自由気ままに。
ネタのストックがあるものの、形にするのが億劫です。
こんなことを感じることは中々ありません。ネタがあるのに書かないことが珍しいからです。
ということで、ノープランで書き進めます。
ノープランで書き進めることは、これまで苦肉の策として使ってました。けれども、あえて率先してノープランで書いてみるのも面白いのかもしれません。
簡単に言えば逆張りですが、もっといい例えはないでしょうか。
ネタがあることをバラバラのジグゾーパズルに例えて考えてみます。
現状として、パーツがそこにあるだけで、完成状態は頭の中でボヤボヤしているだけです。要するにパズルの色味を見て、「こんな完成品になるだろう!」と漠然と想像を巡らす感じです。
しかし、やりたくないのはパーツが多いので手を付けたくないという感じでしょうか。逆にパーツが少ないと考えるなら、私の性格上サクッとやってしまいそうですが、同じような色ばかりで繋ぎ目が分かりにくいものでしょうか。はたまた単にやりたくないだけかもしれません。
とにかく手をつけたくない状況ではあります。
では、ネタに手をつけたくないこの状況を例えるとしたら何がいいでしょうか。全く別のことに手をつけるという感じでしょうか。それならば現実逃避に例えられます。
現実逃避では抽象的なので、具体的にするならテスト前日に急に家の掃除を始めるようなものです。「家の掃除もしなきゃなぁ〜」という心情もありつつ、「え、でも今やることではないよね?」という状態です。
考えてみると、ちょっとこの例えは苦しいかもしれません…。note投稿は引き延ばせないので今やることに変わりはありません。逃げてはいるものの、別の方法でそれをやっているという例えの方が正しそうです。
つまり、
今やっているやり方(元々あるネタを使う)はやりたくなくて、別のやり方(気ままに書く)でこなす。
ということになるでしょう。自由気ままに書いて生まれた偶然の産物ですが、この考えは他のことにも使えそうです。
ですが、違うやり方がゴールに向かっているか?というのは自分では判断しにくいのかなとも思います。
noteの場合は投稿ボタンを押せる何か作り出すというのがゴールなので、もっと広く見れば別に他のつぶやき、画像、音声などどれでもいいわけです。今回の場合はそれを記事に限定し、その記事を作る中で自分が普段やっているやり方ではないものを選んでいるという見方ができます。
私としては単調な作業も楽しいですが、時にはつまんないなと感じることが多いので、何か変えられないかな?としばしば考えたりしています。
その場合にはつまんないからやるでした。
ですが、もっと広く見れば今回のように別解を探すという見方ができそうです。
気ままに書くつもりでしたが、どうしても現状を自分なりに分析しようするような記事を書きがちになるこの頃です。
ちなみに別のやり方がゴールに向かっているかの確認方法は自分でも分かっていません。