日本サッカーのアシタノタメニ・その4 ~ 足並みは揃えないほうがいい
今、2ヶ月間の臨時コーチの依頼を受けて平日に埼玉の某フットサルコートまで通っている。
そこで木曜だけ、隣のコートではスペイン・リーガエスパニョーラの某クラブの日本支部?がスクールを行なってるんですよ。
隣り合うコートで、お互いに同じ地域の小学生を指導している。
でも、それぞれ言ってることは正直真逆。面白いほどに真逆。
当然、子どもたちのプレーもまるで違う。判断の基準やプレー選択の優先順位も、まるで真逆の展開になるわけです。
向こうはポジショニングのことと守備のことを口酸っぱく時には辛~く指導し、こちらは、オンザボールのことと概念やマインドのことを口酸っぱく、時には辛~く指導する。
それぞれのコート脇では保護者の皆さんがずっと練習を見守ってるんだけど、隣り合うコートでこうも違うのかと、ビックリされてる方も多いんじゃないかな。
でも、僕はこれでいいと思うんですよね。むしろこれが健全。
どちらが正解でどちらが間違っているということではないし、どちらも『今はこれを伝えるべき』という信念と確信を持って指導している。
実際、あちらのコーチは僕よりも相当に若い方のように見受けられるけど、指導の言葉を聞いてると、とっても芯がある。
よくいるような、いわゆる「スペインかぶれ」程度のメッキな人ではなくて、本気でクラブの哲学に向き合い、おそらくとても勉強もされたんだと思う。言葉の節々にそれを感じる。そしてその哲学を信じ、それを本気で子ども達に伝えようとしているのがわかる。
彼とはまだ喋ったことはないけれど、あぁ、このコーチは信頼できるなと、隣り合うコートで互いが同時進行で練習しながら時折聞こえてくる彼の指導の言葉を聞いて、いつの間にか僕は、勝手に彼のことをリスペクトしてた。だから最近、木曜が楽しみだったりしてる。
上述したように、伝えてることは本当に真逆。真逆というか、伝える順番に相違があるというか。
でも間違いなく、どっちも必要なこと。
お互いにそれを信じて、僕も子ども達に本気で伝えてるし、彼も子ども達に本気で伝えてる。
お互いが信じるものを、その場で絶対に伝えるんだという本気をぶつけてる。
ここではなく、日本中でそういう現象がたくさんあると思うんですよね。
同じ街の少年団同士でもサッカーのスタイルは全然違うなんて当たり前だし、毎週毎週、正反対スタイルのチーム同士での試合が日本中で行われてる。
さすがに同じクラブ内で学年によって全然違うサッカーになっちゃうとかは良くないと思うけれど、同じ国だからとか、同じ街だからとか、同じ学年だからこういうサッカーを目指して、今はこう指導すべきなんていうのは、全然足並みを揃える必要はないと思うんです。
指導者の数だけ、哲学も信じるものも違うし、モノの見方も違う。それでいい。いや、それがいい。
JFAが指針を出してそれに沿って育成年代も指導していくべきだという意見もよくあるけれど、そんなことしたら実にもったいない。JFAさんには、代表の強化以外のことに関しては、環境を整えてもらうだけでいいと思います。
連盟に入れるハードルを無くすとか、移籍をもっとスムーズにできるようにするとか、ライセンスの見直しとか、人工芝グランドもっとつくるとか、女子サッカー選手達のためにも河川敷グランドに綺麗なトイレや更衣室つくってあげるとか。代表の迷彩柄ユニフォームやめるとか、いい加減「SAMURAI BLUE」「なでしこ」って呼び方やめるとか、他にもいっぱいあるけど(マジでお願いします)
話を戻します。とにかく、いろんな具材が入ってる『ごった煮』のカオス状態が今の日本の育成界隈。そこにはいろんな指導者がいて、いろんなクラブがあって、いろんなサッカーの見方があって、いろんな哲学がある。そんなごった煮の中から、まるで違う個性を持って突き抜ける逸材達が高いレベルで選ばれて、上のステージで集まればいいだけで。
でもそんな逸材を育てるためだけにクラブがあるわけではないし、僕らコーチがいるわけでもないし、プロになる選手を輩出するのが育成の目的でもない。
日本サッカーが強くなるためにとも、僕は全然思ってない。
ただ、日本サッカー界が「よくなればいいな」とは思ってる。
サッカーの楽しさを伝えて、奥深さや素晴らしさも子ども達に感じ取ってもらえるように付き合って向き合って、サッカーしてて良かったな、大人になっても歳をとってもサッカー続けてたいな、好きでいたいなと思ってくれる子が、一人でも多くなればいい。
「よくなる」って、そういうことだと思うんです。だから尚更、サッカーのいろんな見方、いろんな指導哲学、いろんな解釈があっていいし、いろんな指導者がいるべきで、今のごった煮なままのほうがいい。そのほうが面白いじゃん!
話は突然変わるけど、先の8月、僕がコーチをしてる某高校サッカー部が某市の「市民大会」というやつに出たんですよ。
その市民大会に出てたのが、うちを含めて13チーム。
僕はその13チーム全ての試合を観たけれど、同じスタイルのチームは一つもなかった。13チーム全て、哲学が違う。
同じ市内のユース年代13チームだけでも、全て違う。人によってその見方は違うだろうけれど、僕は素直に、これ最高じゃんと思いました。同じ市内だけでも、いろんな哲学やスタイルを信じて高校生達が真剣勝負をしてる環境って、すごく魅力的なことじゃないですか。
それだけでなく、これは前にもどこかに書いたけれど、日本の小~高校には、ほぼ全ての学校にグランドがあって、サッカーゴールがある。
海外の学校のことは詳しく知らないけれど、ここまであらゆる学校にグランドとゴールがデフォルトで設置されている国はそうはないんじゃないかなと。だから見方によっては、日本て実は世界最大のサッカー環境国になれる土壌は既にあると思うんです、ある程度の本気で。
そしていろんな意味で、育成年代の指導がまだあまり整理されていない、揃ってるわけでもない。言い方を変えればいろんな哲学やスタイルが溢れてる、ごった煮のカオス状態。これでいいじゃん、と。
青森山田も聖和もどっちもありだし、国見も野洲もどっちもあり。それぞれに美学と哲学と信念がある。誰にも批判できない。
ドリブルもリフティングも、最先端の戦術(なんじゃそりゃ)指導も、全て正解なんですよ。繰り返すけれど、それぞれの美学と哲学と信念のもとに指導されているんだから。
これはまた後日書くけれど、よく聞かれる「海外ではドリブルもリフティングも練習しないです、だから意味ないです」
ていう声。これまだたまに聞くけれど、そんなこと言っちゃったら勿体ないじゃないですか。
表面上に見えることだけでは、物事の本当の意味は理解できないわけで。ドリ練にもリフティングにも戦術指導にも、そこにはちゃんと意味がある。その指導者の美学と哲学と信念のもとに行われているならば、それは全て正解なんです。それら全部尊重して、最後は選手がいいとこ取りをしていけばいい。
その指導が合わないならば、移籍していけばいい(だから移籍スムーズ化はもっと加速的に必要。JFAさん頼m)
変に足並み揃えないほうがいいです。それ、本当に勿体ないです。そんなことを言いたかった話でした。じっくりコトコトいきましょう。