○禁欲は魂を消滅させる 『ジョージ・アダムスキー』
これは George Adamski の多くの著述の中でも何故かあまり世に出されずにいたものです。
1991 年に たま出版から出た『宇宙維新』第6章 藤原さんの訳ですが、オリジナルの訳が少々わかり難いので、勝手ながら少し改めさせていただきました。(悪しからず)
まず、その3分の2ほどです。
オリジナルの章名は「禁欲は身を滅ぼす」ですが、やはり魂が消滅することへの強い警鐘の文章ですので改めました。
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○【禁欲は魂を消滅させる】
通常、オカルト世界の指導者達は、その多くが禁欲を説くため、進歩向上を求めているその信奉者の意識は拡大するどころか逆に貧弱になっています。 人はどのような状況であっても、それが何であれ抑制してはいけません。むしろそれをコントロールすることを学ぶべきなのです。というのは、あなた方が、あ る状況を抑制すれば、意識のなかで自分自身を大きくするのではなく、小さくしてしまうからです。光明を求めていた真面目な探求者たちが、禁欲を説いていた 指導者の意見に耳を傾けたがために、これまで多くの家庭が崩壊してきました。指導者達はある探求者に、「男女間の問題を理由に離婚せよ」と忠告するまでに なっています。「もし別れなければ、たどりつこうと頑張っているところへは行けないからだ・・」というのがその理由です。しかし、このような言動は、全て 宇宙の法則に反しています。私たちは狂信的になってはいけません。なぜなら、あれもこれも抑制しろという教えは狂信的な教えであるからです。あらゆるもの の’父’である’無限なる英知’は現実的なのです。私たちもそれゆえ到達しようとするならば同じように現実的でなくてはならないのです。
私たちは、皆、「真実の一個人」になるべきなのです。つまり、あらゆる状況をコントロールして、それらに適応するようになっていくのです。人間 は、たとえ小さくとも、無限のエネルギーをコントロールすることが出来ます。例えば機関士がいて、彼が小さな人間であっても、機関車に乗って、このとてつ もなく大きな機関車の動力をコントロールするさまを見ることが出来ます。同じやり方で、私たちは自らのエネルギーをコントロールしなければならないので す。このエネルギーで自制心を失ってしまってはいけません。そうでないと魂を消滅させてしまうでしょう。今こそ、このようなコントロール方法を学ぶべきな のです。ほとんどの人達は人体を流れるそのエネルギーを誤解しています。人々はこのエネルギーを’性欲のエネルギー’であるとされ、抑制するようにように 教えられていますが、(訳注:こうしたエネルギーを悪いものだと考える人がいる・・の意味)、こういう考えこそが人間の行いで最悪なことなのです。あなた 方が、宇宙的な側面である霊的なものへ向かって成長するならば、当然このエネルギーが増加することになります。つまり、このエネルギーは更に大量に自身の 中に通過するようになるのです。そのエネルギーはこの時、『キリストの情熱』と呼ばれます。つまり、それが増加していくと、それによって、あなた方は未知 のゴールへと導かれるようになります。でも、常に到達を求めても、あなた方は絶対に到達することはないでしょう。何故なら、いつも前方には更に素晴らしい ものが存在しているからです。そして、光が本人の内部で無限に輝き続ける限り、流行りのものが生まれてくるでしょう。人々はそれについてもっと理解しよう とお金を使いますが、理解の段階になると抑制してしまいます。もし人間があらゆる物事を抑制して、コントロールすることをせずに投げ捨ててしまっていた ら、今日見られるような近代的なものを私たちは得られなかったでしょう。いわゆる最も新しいものが天から地へともたらされますが、それはこのエネルギーに よるのです。このエネルギーの応用方法を心得ている人はほんの少ししかいません。多くの人がいう’性欲’とは何なのでしょうか? どんな状況でも抑制する ことで自分自身を傷つけていないか確かめてみなさい。例えば多くの指導者が例に挙げるもの、つまり男女の関係も、それを極端に使うだけではなく、禁欲する ことで自分自身を傷つけていないかどうかです。
私たちには、いわゆる五感があることがわかっています。==実際には感覚器官は四つなのですが・・==、これが、唯物的な考えで人体内で働け ば、こうした感情はその個人を極端に走らせてしまい、肉欲のレベルで働くことになります。ところが、こうした感情を精神的なやり方で用いる事も出来るので す。どの感覚も唯物的な方向と精神的な方向で用いることができ、つまり同じ弦から異なった二つの調べが生まれるわけです。
それでは、これから述べることを分析してみてください。仮にあなた方が感覚を失くしてしまったとしたら、生きていけるでしょうか? いいえ、生き ていけません。触覚がなければ生きていけません。あなた方には視覚、聴覚、味覚、嗅覚があるかもしれませんが、触覚がなければ完全に死んでしまっていま す。反対に四つの感覚を失っても意識である触覚を保っていれば十分生きていられるでしょう。触覚こそがあなたの真実の部分であるからです。それは、あの宇 宙にあまねく存在する神より与えられた意識です。あなた方が意識していなければ触覚というものを知ることはないでしょう。よって、意識と触覚は一つであり 同じものなのです。にもかかわらず、指導者はあなた方に意識を拡大させるのではなく、囚人に着せる拘束服に押し込めて、それを抑制せよと教えているので す。人が行わなければならないことは、様々な状況を把握して、それらをコントロールしてこの意識を拡大させ続けることにあります。
あらゆる物事を犠牲にして悟りへ到達しようと鍛錬しているにもかかわらず、いまだに到達できない探求者を私たちは大勢見かけます。あなた達はど こかに間違っていることろがあると言うかもしれません。人は自分自身に正直であれば到達できるからです。現実的でなくてはなりません。そのうち消えてなく なってしまうことがわかっている雲の上でさまよってはいけません。そうなったら怪我をします。
今! この人生で’父’の仕事に取りかかりなさい。そして、それにはやることはやらなくてはなりません。戦うことはできません。協力しなくてはな らないのです。もし、あなたのフィーリング(訳注:性へのフィーリング)が低ければ、それに励むことで高まるかもしれません。ですから、人は自分自身と自 分に機能している法則について知らなくてはならないのです。そうすることで、どのような状況が出現しようともそれをコントロールすることを覚えるでしょ う。それができれば、人間はマスターになる道に足を踏み入れることになるのです。もう一度、機関士の話に戻しますが、機関士は機関車を制御するために機関 車のことをよく知っていなければならないのです。制御できない機関車を無事に目的地に到達させることはほとんど不可能でしょう。フィーリングは私たちの肉 体に宿る力であり、私たちと共に過ぎ行く唯一のものですが、助っ人としては、今もこれから先も感覚を用います。この普遍的な意識の中には万物の’父’すな わち’神聖な父’が存在しているのです。私たちは、かかとで’父’の表したものを押さえつけ、’父’を踏みつけようとしていませんか?それとも’父’が私 たちの前に置いた運命に向かって生きようとしているのでしょうか? 万物の’父’には、私たちに何でも放棄させようとする意図は毛頭ありませんでした。’ 父’は創造したものをすべての子供たちに持たせるつもりだったのです。しかし子供は全てのものを正しく用いねばなりません。
私たちは個人的な状態を野放しにしてはなりません。そのために起こりえる最悪の事態が狂気の沙汰とも言うべきコントロールの利かない状態です。
宇宙の’父’である神は、どこにでも存在して、現実的過ぎるほど現実的であり、あらゆる法則をコントロールすることで万物を完璧な状態に保って います。法則は’父’に仕えねばならないものであって仕えられるものではありません。今、私たちに現れているのは、ほんの小さな一部のエネルギーではな く、全宇宙のエネルギーなのです。何故なら私たちは実際にはこういうエネルギーの海の中で生きているからです。私たちが失敗して堕落するただ一つの場所 は、自分自身のことさえ理解していない小さな利己的な自我の中です。後になって、悪い状況を生む誤って組み合わせてしまうのがその自由意志なのです。しか し、この自由意志は万物の意思に仕えるために作られたものであり、どんな時も、どんな状況とも戦うべきではないのです。むしろ進んで、自らを’無限なる 者’の意思であるエネルギーに任せ、状況がいかなるものであろうと、その状況を高めるための経路にするのです。そうすれば’火傷’をすることはないでしょ う。あらゆる法則は完璧に機能するからです。限度を超えるならば、このような違反にはどこでもペナルティーを支払うことになります。それはまた、こうした ことへの教訓になることでしょう。
低俗に打ち克つ唯一つの方法は、それに振り回されないようにして、あらゆる低俗なものから自らを解放することです。低俗よりももっと高尚になりなさい。あなた方はそこに降り立った最も気高い表現であるからです。
人はお金に動かされ、お金がなくなるとそこで自殺する事がたまにあります。何故でしょうか。それは、お金が人につかえる代わりに、人がお金の奴隷 と化したからです。その置かれた状態を支配し続ける事ができず。その状態が人を支配してしまったのです。如何なる状況からも自由になれる唯一の方法は、そ の状況を’父’のために応用することです。そして、その後は放ってしまいなさい。それにより、如何なる状況をも支配できる者として、更に歩む事になりま す。何故ならば、既に、その状況を左右する原則の配下にはいないからです。そして、これこそが真のコントロールなんです。如何なる状況にも揺さぶられては いけません。むしろ、神の愛をもって、その状況を、あまねく輝く大いなる表現の世界に傾けなさい。これこそが、マスターとなることであるのです。これは、 オカルトの戒律に限らず、万物に等しく関係している宇宙の法則です。
あなた方は、女優が公演中にステージ上で亡くなることがあるということを耳にした事があるはずです。しかし、観客はそんな事には全く気が付きませ ん。何故でしょうか。それは、他の男優や女優が完璧にその事態をコントロールし、その不幸な出来事の影響を受けずに何事も起こらなかったかのように、各々 の役割を演じ続けたからでした。そのため、観客はステージで起こった事に気が付かなかったのです。
私達も、日々、行ったり出会ったりする行動を、すべてこのようにコントロールすることを学ぶべきです。そうすれば、それは知恵となり、コントロー ルの方法を知って適当な時にそれを応用するでしょう。あなた方は、確実な一歩を踏み出そうとするつもりならば心配はしないはずです。しかし、行おうとして いる事に確信が持てなければ、あなた方は、心配や恐怖の手に牛耳られてその奴隷となってしまいます。心配や恐怖は多くのトラブルを生み、私達の側にいる 人々にも影響を与えます。私達は心配や恐怖の念を抱く事で自ら代価を支払うばかりか、周りにいるそのような人々を見たり混乱したりする事でも苦しむ事にな るのです。それは、すべきであった知識が欠如しているために、気が付かないまま、その人々を混乱させてしまうからです。そのため、両方の代価を支払う わけです。
十人のうち九人の探求者は、自分達の住むこの世の中を軽蔑しています。オカルトの世界に足を踏み入れた探求者達は、その多くがこの世の中で現実的 であることを止め、それを否定し始めています。これは誤った教えのせいです。私達の’父’即ち神は、至る所に存在しているのです。それなのに、もし私達 が、今置かれているこの世に嫌悪感を抱くならば、’父’がこの世とともに存在しているということを嫌悪する事にならないでしょうか。なぜなら、神がどこに 存在しようと、この大地こそが天国であるからです。これからもずっとそうであると言えるほどの天国なのです。
必要なのは、自分がその中に存在しているということ、つまり、天国に今いるということに気づく事です。つまり、私達は、大いなる御国の幼稚園にい るのです。私達すべての者の’父’は多くのオモチャを与えてくれますが、私達はそれらを正しく扱う事を学び、それには繰られないようにしなくてはなりませ ん。更に私達は’父’がそうであるように、現実的でなくてはなりません。何故なら、’父’は人間がリンゴの木の下に座って、それが口の中に落ちてくるまで 待たせるつもりは全然なかったからです。むしろ、人が味わうようにとリンゴを創ったのです。そのためには、人はリンゴを木からもぎ取って食べねばなりませ ん。同様のことは異性の事についてもいえます。私達は異性の存在を享受して適当な状況下で、彼らとの関係を楽しんでよいのです。それは、『無限なる者の御 国』で表現される最高に素晴らしい状態であって、肉欲をいう個人的な最低の経路に代わるものなのです。
私達はその計画から逃れる事は出来ませんし、神、すなわち宇宙の’父’が男性と女性を創ったときに 神は自分のやっている事がわからなかった と 言う事もできません。そして、神は自分の子供たちが、こうした事柄を経験するだろうと言う事を知っていたに違いないのです。しかし、子供たちに、あれこれ と極端に走れとは言いませんでした。従って、しっかりとした基盤の上に足を置くには手本として、’父’自身の創造物である「自然」を見習う事です。ある指 導者がさかんに信じ込ませようとしてきた 天使 になることを夢みてはいけません。イエスはそうしたたぐいの天使では在りませんでしたし、他のマスター達 もそうでした。イエスは非常に現実的であり、法則に従順で、’父’の仕事に携わったのでした。そして、私達も同様にしなくてはならないのです。そうすれ ば、ある指導者達が空想ででっち上げた天使よりも素晴らしくなるでしょう。私達は、進歩と言う岩盤に基礎を築き、ある義務を持ってあらゆる事を行うでしょ う。そうすれば、大小様々な状況というものが、私達の援助を必要としている子供に過ぎないということが分かってくるでしょう。また、私達は’父の御国’ の’英知’として相した義務、即ち援助を否定て無視してはなりません。そうではなく、あらゆる状況を’父’の御座まで引き上げ、その義務を遂行すべきなの です。もし、これだけの大きな義務を無視するならば、後でその埋め合わせをしなければならなくなるでしょう。今、ここで学べないものは、何であれ、いつか どこかで学ばなければならないのです。
言い換えるならば、あなた方が、ニューヨークにいる時には、ニューヨークの条例に従って、ニューヨークで行われているようにあなた方も行うことで す。そうすれば大丈夫でしょう。私達は人をだまして何とかやっていけるかもしれません。しかし、一つだけはっきりと言える事は、’全てを知る無限なる者’ は騙せないということです。あなた方が、何をどのように抑圧しようとも、いずれは、どうしてそのような行為をしたのかという納得の行く説明をしなければな らないのです。結局、あなた方は、自分自身を騙していたに過ぎないからです。自分を騙し自身を軽視する事によって、大きく成長するどころか、スケールの小 さな者になってしまいます。
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