を保持しており、確定相続人のジョージが儀礼称号として「Earl of St Andrew」を名乗っています。ところがジョージは国王ジョージ5世の曽孫にあたり、祖父である初代公爵は国王の四男であるためセントアンドリュー伯爵ジョージは王族でも王子でもありません。もし代替わりがあって公爵位を継承したとして、HRH は使用できないので「HG The Duke of Kent」を使用することになると予想されます。なお「国王の子孫で王族でないものは Windsor の姓を用いる」とされており個人名は「George Windsor」になります。同じようなことは現在のウィリアム王太子の弟であるサセックス公ヘンリーにも言えます。サセックス公爵は従属称号としてダンバートン伯爵 Earl of Dumbarton、キルキール男爵 Baron Kilkeel を保有しています。その嫡子であるアーチーは王子ではないため儀礼称号として「Earl of Dumbarton」を称するはずでしたが実際には「Lord Archie Mountbatten」を使用しました。
子爵・男爵とその家族
子爵 Viscount("s" は発音せず「ヴァイカウント」と読みます)の爵位を現に保有している者は「The Rt Hon The Viscount Gort」などを用います。子爵夫人または女子爵は「The Rt Hon The Viscountess Gort」などとなります。子爵の確定相続人は儀礼称号を名乗ることができません。子女は「The Honourable」を用いて「The Hon John Vereker」「The Hon Jane Vereker」などと名乗ります。
男爵 Baron の爵位を現に保有している者は「The Rt Hon The Lord Hastings」などを用います。爵位は「Baron」ですが style では「Lord」を用いる例となっています(儀礼称号も同様)。かつて男爵 Baron が貴族全体を意味した時代の名残でしょうか。同じように男爵夫人もしくは女男爵は「The Rt Hon The Lady Hastings」などと「Lady」を用います。ただし、自らの権利として男爵の爵位をもつ女性に対しては「Baroness」を使用することが多く、特に一代貴族 life peer に叙爵され貴族院に議席をもつようになった女性は「The Rt Hon The Baroness Thatcher」のように「Baroness」を用いる慣習になっており、この場合は男爵夫人と女男爵が style 上でも区別できます。
スコットランドでは男爵に相当するのは卿 Lord of Parliament ですが style は同じく「Lord」「Lady」になります。
男爵の子女は確定相続人も含めて「The Hon David Astley」「The Hon Catherine Astley」などと名乗ります。「The Hon David Astley」の配偶者の style は「The Hon Mrs David Astley」となります。
儀礼称号として子爵や男爵を名乗る場合は「The Rt Hon」や「The」は使用せず単に「Viscount Nelson」「Lord Seymour」などとします。
貴族以外
高位の聖職者は世襲ではありませんが事実上貴族として扱われ貴族院に議席を持ちます。イギリス国教会の首長は国王ですが事実上のトップはカンタベリー大司教がつとめます。大司教は Most Reverend という style を持ち「The Most Reverend and Right Honourable The Lord Archbishop of Canterbury」などと称します。「Reverend」は「Revd」と略されます。聖職者は位階に応じて「Right Reverend」「Very Reverend」「Reverend」などの style を用います。詳しくは割愛します(よく知らない)。
Right Honourable は伯爵以下の貴族に用いられ、大司教の style にも含まれますがそれには留まらず、首相や閣僚が通例用いるものです。例えば「The Rt Hon Sir Keir Starmer」といった具合です。ただし The Rt Hon は首相あるいは閣僚であることによって得られるものではありません。古参の下院議員は The Rt Hon を許される例が多いのですが下院議員に当選しただけではこの style は許されません。The Rt Hon が許されるのは伯爵以下の貴族と名誉市長 lord mayor のほかに国王への助言機関である枢密院 Privy Council の顧問官 Privy Councilor に対してであり、国王が豊富な政治経験をもつと認めたということを意味します。内閣閣僚を含む有力な政治家は終身の枢密顧問官に任命される慣例となっており結果として閣僚は The Rt Hon の style を用いることになります。
貴族ではない世襲の栄誉として准男爵 Baronet があります。「Sir」を冠するとともに「Bt」あるいは「Bart」を付加します。例えば「Sir Arthur Harris, Bt」といった具合です。自らの権利として准男爵位を保有する女准男爵は「Dame Jane Harris, Btss」(Btss は Baronetess の略)、准男爵夫人は「Lady Harris」となります。
騎士 Knight は貴族でも世襲でもない栄誉で、准男爵と平民のあいだに位置づけられることが多いようですが、高位の貴族が騎士に叙任されることも多くそう単純ではありません。英国最高位の騎士団であるガーター騎士団 The Most Noble Order of the Garter ではアバコーン公爵が24名定員の団員の筆頭ですが style としては「HG The Duke of Abercorn KG」と KG (Knight Companion of the Order of the Garter)のポストノミナルレター(名前の後ろに付加される通常アルファベット数文字からなる記号で、それぞれ地位や栄誉を表します)がつくだけで大きくは変わりません。「騎士には Sir の称号が許される」と説明されがちですが「Sir」は個人名につくものであり Style に個人名が現れない場合はつける場所がないのです。ましてや貴族である騎士にむかって「Sir」とするのは格下げにあたり失礼になります。元首相のメージャー氏のようにもともと平民でガーター騎士に叙任された場合は「The Rt Hon Sir John Major KG」となります(首相経験者なので The Rt Hon を使用できるのです)。
騎士は元来騎士団 Order の成員という建前で、イングランド最古のガーター騎士団のほかにバス騎士団 Order of the Bath、スコットランド最古のシッスル騎士団 Order of the Thistle、いまは休眠状態の聖パトリック騎士団 Order of St Patrick、大英帝国騎士団 Order of the British Empire など多数の騎士団が存在しそれぞれ特有の条件が与えられていました。例えば聖ヨハネ騎士団 Order of St John は「医療や健康増進に顕著な貢献」が条件となっており日本でいう褒章制度に近いものがあります。ガーター騎士団やシッスル騎士団の団員は単一階級ですが、複数の階級をもつ騎士団もあり例えばバス騎士団には Knight/Dame Grand Cross、Knight/Dame Commander、Companion の3階級があり、そのうち上位ふたつの階級の保持者が「Sir」あるいは「Dame」(女性)を許されます。「Sir」の配偶者は「Lady」を用います。余談ですが騎士団の階級についてはどうも日本語の訳語が定着していないようで、日本の勲章になぞらえて「勲○等」としている場合もあれば原語の本来の意味を尊重して「司令官」などと表記している場合があり統一されていません。「司令官」は「Commander」のことらしいのですが「Commander」を機械的に「司令官」とするのは日本のマスコミのよくないところで個人的には「騎士隊長」とでもするべきだと思っています。ここではあえて無理に訳することはせず原語のままとしておきます。
既存の騎士団に入団することで騎士とされるのが本来の意味だったのですが、例えばバス騎士団では Companion は騎士とはされません。その逆に特定の騎士団に所属するわけではないけれど騎士の待遇を与えられることがあり、こうした騎士を Knight Bachelor と呼び君主によって叙任されます。「Sir」あるいは「Dame」を称することができますがポストノミナルレターはありません。
イギリス王太子 Prince of Wales の従属称号は、叙任以前から保有していたケンブリッジ公爵などを除いた伝統的なものに限定すると、コーンウォール公爵 Duke of Cornwall、ロスシー公爵 Duke of Rothesay、チェスター伯爵 Earl of Chester、キャリック伯爵 Earl of Carrick、レンフルー男爵 Baron of Renfrew、イール卿 Lord of the Isles となります。最近知ったのですが、このうちレンフルー男爵とイール卿はスコットランド固有の制度で貴族 peerage ではない世襲の称号で baronage と呼ばれるものです。日本には同様の制度がないので訳しようがありません。wikipedia などの説明によると古くからの領主の末裔で、中央政府から公認はされなかったものの実力で支配を続けてきた家系で多くは氏族 clan の首長を兼ねていたようです。爵位と同じく Duke、Marquis (baronage はこちらの綴りを用います)、Earl 、Viscount、Baron のランクがありますが大半は Baron でほかはごく少数です。Lord は Baron と同等で名称以外に具体的な違いはありません。style は Much Honoured (The Much Hon または The Much Hon'd と略します)を用いて「The Much Hon William Mountbatten, The Baron of Renfrew」「The Much Hon William Mountbatten of Renfrew」「The Much Hon The Baron of Renfrew」などと表します。
おわりに
とにかく思いつくまま盛り込んでいったらすさまじい分量になってしまいました。構想は少し前からありましたが実際に着手したのはこの3日くらいで文章が充分練られていない恐れが拭いきれません。しかし推敲を重ねると勢いを失って公開できなくなるような気もするので蛮勇をふるって公開することにします。「ポストノミナルレター」なんていう空恐ろしい単語も登場しましたがこの説明は本当に切りがないのでやめました。たぶんほかに適当な記事なりサイトなりがあると思います。あってほしい… これについてはひたすら列挙するしかないので Wikipedia を見てください。
主に英語版 Wikipedia を参照していますが、過去読んだ森護氏、あるいは君塚直隆氏の著作などにも依拠している部分があります。長年のあいだに自分でまとめてデータ化したものもありもはやどの情報がどこから得られたものなのか具体的に分別することは不可能ですが。また thepeerage.com は困ったときにまず参照するサイトで大変お世話になっています。
系図は自作です。過去のものより少し見やすくなったと思います。それ以外の画像は基本的に Wikipedia より引用しています。
カバー画像は初代ウェリントン公爵アーサー・ウェレズリの肖像画ですが胸の部分しか見えていません。全体を以下に貼っておきます。
万が一この記事の評判がよかったら(そして勇気が出たら)書きためていた英国貴族の話を公開するかもしれません。もし少しでも気に入ってくれたなら「スキ」を押してもらえると筆者が喜びます。
ではもし機会がありましたら次回お会いしましょう。