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僕は怖い人のようです

※バカな人の記事にはバカという言葉が頻出するという記事を読んで
反省し、言葉遣いを改めた編集をしました。
自分の品性も下がっていたと思います。
謝罪とともに今後気を付けたいと思います。
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今日は若干愚痴めいた悩みを書く回です。
一応公開しますが、2,3日してから消すかもしれません。
胸糞注意。

最近職場で評価を伝える面談がありました。

会社の面談で聞いた話では、職場で僕は一部の人に少し怖いイメージを
持たれているようです。

毎日元気に挨拶をして、たまにはジョークを飛ばして
相手を笑顔にするぐらいのユーモアを持っているつもりなのですが、
一部の方からは非常に怖いとのこと。

じゃあ、誰が怖がってるのかと問いましたら、
なんてことはない、僕が普段いわゆる怖がりさんとみなしている人と
一致していました。
結局、怖がりの人が勝手に僕を怖い人とみなして、恐怖を作り出して
勝手に怯えているだけでした。
言葉は悪いですが弱い犬程よく吠えるみたいな感じというか、
弱い人ほど僕を恐れます。

正直僕自身も、怖いとみられる素養があると自覚はしています。

いつでも堂々としている事、自信満々な態度、
他人に嫌われる勇気を持っている事、他人の心を覗き見るような
目をしているし、相手の人間性レベルを見抜く能力があるからです。

要は僕に人の弱さを見抜く目があり、それを見られる本人も
感じているため、その弱さを見られてる感覚が恐怖に
繋がっているのだと思います。

所謂、「眼光炯炯(がんこうけいけい)」というやつです。
ベルセルクでいうと鷹の団編、敵の権謀術数を見切る
グリフィスみたいな目をしているのです。


↑この目を無意識にやってしまうようです。普通に怖いですね・・・

『※言い訳の欄
これは自慢がしたいのではありません。
が、相手はこう考えて、こうすれば相手はこういう反応を示すだろう
という直感を、今まで経験上見誤ったという事がほぼ無いというのも
事実なのです。それによって詭弁を論破し、苦しんだ経験もあるので
僕はこの能力を誇りに思ってはいません。
こういう能力を持っている人が他にもいて、別に特別なものではないと
考えてます。
ただの自慢と思う方は読む意味ないのでブラウザバック
したほうが良いです』

後ろめたさを抱える人は本質を見抜く目に接した時恐怖を覚えます。
その恐怖対して、取る行動は二つ。
敵対か、服従です。
僕は人生は他人との競争ではないと思っているので、
こちらから権力闘争をしかけることはないのですが、
相手の言動にマウントを取ろうという意思を感じた時は
真偽を見極めるために何も言わず相手の目を真っ直ぐに見ます。
問答無用でタイマンに引きずり出すわけです。
ただ、相手の目がちゃんと僕や職場のためを思っていると感じたならば、
その場で謝罪をして気を付けますと言ってます。
そういう人の目には怯えも曇りも無いので大事にはなりませんし、
その後の関係も良好ですので問題にはなっていません。
心の弱い人が権力闘争を仕掛けてきたとき、それを見透かすので、
怖がられるだけの事です。
その恐怖にどう対応するかは他人の課題なので基本興味がありません。

あと、精神的に未熟な人に対して塩対応をとる癖があります。
仕事ができない人ではなく、思いやりに欠け、心無い言動を
する人に対してかなり冷たい態度を取ります。
職場において感情的な発言をする人は共感能力に欠けます。
そのような人には相応しい対応があります。

で、そういった思いやりの無い言動をしてしまう人というのは、
心が空虚と不安に満ちています。
そして、その不安を他人のせいにする故、感情的で
未熟な発言をするわけです。

以前から僕に執着して小言を言ってくるお局が居ますが、
何故彼女が僕に執着をしているかと言えば、
彼女にとって僕の存在が不安であると同時に「安心を与えてくれない存在」
だからです。
彼女が求めているもの、「目的」は「無償の愛」と「承認」なわけで、
それを与えて自分を安心させてもらいたいのです。
仕事の小言は自分に愛を与えてくれない不満を伝えるための、
後付けの理由でしかありません。
要は他人に自分の自己愛を満たしてもらいたいのです。
典型的な他責型他者依存、自己愛性人格障害のパターンです。
なので、彼女の不満はしょうもないことばかりです。
そういう幼稚な文句を僕は無視してますが、すぐ店長に泣きついて
何とかしろと言ってるようです。
で、店長もその幼稚さにあきれ果てていて、僕を呼び出して
「こういう文句がきてるけど、君は悪くないし、彼女は
難しい人だから、適当に転がしてあしらっておいてくれ」と言われました。
職務上「幼稚」という言葉を使えないため「難しい人」という言葉で
表現しているところに店長の大変さを感じました。
彼女のもう一つの不安が、そうやって漏らした幼稚な態度を他人に話したりして白日のものとされないかという不安です。
それをされると職場での自分の立場が危うくなるからです。
なので「お前絶対他人に話すなよ」という意味で、威嚇してくるものと捉えています。
その証拠に彼女は僕の粗探しをして悪い話を周りにして、自分の味方を増やしておこうと工作しています。
が、その内容も幼稚であるか、誇張や嘘が含まれているために
自分で信用を落としているようです。
僕は他人にその事を話す気も無いですし、すでに周りに見られてる状態で
幼稚な発言をしてるので無意味なのですが、その事にも気づけないし、
そうやって他人の悪口を言っているから、自分も言われるのでは
ないかという疑心暗鬼や投影を起こしてしまうわけです。
辛い生き方だなと思います。

よくその幼稚さで10年も店に居られたものだなと思いますが、
それはその店が寛容であることと、人が足りないためにそういった
問題のある社員でもクビにできない状態にあるからでしょう。

あと、お局はこの職場でボス面したがるほど、普段の生活が満たされていない事、この職場ぐらいしか安心できる場所が無いという事が推察されますので、僕から彼女を首にしろという気も無いですし、人のよりどころを
無くすような非情な真似はしたくありません。

そこら辺を理解していただければなんてことはないのですが、
本人は恐怖に捉われていて、それを怒りに変えて僕にぶつけることに
執着してますので、正直どうしようもないなと思っています。

ちゃんと話をして僕は敵ではないという事を伝えられれば良いのですが、
忙しい職場でそれもままなりませんし、一度そういった機会を設けて
伝えたことがあって、それによって態度が軟化したことがあります。
ただ、僕の気持ちは既に彼女に尊敬を持てない状態でしたので、
以後僕から話しかけることはありませんでした。
尊敬していない人におべんちゃらを使う事は僕の美学に反しますので。
それがまた彼女の不安に火をつけたようで、元通りになってしまいました。

ひよこが口を開けて「愛が足りない、愛が足りない」と欲しがっているような状態ですが、現実は老いた雌鶏が「愛が足りない」と口を開けている
状態です。
その光景は見た目と精神年齢が一致しない、ある意味グロテスクさを
感じてしまうのが正直なところです。
ここは職場であって、教会やカウンセリングの場ではありませんし、
既婚者の女性に愛を注ぐのは、夫の仕事です。
彼女の旦那は何をやっているのかと正直思います。
その弱さに寄り添うのが慈悲なのでしょうか?
それとも、因果応報のしきたりにしたがって、思いやりの無い
自己中心的な態度に「NO」を突きつけることが慈悲なのでしょうか?

その辺りが今僕が悩んでいるところです。
所詮僕は同じ職場の同僚に過ぎませんし、自己無価値観や満たされない
心の深淵部分にまで首を突っ込む資格はないと思っています。

「馬を池に連れていくことはできるが、水を飲むかは馬の問題である」

という言葉がありますが、職場の同僚に過ぎない僕には馬の手綱を握る
資格さえないのではないでしょうか?

そう考えると、他人の課題なので深入りせず、関わらないのが
最適解なのではないかなと思っています。
本当の優しさとはいったい何なのでしょう?

なかなか答えの出ない難しい話だと思います。
それでは、

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