役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい
東京、大阪、京都、兵庫でまた緊急事態宣言に。
Jリーグの村井チェアマンは当初「無観客試合にはしない」と言っていたけれど、社会の情勢なのか政府からの要請なのか、やはり緊急事態宣言中は無観客試合となってしまった。
プロ野球も同じ。
昨年来、Jリーグもプロ野球も徹底した対策のもとで有観客での試合を開催し、クラスターを発生させずにここまで来ていたのに。
昨年来のコロナ禍で、エンタメ、スポーツ、レジャー、飲食が、不要不急という言葉の格好の標的になりました。
楽しみにしていた「あいみょん」のライブも、また中止になってしまった。
不要不急
なんだそれ。コロナが出てくるまで、これまでの人生で使ったことなかったぞこんな言葉。
つまり
「生きてく上で絶対に必要じゃないもの」「取り急ぎ、それがなくても生きられるもの」ってことなんでしょう。
エンタメ、スポーツ、レジャー、飲食は、不要不急のものなんでしょうか。
僕は、全くそう思いません。
個人的なことですが、僕は昨年春、結構なドン底に陥ったことがありました。その時にすがったのは、音楽だった。
好きなアーティストの曲に紡がれる歌詞や、好きなアーティストがLIVEで話した言葉に、僕は本当に救われました。
僕だけじゃなく、音楽に救われた経験のある人は多いでしょう。終わらそうと思っていた命を踏み止まった人だっている。
そしてあの時、僕に連絡をしてきてくれて食事や呑みに連れ出してくれた人にも、僕は救われた。
食事、お酒で元気も時間も取り戻せる。決して大袈裟な話じゃないです。
ある試合を観て、勇気をもらう。LIVEに行って活力をもらい、寄席やミニシアターで大笑いして、明日の元気をもらう。
応援しているバンドを小さなライブハウスに観に行く。映画館や劇場で、一生分の涙を流す。
そこで生きている人が、世の中にはたくさんいる。
こういう人達に僕らはたくさん救われているし、勇気も元気もいっぱいもらっている。
もちろん、コロナなんてそんなの関係ねぇ!どうせ感染しないし!ウェーイ!って感じで好きに遊ばせろ!
と言ってるわけではない。ちゃんと対策してますやん、みんな。
ある人にとっては「不要不急」なものだとしても、ある人には「それがなければ生きる力が出ない」こともあるんですよ。
何が不要不急で何が不要不急じゃないなんて、庶民の暮らしを知らない政治家に決められるわけがない。
そうまでして国民に我慢を強いておいて、でも「オリンピックは絶対やる」なんて、そもそも話がおかしい。
オリンピックが終わるまでは不要不急なものは我慢な!贅沢は禁止で!欲しがりません五輪までは!と。
この国が戦争に負けたのも頷けますね。たぶん、根っこは昔となんら変わってない。
コーチ仲間の田邊さんが、以前こんなことを言っていた。
「自分にとってサッカーとは、ふりかけのようなものです」と。
めっちゃいいこと言う。さすが田邊さん詩人。
白米だけでも食べられるし、白米だけでも空腹は満たされるけど、でもそれだけじゃどこか味気ない。
でもそこにふりかけをかければ、いろんな味が楽しめる。
サッカーも、ふりかけのように人生に彩りを与えてくれるもの(勝手に超訳)
ふりかけも、そしてサッカーも、エンタメも何もかも。決して、不要不急なものじゃない。誰かにとって、命と同じくらいに必要なものなんだ。
そんなふりかけのように素晴らしいものを自分は仕事として関わり、選手達と接しているんだという誇りを持って、この情勢下でも笑いながらサッカーを楽しんでやりたいと思ってます。
最後に
タワーレコードの広告で、アーティストの坂本慎太郎氏が言っていた言葉も紹介しておきます。
「音楽は役に立たない。役に立たないから素晴らしい。役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい」
一見、僕が書いてきたこととは相反するようですが、根本は同じだと思うんです。
「これは(あいつは)役に立つ」「これは(あいつは)役に立たない」なんて
一体それを、誰が決められるんでしょう。
そんなことを誰かが勝手に決めて線を引く、そんな世界は恐ろしい。
でもなんとなく、そんな世界に、そんな日本になりつつある気がしてます。オリンピックと、新自由主義という名の下に。
※ 今回のコラムは、サッカーコミュニティ くぼぉちサッカー研究所(仮)での配信用として、久保田が5月1日にコミュニティへ寄稿した文章からの一部分を抜粋したものです。このコミュニティで配信されるコラムはメンバー限定の非公開のものですが、今回のコラムはメンバー以外の方にも読んでいただきたいと強く思ったので、このnoteで公開させていただきました。
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