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過集中と喋りすぎ

お久しぶりです。とても間が空いてしまいました。

今日はADHDの過集中と喋りすぎについて書いてみようと思います。過集中とは、かんたんに言えば何か一つのトピック・関心ごとにとらわれてしまい離れられない状態です。関心ごとはいいこともありすが、悪いこともあります。

私の場合をわかりやすく絵にしてみました。

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ざっと、こんな感じです。この場合は良い関心ごとについてのパターンです。私の場合は延々とインプットとアウトプットを繰り返します。

通常、会話は人相手の状況や感情の変化を自然と相互にキャッチしながら行うものですが、私の場合、過集中状態化では「自分のアウトプット」に意識の全てが向いてしまい、会話中相手の感情の変化に気づけないことが多いです。

会話は相互にやりとりするのが自然です。一方的に話をされていると通常の人は飽きてきますし、私の関心ごとと相手の関心ごとが同じでなければなおさらです。

この状態は正常なコミュニケーション(相互の意思疎通)ではなく、単なる情報の押し付けになってしまいます。過集中状態の私は、間髪入れず話し続けてしまうので、情報量が膨大で、相手を疲れさせてしまうこともしばしばです。

なにか特別の関心ごとがあったり、興奮してしまうと過集中状態に陥りがちです。

私としては楽しくおしゃべりしたいだけなので、相手を疲れさせてしまっては本末転倒です。

なので会話中はできる限り「私ばかり話してしまってごめんね。大丈夫?」と挟むようにしています。

常に意識できていればいいのですが、どうしても脳みそが自動的に過集中モードに切り替わってしまうのです。ただ「あ、これ過集中に入りそうかも」という予兆は自覚できるので、行き過ぎる前に言葉を挟んで自制するように心がけています。

…常に出来ていればいいんですけどね、時々予兆にすら気づかず過集中モードに入ってしまうことがあるので、困ったもんです。

ちなみに喋りすぎに関連して、その脳内をちょっと書き出してみました。上で上げたトピック「マイケル・ジャクソン」の場合です。

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私の脳内には、一つの関心事について、これだけ多くの情報が同列に存在しています。というかここには書ききれていないほどです。なぜか次々と関連事項が浮かび、それぞれに代わる代わるスポットライトがあたるようなイメージです。

今回は過集中、一つの関心ごとについてとらわれてしまうことについて書きましたが、日常の些細などんなことに対してもこんなかんいの展開になっています。会話の内容がコロコロ変わるのもこれと関連があると思っています。

一つの出来事にとらわれてしまう という過集中の記事を書いているのに、会話の内容がコロコロ変わるという矛盾した2つの状態について説明している。

パッと聞くと矛盾しているようですが、実はこの2つの状態には関連があると思っています。

これ自体ががまさにADHD特有なものなのかもしれません笑

それでは、また。

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