東京シューレの声明文についての個人的見解
※ご要望を頂いたので、noteにも転載します2020年2月18日にFacebookに投稿したものです。
2/10に東京シューレより、性暴力事件についての声明と予防策がでました。
そもそもシューレは加害側なのに、『性被害』との表現には違和感です。きちんと『性加害』と書くべきでしょう。
https://www.shure.or.jp/2020/02/10/news-3/
一週間ほど、反応を見てましたが、私が確認できた範囲で、他のかたから指摘がなかったので、どうしても看過できない点について述べさせてください。
『全国のフリースクール等は、性被害が頻発しているという事実はなく、子どもの人権と権利のために活動しておられます。』
この一文。第一に、完全に支援者中心目線だと感じました。
『子どもの人権と権利のために活動』しているのは、完全に支援者側の主観です。ぶっちゃけいうと『私たちイイコトしてます』という発言でしかないのです。
それが本当に子どもの人権と権利を尊重できた活動になっているかどうか、子どもの人権や権利を守る活動のなかで、悪意(故意)の有無を問わず人権侵害が発生していないかどうかという視点こそが子どもファーストの視点であって、今回のシューレのように隠された人権侵害が起きたことに関する声明文としては、まったく本質からずれており、『わかってない』というか、子どもたちにたいして抑圧的でさえあり、『業界への配慮』しかみえてきません。
そもそも、善意が時に暴力性を孕むことさえある支援という行為の危険性を自覚できていないのではないかという危惧さえ感じました。
第二に、これが今回の本題ですが、『性暴力が頻繁している事実はない』となぜ言い切れるのか。
性被害を受けた方のうち、女性の過半数が、男性に至っては8割以上のかたが『誰にも相談しない』と言われています。この『誰』のうちには親しい友人や家族等も含まれるわけで、ここから公的な支援機関や、加害関係者に被害を訴える方はさらに少ないでしょう。
つまり、性暴力が発生していたとして、そもそもキャッチできていない可能性が高いわけで、なぜそれを『頻発している事実はない』と言い切るのか。そもそも当初シューレは裁判で『争う姿勢』だったわけで、同様に他団体が『隠蔽と否定の圧力』をかけていないといえるのか。
また、盗撮やリベンジポルノ、画像拡散、性交を迫(られ)るなどの10代の間での性加害・性被害は、学校も含めた若者コミュニティで頻発しています。どうしてフリースクールでは『頻発している事実はない』と安易にいいきってしまうのか。
これらのことは、(研修などもされたようですが)性暴力について理解できていないことが明らかであり、今回の声明は『業界関係者』へのアピールとしか感じられませんでした。
恐らくここまでかいても、残念ですが、何が問題なのか、わからないかたはわからないと思います。
もしもこれが、『いじめが頻発する事実はない』という発言であれば、その迂闊さと暴力性が伝わりやすいでしょうか。
被害を受けながら黙っている子どもたちや、かつて被害を受けたことがある方、自分が受けていることが『被害』なのか『親しさの表現』なのか悩んでいる方をどれだけ踏みつけるのか。そして鈍感で、無神経で、事なかれ主義の大人たちへ失望するか。
ましてそれがなんらかの傷つきで学校を離れ、フリースクールへ通っている立場の方々からみたらどうなのか?
フリースクールはかつて社会から攻撃を受けた時代があるため、組織防衛的になっているのかもしれません。
しかし、感性が劣化し、意識をアップデートできないなら、大胆な新陳代謝が必要ではなないでしょうか?
そして、フリースクール界内部からこういった指摘がほとんどでてきていないのはなぜか?
こういったことを2/29にはお話しできればと思っています。
〈facebook 20200218投稿より転載〉