読書計画を立てる
予定を立てることから逃げていましたが、やはり予定を立てたほうが安心感を感じる、ということで予定を立てることにしました。
予定を立てることで漠然と「あ〜、終わらない〜」と言っているよりも、見通しが立ちやすくなった。加えて漠然とやっていた時よりも予定通りに進める方が達成感のようなものを感じる。この達成感は「やりきった!」というよりも、パズルのピースが過不足なく埋まった時の感覚がある。
昔はある程度、予定を立てて物事を進めていたのだが予定調和すぎて面白味に欠けていた。それに「こんなもんしか出来ないのか…」と幻滅した。むしろ幻滅は書いて字のごとく、幻が消えることであり、現実をしっかり捉えられている証拠でもある。
予定を立てたら立てたで面白味に欠けるので立てない生活をしていしました。
そんな予定を立てないことから逃げて、予定を立ててみれば、やはり「これくらいしか出来ないのか」と幻滅するものの、これが現実なのかと向き合うこともできる。
逃げていたことに再び立ち向かうことは難しい。なので、まずは自分が好きでやっていることに予定を立てることにした。好きなものに嫌いなものを組み合わせるということに嫌悪感が出る人もいるかもしれないが、嫌なことを肯定的にするためには有効な方法だと考えている。
しかし、これは気持ちの問題がある。逃げていたことに立ち向かうために自分が好きでやっていることを持ち出すことで、「自分の好きなことが嫌なことに侵食されている」と感じてしまうのなら止めたほうがいい。以前はそんな気持ちがあった。多分これがいいんだろうと思いつつも、そう感じるのが嫌で意図的にやらないようにしていた。
似たような例として、プライベートの考えを仕事に用いる、がある。そのまた逆もある。おそらく、前者を会社から強いられる人は一定数いる。それで嫌な思いをしたことがある人は「プライベートと仕事はきっちり分けたい」と考えているのではないだろうか。
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好きなことも予定を立てて、その通りに進めすぎると好きなことも義務化されていくと感じる。これはこれで嫌なので予定を立てないで進めるものも作っておく。
今回、私は読書計画を立てたわけだが、小説は予定を立てずに気ままに読んでいくことにした。それは、小説はリズムが大切だと感じるからだ。読み耽っている時に「今日の予定はここまでだから」と思って、止めるのはさみしい。読みたくて読んでいるのだがら、気分にまかせて読む。気ままに読んでいるだから、途中で「疲れた」と思って止めてもいいし、「あと少しだし読み切ろう」と感情的な部分が大きく出る。しかし、何事も機械的に進めてしまうのはさみしいからこれでいいと思っている。
短編集、エッセイなどは1つの話がそれなりに短いので1日決まった量だけ読むようにする。まとまりが小さい分、読み進めやすい。それぞれ独立している事が多く、前後関係を気にせずに読める。
先週くらいからこれを始めたのだが、時には「今日は無理だ」と感じてしまうこともあった。その日にサボると以前までの私は、計画倒れを取り戻そうと2日分やろうとしてさらに計画倒れした。そして諦める。そんな流れだったのだが、本は読むことに抵抗感を感じないのか、2日分やることも苦ではなかった。
その時に「予定とはこうやって立てるものではないか?」と閃いた。「もし、計画倒れが起きたとして、次の日に2日分やれそうか?」と、自分に問いかけてキツそうだなと感じたら、その計画は立て直すべきだと。
今の所はこんな計画の立て方でうまく行っている。