ADHDは免罪符になるか?
みなさんこんにちは。脳内ザワザワMAX状態でお届けいたします。
今回はちょっと前回の記事と矛盾する部分があるかもしれませんのでご了承ください。
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ADHDというワードで検索していると、「できない奴ほどADHDを理由に怠けている」「ADHDはミスしていい理由にならない!」という意見をしばしば目にします。
実際、私も彼に「ADHDを免罪符にしないでほしい。」と言われることがあります。(時々です!普段は言われませんよ!)
とても悲しいことですが、その通りだと思っています。仕事のミスにADHDも何も関係ないですし、理由の如何に関わらず、周囲が迷惑を被っているという事実は変わりません。
残念ながら、現代社会においては、ADHDは免罪符にはならない と思っています。
もちろん、もっとADHDへの理解が深まって、みんなが足りない部分を補い合ってスムーズにコミュニケーションが取れる世の中になればいいなとは思います。そうなったら、本当にどれだけ生きやすくなるか…。
でも、現実はそんなに甘くはないです。
現代社会の集団生活に(日本では特に)、ADHDの持つ特性が適合しているとは思えません。だからこそ苦しいんですよね…。
ただ、社会がそうできている以上、「ミスしても、ADHDなんだから許してくれ」とか、「ADHDなんだから配慮しろ!」という主張はまかり通らないと思っています。
発達障害でない人は、発達障害でない人たちの行動原理や価値観に基づいて生活しています。そういう人たちが社会の大多数を占めています。その大多数が動かす社会の中に、私達は生きています。その中で生きていくには、ADHDの当事者がある程度合わせていかなければいけないと思っています。
たった一人のために、周りの人すべての行動を変えることはできません。
じゃあ一生苦しみ続けるしかないのか!と思ってしまいますが、そうとも言い切れません。
社会を変えることはできないけれど、合わせようと努力することはできます。投薬治療やカウンセリングもその一つだと思います。
できそうなら周りの人に協力をお願いするのもいいですよね。(職場だと難しいけど…)
免罪符としてではなく、仕事や生活がスムーズにいくために、【ADHD】であることを理解してもらうのが一番良いと思っています。
そうはいってもそれすらも、まだ難しい世の中ではありますが…(u_u*)
ADHDに対して、心無いことを言う人ってたくさんいます。
そういうのは…正直許せないし、本当にムカつきます。自分だって望んでそう生まれたわけじゃない!!って言いたくなります。
受け入れてもらえないこと、理解してもらえないことはとても悲しくて辛いです。
だけど社会が変わらない以上、こちらもある程度【そういうものなんだ】と受け入れるというか諦めてみるのも大事かなと思います。もしかしたら、そのほうがちょっと気持ちが楽になるかも…?
ちょっととりとめのない文章になってしまってすみません。
また整理できたら書き足していこうと思います。