父の作品 キンチョウリキッド編
2014年に亡くなった父は、CMや映画などの美術制作の仕事していていた。学生の頃から絵を描くのが好きで、二科展にも何度も入賞していたらしい。普通の会社に就職した後、やっぱり好きなことを仕事にしたかったのか、美術制作の会社に就職したという。そして僕が小6の時、父が40歳の時に借金をして独立し自分の会社をつくった。夜、父と母がそのお金の工面の話とかをしてるのを、寝てるフリしてうっすら聞いていた覚えがある。
それから70歳で亡くなるまで、小さいながらもその会社を守りながら、好きな美術の仕事をずっと続けていた。きっと無念なことや悔しいこともたくさんあっただろうけれど、そんなことは僕には一切話さず、寡黙ながらもどこかぶっ飛んでいて、オルタナティブで、息子の僕から見ても、本当にカッコいい人だった。
前にも書いたけれど、僕は父に何も親孝行をしていないので、僕のこれからの人生、その贖罪の意味でも、僕自身がカッコよく生きて、人のために生きて、さすが久保田さんの息子だねと、父のことを知ってる人に言われるように生きたいと思う。芸術家だった父の最高傑作に、僕自身がなるんだと決めている。
一方で、CM、ドラマ、映画など、父が関わった数多くの作品を目に見える形で保存し、せっかくだから多くの人にも観てもらいたい。父が生きてきた証を残すのも息子の義務だ。父が関わった作品は数多くあるのだけれど、今でも映像が残っているものを探してこのnoteに残し、皆さんに観て楽しんでもらえれば。僕も嬉しいし、父もきっと喜んでくれる。
今日はその第一弾として、父が継続して関わっていた「キンチョウリッキド」のCMを。
近藤正臣さんと山瀬まみさんがタヌキとカッパのぬいぐるみを着て出演してたCMなんですが、この着ぐるみを、父がずっと造ってた。撮影の時に近藤正臣さんや山瀬まみさんとこんな話したんだよとか、こんな人だったよとか、ちょっと照れながら、でも自慢げに話してくれたことを、今でもたまに思い出します。
2014年7月
父の葬儀を終えて僕ら親族が家に帰った後、あの近藤正臣さんが斎場に訪れてくれたと、後から人づてに聞いた。
確かに一緒に何作品もCMを作ってた。でも、たったそれだけの縁。それなのに、それから何年も経ったのに、うちの父が亡くなったという話をどこからか聞いたのか、近藤正臣さんは着のみ着のままで、葬儀の時間も分からぬまま、父のために斎場に駆けつけてくれたという。その時にはもう葬儀は終わっていて、斎場には誰もいなかったのだけど。
このエピソードも、父が生きた証のうちの一つとして、大切に覚えておきたい。いつか、息子として近藤正臣さんにお礼を言いに行かなければいけないと思ってるんです。
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