誰かの暖かい心は、触れた人の心も暖かくする ー体がある限り、マーヤーをどう生きたいかー
ある晴れた日、チベット仏教を勉強しているポーランド人ヤン、ヨガやヒンドゥー哲学を学びながら子供や難民に携わる仕事をしているインド人リシャ、そして寄宿学校で生活をする男の子ケルサンと、山の上の手作りの小屋で何年も修行をしているチベット僧を訪ねることになった。
ダラムサラには、孤児院やチベット難民が生活する寄宿学校がいくつかあるのだが、冬休みの間は、家族がいる子供達は家に戻り、身寄りのない子供達は僧院で生活をしている。
そのうちの一人ケルサンは、ネパール出身。4歳の時に両親を亡くし僧院に預けられた後、ダライラマの亡命政府があり、多くのチベット僧やチベット難民が生活するダラムサラ(インド)の寄宿学校にて生活することになった。
インドに来て2年、6歳になったケルサンはとてもシャイ。
それでも少しずつ話していく中で、クリケットが好きで、得意な科目はチベット語なんだと教えてくれた。
マクロードからアッパーバグスーまで歩き、ハニ村から山道に入り登ること30分、一つの小屋を見つけた。
そこに住んでいるチベット僧ニマは、いきなり現れた私たちに不思議な顔一つせずに「お腹空いてないですか?ちょうど昼ごはんを作ったところだから、食べて行きなさい」と声をかけてくれた。
彼の好意に「何かお返しがしたいのですが」と友人が言っても、それを断るどころか、彼が焼いたというケーキをチベットの薬茶と共に持って来て、「デザートも食べて行きなさい」と、さらにもてなしてくれたのだった。
ヤンもリシャも私も、みんながみんな良いタイミングで出そうと思ってバッグに仕込んでいたパラタやパンケーキ、チョコレートやスナックを全てテーブルに広げて、一緒に小屋の外で太陽の暖かさを感じながらピクニックランチをすることになった。
ケルサンに楽しい1日を過ごしてほしい、という友人の純粋な気持ち、訪れた人が誰であろうと幸せだと嬉しい、というチベット僧の気持ち、そして休憩でどこかに座る度に、誰も何も忘れないようにとチェックしてくれていたケルサンの「出来ることで何かみんなのためになりたい」気持ち。
この遠足は優しさと慈愛で計画されて、そしてみんなの「誰かが喜ぶことが幸せ」という想いで溢れた1日となった。
マーヤーやサムサラからの解脱に至るための修行や勉強に人生を捧げるのと同時に、体を持っている間は関わるしかない ”生きる事" と "他の命とのつながり"。
真実を求めることを人生の目的としていても、その道中、人間として生きる中で根本的な大事なものがなんなのか、を考えさせられた。
ケルサンにはもう両親はいないけど、彼は新しいインドの生活の中で、たくさんの人から様々な形の愛を受け取っている。
それを感じてかどうかはわからないけど、下を向いてることが多かったケルサンも、時間が経つに連れすこーしずつ彼の心は開いていき、最後にみんなで写真を撮った時には、その日リシャからもらったばかりの天道虫の指人形を持ち、すごく可愛らしい笑顔で笑っていて、その嬉しそうな笑顔ひとつが、みんなを1日で一番暖かく幸せな気持ちにしたのだった。
そんな中で、人とのつながりや、優しさや愛を内側から誰かへ、そして誰かから感じることは、無意味なマーヤーに意味をもたせてくれるような気がした。
🪷
帰り道に、「インドには、人生を解脱のために捧げているサドゥーやサンヤシンがたくさんいるけど、それって自己中心的なのかな?
お寺や洞窟での修行に命を注ぐより、今日出会った僧みたいに人のためにご飯作ったり、ボランティアしたり、日々の生活の中で人のために役立つことをした方がいいのかな?」という話になった。
でも、自己の本質(体や心は私ではない。ではなんなのか*1)を自分で体験することによって理解しないと、マーヤー*2 に囚われすぎて雑念(心配、後悔、妄想、怒り、嫉妬)に乗っ取られやすく、誰かの愛や内なる自己*3に触れることによって、内側に灯った暖かみを保持することが難しい。
本質を覚えていないと、マインドに意識をコントロールされ、本当はいつも自然に内側にある愛を生きることが難しくなってしまう。
だから人の役に立ったり優しくあるためには、自分が満たされた暖かい心で幸せを感じることが必要で、そのためには、「エゴや体が私なのではなく、魂が本質であること」を忘れないためのサーダナ(霊性修行)やタパシャ(サドゥーなどが行う苦行)が必要で、そうして「本来の自分を生きる」ことによって、自分にも他のものにも愛のある生き方をすることにつながり、自然と人のためとなるのかもね、という結論となった。
だからやはり内なる自己への旅の「はじまりは終わり」で、悟りの先には、マーヤーの中で「元々大好きだったこと、やりたかったことを、自分らしくやりたいようにやること」に戻るだけなのかもしれない。
だからそれは自己中なのではなく、ただ自分らしく自分の生きがいを生き抜き、自分の命を最大限に輝かすステキな生き様なんじゃないかな、と思った。
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生きとし生けるものが、心軽く、満たされた気持ちで1日を過ごせますように。では、また次の記事にて。
*1 この文脈ではブラフマン シヴァ パラバイラヴァ 宇宙意識 存在の根源 命の源 意識の光。本来の自己(アートマン)を含む全ての存在の本質。
*2 現象世界。ただの意識である私達が、マインドや五感を通して、自分は肉体やマインドとして存在してると思い込むために覆い被った幻想のヴェール。
*3 アートマン、真我、宇宙意識と繋がっている本来の自己(日常生活では、エゴやマインドがその周りにまとわりつき分厚い雲となり、本来常に自分の中にあるその光は遮られて見えない)。