見出し画像

発達障害のある僕が仕事を選ぶときのポイント

「仕事をして生計を立てていく」

障害のあるなしを問わず、自由に生きたいならこれは必須条件かもしれない。
社会の保護を受けると、いろんな制約が出てしまうからだ。
なにより“働いてない”ということで自尊心も損なってしまうかもしれない。

発達障害があるとコミュニケーションに支障をきたすので、あらゆる仕事で、特有の“難しさ“が生じてしまう。
第一次産業(農林漁業)従事者や、職人、特殊技能を活かして仕事をする人が多かった時代には、コミュニケーションが壊滅的でも生き延びる道は、今の時代よりはあったと思われる。

でも、人々のライフスタイルが似通うようになり、従事する仕事や就労形態を問わずどんな職場でもコミュニケーションスキルが求められるようになって、発達障害をもつ人には“仕事“というタスクがとんでもなくハードになった。

僕自身も、社会の荒波にもまれて危うく溺死しそうになったくちだ。
当事者として42年、社会人として通算16年の生活を送ってきた僕が、「発達障害の人が仕事を選ぶときのポイント」というテーマでnoteを書いてみた。

1.「好き嫌い」や「得意不得意」を基準にしない

仕事を選ぶ上で「好き嫌い」や「得意不得意」が大事だと思っている人は意外と多いかもしれない。
そもそも嫌いなことや不得意なことを毎日何時間も続けることは、誰にとっても辛いだろうから、その逆をいこうということだと思う。

実はそこに大きな落とし穴があると思っている。

「好き」を理由にその仕事に就けたとする。
でも、好きという気持ちは意外と長続きしないものなのだ。
仕事には失敗や挫折はつきものなので、ふとしたときに気持ちが冷めてしまう。
「あ、もしかしたらこの仕事好きじゃないかも」と思いはじめたときにモチベーションは急激に下がってしまう。

では「得意」を理由に仕事に就いた場合はどうだろう?
趣味とはちがって仕事には”相手”がいる。
いくら自分が得意でも、それを相手に求められなければ仕事にはならない。
自分の”得意”を過信してしまうと、顧客だけでなく同僚にも信用されなくなってしまうのだ。
そうなると鬱屈した感情が蓄積されて、やがては仕事がつづけられなくなるだろう。

僕は、「好き」「得意」を一番大きな理由として仕事を選んだ人が、後々に職を転々としてしまっているのを何度もみてきた。

では、何を基準に仕事を選べばいいか。
それは、ズバリ「自分がなにに強い興味や関心を抱くのか」だと思っている。

発達障害があると、よく“興味の幅が限定的”だといわれる。
健常人も興味を抱く対象はある程度限定的だと思うが、発達障害の人の場合それが極端になる。
しかし、興味を抱く対象に対しては、健常人よりも長い時間集中していられたりもする。
「好き」は持続させるのが難しいし、「得意」は仕事においては邪魔になることもある。
それよりも“興味を抱く対象”を仕事として取り扱った方がいい。

“興味や関心があること“と“好き“との違いがややわかりにくいかもしれないが、端的にいうと、ただ好きというだけでは終わらない「もっとそれについて知りたい」という飽くことなき好奇心といえるかもしれない。

僕の場合「人間」に対して強い興味があった。
今も医療従事者という仕事を続けられているのは、尽きることのない人間への興味や関心があるからかもしれない。

2.自分の実力より”高すぎるレベル”や”低すぎるレベル”は避ける

自分よりまわりの人間のレベルが高すぎる環境ではだんだんしんどくなっていくし、逆にまわりのレベルが低い環境ではモチベーションが徐々に下がっていくという経験はないだろうか?

仕事も同じで、レベルの高い環境に身を置くと最初は楽しいが徐々にしんどくなっていくし、逆だとヤル気がなくなっていくものだと思う。
何年も継続して同じ職場で働こうと思うなら、自分にとって適度な刺激と安心感が感じられる方が絶対にいい。
ある研究によると、学習効果が最も高まる難易度として「85%ルール」なるものが存在するらしい。
つまり”ほどほどにむずかしい”のがいいというわけだ。

そのルールは仕事にも適用できると考えている。
もちろん自分にとってのレベルは、同じ職場にいながらでも調整できる。
職場の人間の平均的なレベルが低いならどんどん上のポジションに進んでより難易度の高い仕事に取り組めばいいし、逆なら上司に相談して自分だけ仕事の難易度を下げてもらえばいい。

しかし、仕事を選ぶ時点である程度レベルのコントロールをしておいた方がいい。
例えば、高いスキルと知識がある人が裁量権のない単純な仕事ばかりしている同僚が多い職場に入るとイライラしてしんどくなるだろうし、自分が提供できるものに自信がない人が高い洞察力や判断力を駆使して働く同僚が多い職場に入ってしまうとすぐにバーンアウトするだろう。

可能ならば見学やインターンなどを通して、その仕事に就いている人をよくみてみたらいい。

なぜ”レベルのコントロール”が発達障害の人に大事なのか。
健常人なら適応できるレベルの幅が広いが、発達障害があるとその範囲が狭くなりがちだからだ。
それにADHDなどがあると、ある程度の刺激がないとモチベーションが維持しにくくもなる。

第三者の評価も参考にしながら自分のレベルを知り、安定的に85%くらいの結果を出せる職場をみつけるといいかもしれない。

3.10年後をみすえる

僕が若手のころに仲のよかった先輩からいわれていたのは、「常に10年後の自分をイメージして仕事をしろ」ということだ。
それをしないと場当たり的なやっつけ仕事になって成長できない。

当たり前だが10年後の自分は、今より体力も落ちているかもしれないし、結婚や出産などで必要経費も増えているかもしれない。
つまり、"何も変わらない"ということは衰退していくことを意味している。
それにほとんどの職場では経験年数に応じた成長を期待される。

「長年いるのに成長がない人間」というのは組織にとってはお荷物となる。

なので、仕事を選ぶときは、将来的にどんな資格をとって、どんなポジションにいたいかを可能な限り具体的にイメージした方がいい。
そして、そこに近づくためのステップアップができるかどうかを確認するのだ。

どんな仕事でもだ。

コンビニやスーパーのレジ打ちですらそうだ。

「10年後には発注から新人の育成まで店舗の仕事ならすべてをこなせるくらいのレベルになりたい」
「スーパーのレジ打ちを通して人々と密接なつながりをつくって地域を元気にしたい」

こんな目標があれば飽きっぽかったり、多少不器用だったりする発達障害の人でも、モチベーションを維持しながら働けるだろうし、まわりとの関係も良好な状態に保てる。

4.まわりの評価は気にしない

職業差別をもつ人は世の中にはたくさんいる。
それはもうウンザリするほどに。
僕も、大卒で就職した企業を辞めて医療従事者の道に進んだときに「ジジイやババアのクソの世話する仕事だろ?」っていってきたやつがいた。
そこまで悪意はなくても、例えば歴史的背景を理由にしてナチュラルに職業差別をしてしまう人もいる。

だまされてはいけない。
世間で差別を受けやすい職業に従事する人たちは意外と稼いでいたりする。
楽しくやりがいを持って仕事をしていたりする。
僕はそんな人をたくさん知ってるから、つくづく「まわりの評価」というものの無意味さを感じる。

自分がやりがいをもてるか、自分が楽しんで続けていけるか。
それだけを考えればいい。
たとえ飢え死にしたとしても、自分が選んだ仕事を命尽きるまでやりきれる人の方が僕は幸せだと思うし、そんな人生の方がいい。
(偉大な画家や哲学者の中には極貧生活を送って評価されることもなく世を去っていった人も多い)

人の仕事にごちゃごちゃとケチをつける人間ほど不幸なのはいないし、そんなやつらに仕事選びの邪魔をさせてはいけない。


いかがでしたか?

僕が関わってきたたくさんの人々から学んだことと僕自身の経験から導き出した法則なので、すべてのケースに当てはまるわけではないですが、考え方としては大事なことばかりかな、と思います。

なにかの参考になれば嬉しいです。


イルハン

いいなと思ったら応援しよう!