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自分の記事の引用をする
ここ1ヶ月以内に書いた記事は自分の記事の引用をすることが多い気がする。
それがどうした
というわけなんだが、自分の記事を引用して書くことは自分の価値観を作る作業ではないか?と思う。(宣伝を除くと)
体感で言うと、引用された記事は、ふと思ったこと、本を読んで感銘を受けたことを書いている記事が多い。
ふと思ったことは自分の頭であれこれ思っていることや、「あ!」というひらめきで書くことが多い。本の内容であれば、何か分からないけれども刺さったもの。自分が以前に体験したことが上手く言い表せなくて刺さったものもある。
私にとってはこんな理由があげられる。
根本を辿ると、昔に感情の起伏(嬉しい、悲しい、疑問)があって、あることに対してふと思ったり、感銘を受けたりすると思う。
この時の感情の起伏は自分の価値観を作っていると思う。あの時はこんなことをしていい結果だった。だから同じ手段を取って取り組んでみよう。逆に、これをしてやってダメだったからやらないなど自分のやり方を決めていると思う。これも1種の価値観だと思う。
私にとっては、このように以前感じたことをルーツにして、ふと思ったことや本を読んで気になったことを記事にして書くことによって自分の中とどめようとしている。
つまり、自分にとって覚えていたいこと、大切にしたいことである。あるテーマで記事を書いたときにも、「あー、昔にも似たようなこと書いたかも?」と思う時が多々ある。そう感じることは自分にとって興味のあることだと思う。(こういうことは過去の記事を遡ると書いていることがほとんどだ)
同じことを書きそうになるということは、以前書いたことに対して何かしらの関わりがあったことになる。(思考がそうなっているのかもしれないが)
昔にちょっとしたことや、何気なく経験した時が、ふと感じたときや本を読んだ時に心に刺さる。そのことは自分にとって大切なことであり、こうやって記事に書き残すと私はより記憶に残りやすい。そして、そのことをさらに引用して記事を書くことは私にとっては、進んでいるかは別として議論を新たに展開することになる。この試みが自分の価値観を作っていく作業ではないかと思った。
ふと思ったのは、親世代以降と話をした時に、一呼吸置いて何かを語り出したときはどこか達観していて自分の価値観を話しているように感じる。一呼吸終われば、自分がそう思ったわけを自分の体験を元に話すことが多く感じる。これを私なりに書けば、自分の頭の中に記事を書いて、それをあれこれ考えては記録しての繰り返しであると思う。こうやってまとめたものを整理するが如く、話す前に一呼吸があるのだと勝手に思っている。
全ては想像だが、こう考えれば、このnoteで自分の記事を引用して記事を書くことは頭の中でやっていることを可視可したことになるのだろう。そう、全ては想像である。
だいぶぶった文章を書いた気がするが、今日はこの辺で。
では。