自分でいるということ

私は今「自分」という存在を見失っている。
「自分」がどんな人間かわからない。

これまでの人生、落ち込みながらも躓きながらも、立ち上がっては全力で前を向いて生きてきた。精神を大きく病んだこともある。そういう自分を誇りに思ってきたし、自分の人生を自分で切り開けるという思いもあった。知識をつければそれだけいろんな考えに触れられると思って本をたくさん読んだ。自己改革みたいなものも試してきた。若かったからなのかもしれない。

ADHDだと診断されたときから少しずつそれが崩れてきた。ダメでもがんばろうっていう気持ちが少しずつ薄れてきた。だって頑張ったって無駄だもん。そう思うようになってから、今まで積み上げてきた自分がぽろぽろと崩れ落ちてきた。ADHDだとわかって楽になったこともある。自分を必要以上に責めなくていいとわかったから。だけどそれと同時にできないことを無駄に頑張ってきた自分が悲しかった。もっと楽に生きてよかったのだ。そう思うといままで必死に築いてきた「自分」とはなんだったのか?わからなくなってしまった。

楽に生きてもいい。心のままに生きてもいい。頭では分かった。だけど、そんな風に生きたことがない。どうしたらいいのかわからない。ADHDだとわかって、人と話す中で親を責める気持ちも生まれてきた。はっきり言って、親との関係はトラウマだ。母に嫌われたくなかった。怒る母が怖かった。いつも顔色をうかがっていた。好かれたくて頑張ってきた。幼い私にとって母が私の世界全てだったから。母に嫌われるということは、人生の終わりそのものだった。その精神的な構図は今も変わらない。自分の価値を実感できるのは、母が喜んでくれた時だけだった。それ以外の時はずっと自分を責めて生きてきた。そんな考え、あほらしいと思う人もいるだろうし、そんな母親自分から切り離せばいいじゃんと思う人もいると思う。それができなかったのは、幼い私が母を心底愛していたからだ。理由は何であれ、子供にとっては母は絶対でありすべてなのだ。母のせいで私は「自分の愛する人に愛されないと自分の価値を見いだせない」人間になってしまった。そして他人に対して「嫌われたくない」という感情が根強く残ってしまった。

私には虚言壁がある。(ということは最近理解した。)
基本的には嘘が大嫌いなのだが、どうしても無意識に嘘をついてしまうことがある。やはり 嫌われたくない。 怒られたくない。という心理が根底にあると思う。母にも嘘をついたことが何度もある。だからと言ってそれ自体が許されていいことではない。かといって根底に母とのトラウマがある以上、どう解決していいのかわからない。一生付き合わないといけないのかもしれない。

今わかっている限り、断言できる自分は「小さくて弱い」ということだけだ。踏んばらないとこの世では生きていけないほど、しょぼくてもろい。トラウマも多い。怖いことも多い。

今までの人生、人に愛されたいと願い続けてきた。ダメな自分を変えようともがき続けてきた。それ自体が無駄なあがきだったことも知らずに。辛い人生のなかで、それだけが私の希望だった。いつかきっと報われると、思っていた。ただ愛されたいと思うことすらも、私にはには高望みなのかもしれない。

自分がわからなくなったいま。築いてきたものが無駄だとわかったいま。正直、どうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまった。自分とは何かを考えることすら無駄な気もする。完全に途方に暮れてしまった。

脳内を吐きだしたら、何を書きたいのかわからなくなってきたし少し眠くなってきた。

これからの人生どうしたいのか、何をしたいのかも正直わからない。いまは少しずつこうやって整理するしかできることがない。

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