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僕がショートヘアの女性が好きな理由

ふざけたタイトルですが、まじめな人生論です。
お時間ある方は、少し、僕の思索にお付き合いいただけると幸いです。



1.ショートヘア好きの原点

覚えているのは、当時はやった『エイリアン』という映画に出ていたヒロインの女性。
ウィノナ・ライダーというアメリカの女優さんが演じていたことは、後になって知りましたが、小学校低学年だった僕は、髪が短い女性というものを、
それまであまりみたことがなく、驚きと共に「きれいな人だなー」と思ったことを覚えています。

時が経ち、僕が高校生の頃、モーニング娘。というガールズグループが大流行しました。
その中に、市井さやかさんというショートヘアの女性がいたのですが、「好きな芸能人は?」ときかれたら、まっさきに名前を挙げるくらい好きでした。

一度だけ我を忘れてしまうくらい好きになった女性も、ショートヘアが似合うボーイッシュな方でした。

そんな風に、僕にとっては、ショートヘアの女性は、ある種「魔性」の存在でした。
長いこと、そのことについて深く考えもせず生きてきました。

ある日の仕事帰り、何がきっかけになったのかは覚えていませんが、「なぜ自分はこうもショートヘアに魅せられてしまうのか?」と考えていました。
歩きながら「では、かつて僕が魅せられた女性たちがロングヘアだったら、そこまで好きになっていたのか?」と自問してみると、驚くべきことに、その答えは「否」でした。

つまり、僕は『ショートヘア』というヘアスタイルに並々ならぬ執着をもっていることがわかったのです。
次章以降で、その理由について探りたいと思います。

2.ショートヘアの何がいいのか

ショートヘアの女性が、だいたいどのくらいの割合いるのか、はっきりしたことはわかりませんが、僕の体感では「かなり少ない」と思っています。
更に、ショートヘアの女性の中でも、「それが似合う人」となると更に少ないんです。

つまり、僕が住んでいる社会では、女性というとロングヘアが主流だったわけですが、その中にあって、ショートヘアの女性には「希少性」があったわけです。


ここからは、僕個人の体験談になるので、多分に偏見が含まれてしまうことをお許し下さい。
僕が出会ったショートヘアの女性たちには、下記のような特徴がありました。

・サバサバしている
・髪の手入れに時間をかけたくないアクティブな性格
・周囲の意見に流されない自分軸を持っている

つまり、元々その存在自体が「希少」であることに加えて、”共感”や”協調”を大切にしていそうな女性社会の中では、僕からみると、「異質な存在」でもあったわけです。

僕は、小さな頃から、女性を恐れている節がありました。
母親の厳しいしつけにより女性に対する本能的な恐れがあったことに加えて、男子に対して徒党を組んで向かっていく同級生の女子に対する恐怖心もあったんだと思います。
どこにも属さない一匹狼のような雰囲気を醸し出すショートヘアの女性は、そんな恐怖をぬぐい去ってくれる気がして、警戒心が和らいだのです。


これらのことから、ショートヘアの女性は、ロングヘアの女性に比べると、僕の目にはより魅力的にうつったんです。
もちろん、ロングヘアの女性を好きになったことも何度もありますし、髪型はあくまでキッカケにしか過ぎなかったのですが。


3.「希少性」について

(1) 恋愛における希少性

さて、前の章で「希少性」というキーワードが出ましたが、そもそも、異性を好きになる上で、希少性がそこまで重要になるものでしょうか。

僕は、珍しいものに異常なほど関心を示す子どもでした。
珍しい昆虫、変わった形の石、他ではあまりみかけないオブジェなど…
いわゆる「レアもの」に飛びついてしまう傾向が人より強かったといえます。

恋愛では、脳の中でも「扁桃体」「大脳皮質」が強く関与するといわれています。
前者が入ってきた情報に「好き」「嫌い」といった情動的な意味づけをして、後者がそれに論理的な意味づけをするわけです。

つまり、希少性に対して扁桃体が反応して「好き」という意味づけをして、どこにも属さない自立した存在であると思わせてくれるところに大脳皮質が反応して「好き」が深まることで、僕はショートヘアの女性を好きになっていたと考えられるのです。


(2) 僕にとって希少性とは何を意味するのか

先ほども触れたように、僕は、昔から珍しいものに惹かれる性向が人よりも強い人間でした。

それは先天なものの影響と、生後学習したものの影響が両方あると思っています。

きっと、僕の先祖が希少価値の高いものによって命をつないできたからなのかもしれません。
それが食物であったのか、住む場所であったのか知りませんが。

生後学習したものとしては、希少性こそ自分が生き残る道だという考えが挙げられます。
僕は人より体が小さかったことや、親から容姿やふるまいに対して否定的なフィードバックを加えられたことなどが影響して、ずいぶんとたくさんのコンプレックスを抱えて生きてきました。
必然的に、人と同じことをしていては生き残れないという危機感を抱くようになり、自分自身の希少性をみがく方向に、舵をきったわけです。


こうした影響から、僕は、希少性、今風にいえば「オンリーワン」を重視するようになったわけです。
その反動で、同質性や均質性を忌避するようになったわけですが。


4.僕が人生に求めるもの

僕は、発達特性により、自我同一性がかなりあいまいです。
みんなが当たり前のように使う「自分」という言葉が、いったい何を指すのかよくわからず、物心ついてからずっと「自分とは何なのか」を探しながら、生きてきたといっても過言ではありません。

そして、哲学に出会い、それまでの自分の経験と哲学をかけあわせて、「自分は他の誰でもない自分」という確信を得ることができたのです。
ある種、そのような自分の”希少性”が、自分に生きる勇気を与えてくれたのです。


僕は、自分の希少性を大事にしたいと思うようになったわけですが、それ以前から、他人の希少性もすごく大事にして生きてきました。
今まで生きてきて、たくさんの人たちと出会い、そして別れました。
誰一人同じ人はいませんでしたし、僕が、性別関係なく惹かれるのは、その人の「希少性」に対してでした。

人間が社会を構成するようになってから、その人固有の特性を軽視するようになり、差異を統合して、どんどん「同質性」「均質性」を求める社会になってきたようにも感じます。

ですが、自然の摂理で、多様性を失った種は滅びる運命をたどります。
環境の変化に適応できなくなるからです。
僕は、古代の都市国家スパルタや、ナチスドイツが「同質性」を追求した結果、どういう運命をたどったかを知り、ますます「希少性」が大事だと思うようになりました。

何より、自分自身、同じような人間の集団よりも、多種多様な人間がめいめい好き勝手にしているのになぜか全体として妙にまとまりがある集団の方が、本能的に好きなんです。

一人一人の希少性が輝きを放つ世の中、それが僕の理想です。

そして、他の誰でもない「自分」の人生を生きる。
それが僕が生まれた理由でもあると、今は信じています。


ある日の仕事帰りの思索、「なぜ自分はショートヘアの女性が好きなのか」という単純な問いが、自分の生きる意味につながりました。

お付き合いくださりありがとうございました。


イルハン

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