太宰治、恥辱の告白をする事。
僕は、市販薬に中毒になった事があります。
また、現在でも精神科へ通っておりますが、そこで処方されるアモバンという薬に中毒になっています。俗にジャンキーというやつですね。
ここに、今日、読んだ本のことについて書いてみましょう、そう、書いて、あったので、今から公園にギターを持って行き、おおいに虫に刺されてやるつもりですけれど、その前に、本のことについて、書きたいと思います。
その本とは新潮文庫版・"新樹の言葉" という
短編集であって、その中で、特にいま読んだ
『俗天使』 という小説の一節に、
心臓を心臓の匂いがするくらい掴まれたので 書きたいと思ってしまいました。
言葉というのは誰が言うかで重みが増すので、あなたも僕も、安易にインフルエンサーがいい事言ってたなぁ、とか言って、それを他に吹聴したり、至言めいたツラ晒して言わないように、お互い気をつけましょね。
太宰治はこう書いてます。この言葉が、いま行かなきゃならないのに僕にコレ書かせています。
『恥辱を告白することに、わずかな誇りを持ちたくて、書いているのだ。』
恥辱を。恥辱。太宰治の場合は、他でも無い、これも他の短編の冒頭で、
『僕は、女を1人、殺した事があるんです』
という、衝撃的な告白にあるように、心中して、相手をだけ死なせてしまった事だろうなと愚推いたします。その、喚きが、声にならぬ声が、どの作品からも覗けるのです。悔恨。
だからこそ僕は太宰治を読むのです。
恥辱を告白する。
なかなか、勇気のいるもので、当たり前ならそんな事したく無いでしょうが、最期に僕はしてみようと思います。
そこに誇りを持てるのか、どうか。
僕は薬物の中毒であることは述べた通りです。
市販薬の名前は"ブロン"というやつで、かなり有名なエスエス製薬様の咳止め薬なのですが、これは少量のんでも、何も起こりませんが、こと、糖衣のやつですよ、起こりませんが、これを1日分まとめて呑むと、カフェインと、あとエフェドリンという物質が働いて、身体がシャキッとするのです。
僕は24歳くらいから、アルバイトがキツくって
しんどい時にコレ20錠くらい飲んで元気を出すようにしてました。すると、あら不可思議❗️頭とボデーがキャベツみたいにシャキッとして、実に歯応えのある仕事が出来るようになるのでした。
しかし好事魔多し。段々と1日分が2日分まとめて、となり、また、次第、飲まなくっては起き上がれない状態になってきて、その頃には2日で84錠くらい飲んでおりました。その頃の習慣で、今でも錠剤を水無しでぺろっと嚥下する事が特技です。自慢したことはありません。自慢にもなりません。
ブロンちゃんにはカフェイン・エフェドリンの他に、コデインというのが入ってます。中に。
このコデイン、が本来の咳を止めるための物質らしいのですが、この副作用に下痢というものがあって、僕もご多聞に漏れず、その当時は毎日お腹が痛かったです。
薬局では1人一箱しか購入できまへんが、要は沢山の薬局へ行くだけの話なので、ことブロンには事欠くことはありませんでした。
仕事はおかげで順調でしたが、そのうちに家の妹が病がちになり、彼女が死んだのが僕の29歳の夏で、僕は仕事を辞めて哀しみに暮れていました。働かないので、お金はありません。ブロンを買う機会も無くなってきました。その離脱症状はなかなかのものがあったと思います。
強い風邪と下痢がしばらく続いた、という風情でありました。
そこで、僕の市販薬中毒の歴史はいったん幕となるのですが、やがて、僕は精神科を受診するようになりました。
そこでは、眠れますか?と質問されます。
精神科では、必ずそう問われるのです。お薬を多く、出したい気持ちも、あるでしょうし、仕事に真摯なお医者さまも、いらっしゃるでしょうが、とにかく、ねれるか、どうか、あなたも行けば聞かれます。
僕は、別に寝れなくはなかったけれど、睡眠薬というものに興味があって、いいえ、眠れませんと答えていました。そんな日々が半年も続くと、薬包紙にはアモバンの行列が出来るようになっていました。いまの僕が観たら、垂涎ものでしょう。
妹を失った悲しさ。それを少しでも紛らわしたい。僕は、その為なら薬ぐらい、飲んだれぇ、と思いました。
すると、10分もしない内に、目の前が少しだけ暗くなり、妙に陽気な気分になってきました。
僕が音楽を心酔する阿呆だとは、まえ、書きましたよね。そんなもん、誰も読んでねえよワカメ、そうですか、僕は音楽がとても好きで、それだけなら笑顔なのですが、自分で携わらないと気が済まないのです。唄ったり、演奏したりするのです。そう言う時、陽気で妙な気分は友達のようなもので、アモバンを飲んでいると、音楽をするのも、聴くのも、捗りました。どえらい違いました。僕はやった事ないが、これが、シャブとかだったらそりゃ世界が狂うだろうなぁと思います。
たかが処方薬で、これだけ人間は狂うのですから、違法薬なら、それは暗黒の国でしょう。
とにかく、それから僕とアモバン 、僕は日記よくつけるのですが、その中でアモとかアモバって呼んでます、アモとの付き合いが始まりました。利害が一致した訳、ではぜんぜん無いけれど、僕からしつこくアモバを求めるようになりました。白状しますけれど、コレ書いてるいまもアモバを一錠のんでから書いてます。
最初と現在とで、文章に微妙な変化があるのが、分かりますか?僕は、分かりません。はじめから読んでないので。
アモバは、1日に1回分だけしか貰えません。そう薬事法で決めてあるからです。溜め込んでおいた、アモを飲んで、ロック音楽とかを聴く、それもシンプルながら屈折したヤツが良い、あー。あの瞬間の嬉しさ。無くしたものを見つけた時みたいなしっかりした感じを感じるのです。
が、その溜め込んでたやつらも限りが見えてきました。
僕は1日だいたい2錠飲みます。3錠飲むと、だんだん人間性まで薄れてきて、変に攻撃的な気分になり、記憶の欠落も激しく、まさしくけだもの、に近くなるので、怖くて、2錠くらいが僕にはベスト、お酒と一緒にいただくと効果が増すと言いますが、お薦めできません。特に凶暴性に働く気がします。それで僕もたくさん失敗をしました。
空腹時に飲むと効果が増して感じる事はあります。そのおかげで僕は20〜30代あたりは何か食べるよりも錠剤を食べていたものでした。
舌下、という摂取のやり方もあり、要は、水とかで流し込まずに口の中で溶かすのです。すると、薬が強く長く効く、と言うので、一挙両得?
それとも一石二鳥?自業自得だ、馬○鹿が。ただし、この摂取方法は、アモバーは苦いので、あまり推奨できかねます。糖衣も、歯に悪いですしね
その大切なアモが、減ってきた。
しかし、1日一粒しか貰えない。
これは、困りました。精神的に焦りを感じた僕は二つ目の精神科を受診して、精神科は初めてです!という顔で、台詞を喋り、アモバンという薬がよく効く、と知り合いから伺ったのですが、
と、こう、言うと、薬をくれない医師さんはおりませんでした。
かくして、僕の処方薬中毒はガンガン進んでいきましたが、いまは保健所に複数の受診がバレてしまい、怒られて、から、1日・1錠、を遵守しておりますが、ときには、つまり調子に乗って2錠も3錠も飲んでしまった時には、すみません、薬を間違えて捨てました、また下さいな、とか哀願して、多く貰うように努めています。
おそらく、死ぬか殺されるまで、やめないと思います。なぜならば、記憶の欠落、の中に、憂鬱が薄れる、という効能があるからです。
僕は、憂鬱が薄れてからで無いと何も出来ません。当時は妹の死。いまなら別れた恋人のこと。
仕事中にも、理不尽な怒られ方をしたりしたらバックヤードでアモをグッとします。いま、まだ更に飲みたい気分です。なんたって、気色が良いですからね。抗うことなど、できゃしません。この薬が違法になるまでは、あの手、この手を、駆使して沢山、手に入れて飲もうと思いますが、昔のように飲み過ぎは気をつけています。
情緒的で、無くなってきたな、と感じたらストップします。憂鬱でも、躁でも、なさけ、というものをうまく感じられない時ほど、つまらない時間は無いからです。
僕は、いけませんです。恥辱です。
自分で間違ってると分かります。弱いのです。そして、それを告白しました。太宰治の真似をして。
太宰治が、告白するから説得力があるのですが、僕が述べたところで、時間の無駄でしょうね。徒労のようです。お目汚しでした。すみません。
薬について最期にひとこと。
これは、穴を埋めるものでなくて、寧ろ深める為のものなので、蝕む、という表現が相応しいと思います、治すもんでないと、中島らもさんが何かに書いてありました。ほらね。僕が言っても。同じ言葉でも。
それでは行ってきます。あなたの場合には、失礼いたしました。良い夜を。もし、良い、なんてものこの世にまだあるのならば。
気休めに行ってきます。さよなら。逢えないときのために。adieu。