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今年こそは手帳を書き続ける
もうすぐ年が明けてから1週間が経つ。今年は日本にとっての厄年なのか?と思うくらいの出来事が元旦から多い。
1年は大体50週なのでその内の1週が終わったと考えると、もう1年の2%くらいは終わったことになる。
これが早いか遅いかはその人の境遇による。しかし、この1%の積み重ねが1年を作る。
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以前、記事の推敲について書いた記事で、
「noteは当時の自分を知るための記録媒体的な面もある」と書いた。
しかし、3年近く書き続けていれば、何となく「これはnoteに書きたくない」という線引が自分の中にも出来つつある。
そう考えれば、noteに書いた自分が全てではない。「何を当たり前なことを?」と思うかもしれないが、当時はそれなりに赤裸々に書いていたので、こんなことは考えもしなかった。
そこで手帳の出番だ。去年から使い始めたのだが空白が多い。ここにnoteには書きたくないことを書けばいい。
noteと手帳を使っても、毎日思ったことを全て書ききれるわけではないが、情報は多いに越したことはない。
何となくの線引きで「これは自分の中だけにしまっておく」と決めていることが手帳を書くことで分かるのではないかと思う。ガッチガチに線引するわけではないが、何となくの傾向を俯瞰したい。
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今年の元旦にふと今年の手帳のことを思い出した。そこで去年の手帳を見返すと12月は真っ白だった。「書こう、書こう」であれよあれよと日が経ち、終わってしまった。
そうした反省をしてすぐに、手帳に日記を書き始めた。こういうことは書き始めが重要だと思っている。元旦に書き忘れて2日から書き始めたのでは、出鼻をくじかれた気分になる。
書き始めの日付など意識しないほうが気楽に続けられるのだが、祝日だったり、月始めなどの覚えやすい日だったりすると何もない日よりも自分の中で気持ちが一段と引き締まる。
逆に、一度途切れてしまうとその特別感に圧倒されるのかは分からないが、やる気も一気に減衰する。
何となくで初めたnoteの最初の1日は覚えていない。3月の中旬くらいということしか分からない。
ここ1〜2ヶ月はduolingoのお供の筋トレもサボりがちではある。この筋トレを始めた日も平然とした1日だったと思う。
多少サボっていても筋肉は裏切らないようでインナーマッスルはまだ割れていそうではある。それなりに筋肉が残っていることに驚きはあるが、筋トレしている人のあるあるとして、一度筋肉がついてしまえばそれに過信し「もう筋肉がついた!」と思ってしまう人も多いのではないかと思った。これがさらなるサボりをうむのではないかと。
手帳もいずれサボることになりそうだが、これまで5日間書いている。この記事を書き終わり次第、手帳も書こうと思う。
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去年やったことを振り返ってみても、自分はだいぶコツコツやることにバイアスがあると思っている。けれども、時間が過ぎてしまえば、「これくらいは出来たはず!」と思うことが多い。なので、毎日どこかのタイミングで瞬間瞬間にやる気を出してこれらを継続していきたい。
たかが1日、されど1日である。